《前回からのつづき》
20000形RSE車と371系とで最も揃えられたのは、車両構成と接客設備でした。
沼津方から1号車、2号車と組成されていましたが、どちらも7両編成で4M3Tを組んでいました。そして、沼津型先頭車も新宿方先頭車のいずれも制御電動車(デハ20000形、クモハ371形)とし、運転台の構成も極力合わせるようになっていました。
さらに、20000形RSE車と371系が設計された頃は、1980年代末期のいわゆる「バブル経済期」でもあり、接客設備はよりハイグレードになるように凝らしたものでした。特に3号車と4号車は、当時の流行りでもあったダブルデッカー構造とし、20000形RSE車はサハ20050形、371系はサロハ371形が組み込まれていました。形式名だけ見ると小田急はサハ、JR東海はサロハで317系にはグリーン車があり、20000形RSE車にはそれが二ように思われます。しかし実際には、小田急の形式称号に特別車両を表す「ロ」の設定がなかっただけで、サハ20050形には特別席が設定されていたので、小田急線内では特別席として、JR線内はグリーン車として運用されました。
20000形RSE車はダブルデッカーだけでなく、3・4号車以外の車両もやはり当時の流行りとなっていたハイデッカー構造も採用しました。10000形HiSE車がハイデッカー構造で好評だったことから、20000形RSE車にも採用したのでした。他方、371系はハイデッカー構造ではなく普通の平床でしたが、側窓の面積を広くとることで「ワイドビュー」の名に恥じない眺望を楽しむことができたのです。
20000形RSE車と371系に置き換えられ、特急列車へと格上げとなった「あさぎり」に、もう一つ大きな変化がありました。「あさぎり」の運転開始以来、キハ5000形・キハ5100形、そして3000形SE車と乗り入れる車両が変わっても、小田急の運転士と車掌が御殿場線を含む全区間に乗務していました。しかし、この変則的な乗務員運用は、国鉄側の事情によるものでしたが、分割民営化によってJR東海が継承したので、そのような「お家事情」もなくなったのでした。
こうしたことから、1991年の相互乗り入れと特急格上げとともに、小田急の乗務員による御殿場線の「あさぎり」乗務は終了し、これ以後は小田急の乗務員は松田駅まで、松田駅より先、御殿場・沼津まではJR東海の乗務員が乗務することに改められたのでした。
30年以上も走り続けた名車ともいえる3000形SE車から、バブル経済を背景としてリゾート色が色濃くなり、接客設備も大幅にグレードアップした20000形RSE車と371系に置き換わった「あさぎり」は、富士南麓やそこから富士五湖、さらには沼津、駿東地域のリゾート地に向かう多くの観光客が利用しました。いわば、「あさぎり」の絶頂期ともいえる時代だったのです。
御殿場線へ直通する特急「あさぎり」用として開発された20000形RSE車は、JR東海との相互乗り入れの協定に基づいて、基本仕様を371系と揃える形になった。その一方で、小田急線内のロマンスカーとしても運用することも考慮され、「はこね」などの列車にも充てられ箱根への観光輸送にも活躍した。(小田急20000形RSE車 読売ランド前ー百合ヶ丘 2004年8月 筆者撮影)
ところが、そんなリゾート色色濃い観光輸送も長くは続きませんでした。バブル経済の崩壊とともに駿東地域のリゾート開発は頓挫、景気の低迷によって賃金が上がらず可処分所得も減り、さらには就職難の時代が訪れました。このような経済状態の中で、高級リゾート地へ向かう観光客が激減したのは想像に難くないでしょう。「あさぎり」と連絡していた西伊豆方面に向かう特急バスは削減されるなど、取り巻く環境は厳しくなっていきました。
また、マイカーへの移行や新宿駅と箱根を結ぶ高速バスの台頭は、「あさぎり」にとって致命的とまで言わないまでも、大きな爪痕を残すには十分でした。それでも、新宿という都心と御殿場線沿線を結ぶ役割は大きく、「あさぎり」はバブル期ほどの利用率はないまでも、一定数の利用があったことで生きながらえることができたのです。
20000形RSE車と371系は、原則として「あさぎり」に充てられていましたが、これ以外の列車の運用に入ることもありました。例えば、20000形RSE車は平日に「あしがら」と「はこね」のそれぞれ1本に充てられ、土休日には「はこね」の1,5往復を担当していました。また、371系はJR東海の車両であるにもかかわらず、小田急線内だけの「ホームライナー」の運用にも充てられていました。
しかし、登場から5年しか経っていない20000形RSE車は、平日の「あさぎり」以外の予備運用から外され、土休日の「はこね」4往復を担当するようになります。それでも、「あさぎり」以外の運用を担い続けたことは、ロマンスカー用の車両としては異色の接客設備をもっていたにも関わらず、箱根特急の貴重な戦力として重宝されたのでした。
とはいえ、20000形RSE車と371系、そして「あさぎり」の沼津乗り入れは、先代の3000形SE車が活躍した35年から比べると、比較的短い期間で歴史に幕を下ろすことになってしまいました。
《次回へつづく》
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