旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産~新会社へ遺産として残した最後の国鉄形~ 北海道と四国、異なる地で走り続けるステンレス製気動車・キハ54形【4】

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《前回からのつづき》

 

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 車体も従来の国鉄気動車とは一線を画する新機軸が導入されます。

 キハ54形が開発された1986年には、国鉄もオールステンレス車の導入を本格的に進めていました。従来、オールステンレス車東急車輛が親会社である東急電鉄のために、アメリカのバッド社から技術供与を受けて実現できたものでした。そのため、バッド社とのライセンス契約と、東急車輛が他の車両メーカーに対して優位にたつことができるように、その製造技術は開示されることなく、長らく高価であるとともに、同社の独占状態が続いていました。

 しかし、1985年に国鉄205系を導入するにあたって、国の公共企業体である国鉄が、特定の車両メーカーだけに発注することが、国の公共企業体である国鉄が発注をすることは好ましくないなどの理由から、東急車輛にその技術を他のメーカーに開示するように迫ります。もちろん、苦労して手に入れた技術をそう簡単に公開することを渋ったことは容易に想像できることですが、そんなことなど構うことなく国鉄は開示を迫ったのでした。

 結局、国鉄の圧力に抗うことは叶わず、東急車輛がオールステンレス車の製造技術を開示すると、それまでバッド社からの技術提携によって製造してきた東急車輛の半ば寡占ともいえる状況から脱し、205系は本格的な生産に入ることを可能にしたのです。そして、このときから鉄道車両は従来の普通鋼製からステンレス製への転換が始まったといえるでしょう。

 

かつて、オールステンレス車東急車輌の専売特許のようなもので、その導入は一部の大手私鉄などに限られていた。しかし、ステンレス鋼の耐候性と耐腐食性は非常に優れているため、国鉄もこれの導入を考えていたものの、高価であることや公共企業体が一社のみに車両を発注することへの不公平性などから踏み切れずにいた。しかし、205系の開発を契機に、国鉄東急車輌に対して、言葉通り、製造技術の開示をさせて、ようやくステンレス車の導入を可能にした。205系はその第一陣で、この後国鉄やJR各社はステンレス車の導入を積極的に進めた。(205系ナハ43編成 久地ー宿河原 2004年8月25日 筆者撮影)

 

 キハ54形はこうした205系の量産が実現したことで、国鉄としてはステンレス車体をもつ初の量産気動車となりました。車体は205系で得たノウハウを投入し、側面はビートを入れることで強度を保たせたもので、1980年代後半のステンレス車によく見られるものとなりました。

 ステンレス製になったことで、車体の塗装は廃止されます。塗装工程がなくなるということは、その分のコストを軽減することが可能です。また、塗装することでその分の重量も重くなるので、車両重量を削減することができました。加えて、普通鋼製と比べて重量を軽減でき、何よりステンレスは腐食にも強いので、保守性の向上とエンジンへの負担も軽くなるので燃費の向上にもつながりました。

 前面デザインは、当時、赤字ローカル線を転換させて誕生した三セク鉄道が導入した新潟鐵工所製のNDCのものとほぼ同じでした。貫通扉を備え、2両以上で編成を組んだときに乗客の往来を可能にしたほか、運転士側と助士席側の窓上には、黒色ジンガーと処理をほどしていました。この左右の窓上には行き先を行持する方向幕窓を、助士席側には

 キハ54形は温暖な四国と、冬季は極寒で気象条件の厳しい北海道という、相反する地域での運用を前提としていたため、暖地向け仕様の0番代と、耐寒耐雪装備を施した極寒地仕様の2種類が設計され、前者は0番代、高射は500番代に区分されました。

 暖地仕様の0番台は、側窓には幅1080mmの二段式ユニットサッシが設けられました。これを挟むように乗降用扉も設置されましたが、国鉄気動車としては同時期に製造された九州向けのキハ31形や四国向けのキハ32形と同様に、幅900mmの折戸が採用されました。

 

国鉄分割民営化は、様々な面で大きな変化を与えるきっかけになった。JR東海は新潟鐵工(現在は新潟トランシス)が製造する三セク・地方私鉄向けの軽快気動車NDCシリーズをもとにしたキハ11形を導入。エンジンはカミンズ製のC-DMF14HZAを搭載するなど、大きな変化を遂げている。一方で、車体は自社設計にこだわらないため、NDC氏ローズに共通した意匠となった。キハ54形もこのNDCシリーズに通じる前面デザインだといえる。(キハ11 202 那珂湊駅 2016年10月9日 筆者撮影)

 

 この折戸は従来の国鉄形車両が装備していたものとは異なり、下の部分まで窓を拡大させたもので、バスの乗降用扉に類似した形状でした。そして、乗降用扉を開閉させるためのドアエンジンはバス用のものを流用し、さらに折戸としたことで引き戸のような戸袋窓を必要としなかったため、車体の製造コストと保守にかかる手間とコストの削減を実現する一方、高速で走行する鉄道車両なので、速度検知式の自動ドアロック機能が追加されるといった安全面を配慮した機能も装備されました。

 また、乗降用扉の位置は乗務員室すぐ後ろ、すなわち車端部よりに設けられました。これは、将来のワンマン運転による運行のときに、運転士が運賃などを収受することを考慮したレイアウトでした。実際、後年になりワンマン運転が実施されると、このレイアウトを活かして車内の乗務員室出入口には運賃箱が設置され、乗務員室仕切り上部には路線バスなどでも見られる運賃表が設置され、運転士は席から離れることなく乗客から運賃を収受するようになりました。

 

《次回へつづく》

 

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