《前回からのつづき》
1968年7月のダイヤ改正で電車化された「あさぎり」は、気動車時代と同じく小田急線内は特別準急、御殿場線内は準急として運行されました。3000形SE車がこの種別で運用されたのはわずか3か月で終わり、1968年10月の白紙ダイヤ改正、いわゆる「ヨン・サン・トオ改正」で、国鉄は準急という種別を廃止して、急行への格上げを行いました。準急として運行されていた「あさぎり」もその対象になり、御殿場線内は急行列車となったのでした。
御殿場線では急行に格上げされたので、小田急線内では特急扱いとはいっても準急に据え置くのは差があるというものです。小田急もこの改正に合わせて「あさぎり」を急行に格上げすることにしたのでした。
しかし、そのまま「急行」としてしまうと、利用者に混乱を来すことも考えられました。それというのも、小田急には既に「急行」という種別の列車が運行されていたのです。この「急行」は国鉄の急行列車とは大きく異なり、一般列車の速達型列車に付されていたので、国鉄のように急行料金など不要でした。ところが、「あさぎり」を急行にしてしまうと、「料金を払わなくても乗れる」と考える利用者が多かれ少なかれ出てくることが予想されたのでした。
そこで、「あさぎり」は特急扱いについてはそのままとし、種別を「特別準急」から「連絡急行」としたのでした。箱根特急や江ノ島特急といったロマンスカーの一員でありながら、国鉄の列車種別と均衡をとるため「急行」を名乗るということになったのです。
こうして、気動車から3000形SE車に代わり、列車種別も「連絡急行」「急行」と格上げされたことで、より多くの人が利用すると思ったものの、実際には乗車率が下がるという事態になってしまったのでした。
そもそも気動車時代は1両編成を基本に、多客時には2両編成を組んで運行されていました。ところが、3000形SE車は7両編成から5両編成に短縮したとはいえ、気動車時代の3倍近くの定員になってしまったので、乗車率は極端に下がってしまったのです。このまま低い乗車率のまま列車を運行することは、小田急としても好ましいものではありません。
そこで、それまで新宿駅から新松田駅までの間は、すべて「あさぎり」は通過していたのを、より多くの人が乗車できるように到達時間を多少犠牲にしてでも、多くの利用者を取り込むことで利用率を上げるため、原町田駅(→町田駅)を停車駅に追加しました。もっとも、小田急線内だけを走る箱根特急や江ノ島特急では、通勤利用も取り込むために定期券での利用も認められていましたが、「あさぎり」は国鉄へ乗り入れることから小田急線内でも定期券での利用は認められないなど、ロマンスカーの中では異色の取り扱いが続けられました。
1984年になると、新たに本厚木駅が停車駅として追加されます。また、夏季などの繁忙期には、3000形SE車5連を2本併結して10両編成とした「重連」運転もされるようになり、御殿場や富士山南麓への観光輸送を担う存在として定着していきました。
「あさぎり」の運用に充てられていた3000形SE車は、本来であれば耐用年数が10年程度と想定されていました。そのため、何度か車両の更新が計画されたものの実現することなく、想定の3倍になる30年以上も走り続けました。

御殿場線に乗り入れる「あさぎり」は、国鉄時代に電車化されて3000形SSE車が充てられるようになった。他社からの乗り入れ車両は通常、乗り入れ先の乗務員によって運転されるが、「あさぎり」は小田急の乗務員が列車ごと乗り入れていた。このようなことはあまり例がなく、3000形SSE車の構造が国鉄の車両と大きく異なることから、その取り扱いに熟知した小田急の乗務員の方が円滑だったことや、国鉄の乗務員に新たな車両の訓練をするためには、労使間で難しい交渉をしなければならないなど、国鉄の事情が背景に会ったと考えられる。(©Shellparakeet, CC0, ウィキメディア・コモンズ経由)
3000形SE車の代替が実現しなかった理由はいくつか考えられますが、1つはロマンスカーの輸送力不足が挙げられます。3100形NSE車も10両編成7本が製造されて運用に就いていましたが、検査などで運用から外されるとたちまち不足し、その代走として3000形SE車を充てていました。また、「あさぎり」は5両編成が基本だったため、3100形NSE車をこれに充てるとすると、同じように5両編成への組み替えと改造が必要となります。ただでさえ、箱根特急や江ノ島特急の運用で手一杯の3100形NSE車を5両編成に短縮してしまえば、輸送力不足に拍車をかけてしまいかねなかったと考えられます。
もう一つは、やはり国鉄側の事情によるものと考えられます。「あさぎり」の運用に充てられている3000形SE車は、国鉄にはない連接車であり、御殿場線内でも国鉄職員ではなく小田急の乗務員が乗務していました。そこへ、先頭車に展望室を備え、運転席を2階に上げた構造の3100形NSE車が入ってくるとなると、いくら国鉄の職員が乗務しないとはいえ、かなり厳しい反応をすることが予想されたのです。
国鉄の労使関係は悪化の一途を辿っていて、国鉄自身が新型車を導入する場合でも、労働組合と難しい折衝をした上で、その了解を取り付けなければなりませんでした。例えば、DD51形は蒸気発生装置を備えた本線用ディーゼル機ですが、貨物用としてはこの装備は必要ありません。そのため、蒸気発生装置を省略した本線用ディーゼル機としてDD52形になるところを、DD51形の派生区分として800番台にしています。
また、EF64形は0番台と1000番台では性能こそ同等ですが、車両の構造や機器配置などはまったく異にするものです。それでも、EF64形の派生として1000番台に区分したのも、やはり労組との折衝を避けるためだったと言われています。こうしたことから、「あさぎり」に3100形NSE車のような国鉄にとって「突飛な」車両が入ってくるとなると、当然、労組のも厳しい反応を示したと考えられるのです。
こうした様々な事情から、3000形SE車は10年度頃か30年以上に渡って、「あさぎり」として運用に充てられたのです。もっとも、耐用年数を大幅に超えたため、車両の老朽化は否めませんでした。そのため、1980年代までに車両内外の更新工事、さらには車体修繕など施して、長きに渡って走り続けたのでした。
《次回へつづく》
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