旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

Column:「銀釜」とともに去っていった「角目」のEF81【前編】

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 1987年の分割民営化によって説路津されたJR貨物は、その当初から経営が非常に厳しいことが予想されていました。国鉄時代は1960年代以降に進展したモータリゼーションの波に飲み込まれるとともに、労使関係の極端な悪化を原因とするストに頻発、発駅から着駅まで何度も操車場を経由する輸送方式が時代遅れになるなどで顧客離れが激しくなり、結果として貨物輸送は赤字を生み続ける存在になっていたからでした。

 1984年のダイヤ改正で貨物輸送は大規模な改革が断行され、従来の車扱輸送からコンテナ輸送へのシフト、それとともに操車場の廃止とこれらを経由する輸送方式から、発駅から着駅まで直行する拠点間輸送への転換をしたものの、一度離れていった顧客を取り戻すのは容易ではありませんでした。

 そうした中での分割民営化と新会社への移行は、鉄道による貨物輸送そのもの存廃にかかわるとさえ囁かれていたようですが、結局は日本全国を営業エリアとする唯一の鉄道事業者として、JR貨物が設立されたのでした。

 ところが、大方の予想に反してJR貨物の輸送量は増加の一途を辿っていました。1980年代中頃から始まったバブル景気と呼ばれる好景気は、企業の投資や消費者の購買意欲を旺盛にしました。そして、これに呼応するようにして物流の需要は増加の一途を辿り、もはやトラック輸送だけでは支えきれないところまでになりました。特にトラック輸送を担うドライバーの不足は社会問題にもなり、その溢れた貨物の受け皿として鉄道輸送の利用が増加したといえます。

 JR貨物にとっては思いもしない輸送量の増加に嬉しい悲鳴(?)を上げるほどでした。増える一方の輸送量を捌くため、あの手この手と手を打とうとしますが、もっとも効果があるのは列車の増発です。しかし、JR貨物鉄道事業者ではあるものの、自らが設置・保有する線路はごく僅かで、ほとんどを旅客会社が保有する線路を借りて営業列車を運行する第二種鉄道事業者なので、列車ダイヤの設定は自らができる立場ではありませんでした。

 それでも、分割民営化からまだ間もない時期だったため、かつては「同じ釜の飯を食う」仲間でもあったためでしょうか、旅客会社も可能な限り貨物列車の増発を設定しました。

 輸送力を増強するため列車の増発がされても、問題はこれだけではありませんでした。

 分割民営化の時に、JR貨物には必要最小限とされる車両が継承されたのですが、増発によってこれが不足してしまったのです。

 コンテナ輸送を担うコンテナ車は、コキ50000形を主力にコキ5500形やコキ10000系といった国鉄から継承した車両を総動員していました。とはいえ、コキ50000形は12ft5tを最大5個積むことができますが、コキ5500形やコキ10000系は12ft5tコンテナを4個までしか積むことができません。これは、製造当初は10ft5tコンテナ、いわゆる「1種コンテナ」を5個積みとしていたためで、後に12ftサイズである「2種コンテナ」に移行してしまったため、最大で4個までしか積めなくなってしまったのでした。

 そこで、コキ5500形の全長をストレッチ改造したコキ60000形を投入しますが、初戦は改造車なので様々な制限が伴っていました。

 また、列車の運転速度を向上させる方策も採られていました。主力であるコキ50000形は最高運転速度が95km/hでしたが、これを100km/hに引き上げるためにブレーキ装置の応答性を高めた250000番台を、さらに110km/hで走行できるように電磁自動空気ブレーキに改造した350000番台をそれぞれ投入して、輸送力増強に充てたのでした。しかし、根本的には解決に至らなかったことや、積載容積を高めるために規格外コンテナや、将来のISO規格海上コンテナを積むことも視野に入れたコキ100系を、分割民営化直後の1987年から増備してこれに対応していました。

 主力であるコンテナ車は次々と増備、旧型車両の置き換えを進めて輸送力の増強を図っていましたが、その一方で列車の増発とともに機関車も不足してしまうことになりました。JR貨物は機関車の増備もする必要に迫られたものの、けして潤沢とはいえない財源からその費用を捻出しなければならないことから、国鉄時代に余剰車として廃車になり、国鉄清算事業団保有となって解体処分の列に並んでいた車両の中から、状態のよいものを選んで買い取り、運用に戻す整備をした上で車籍を復活させて現役復帰させて、戦力の一員としました。

 

分割民営化後、鉄道貨物の輸送量増加は当初の想定とは異なる展開になった。そのため、JR貨物は輸送力の増強を迫られることになり、列車の増発などでこれに対応していた。当時はコキ100系の量産も始められ、コンテナ車を中心とした増備は進められていたが、機関車に関しては本命であるEF200形の開発が遅れていたことから、当座を凌ぐために国鉄時代に廃車になり、清算事業団保有する車両を買い取るなどしていた。一方で、EF66形やEF81形は全車が新会社に継承されていたため、適当な中古機がなかった。そこで、国鉄時代の設計をそのままに再度増備をする「リピート・オーダー」として再生産をすることにした。EF66形100番台もその一つで、基本性能は同一ながら時代に合わせた改良を施していた。(EF66 101〔吹〕 戸塚ー大船 2020年11月24日 筆者撮影)

 

 とはいえ、もともとが古い車両であり、一度は現役から退いていき、野ざらしのまま放置されてしまったため、整備したとしてもそれほど長く使うことは想定していなかったようです。そして、いずれこれらの「復活釜」の代わりとなりつつ、当座の主力機として国鉄時代に設計・製造されていた車両を再び発注して製造することにしました。

 このいわゆる「リピート・オーダー」として製造されたのが、EF66形100番台とEF81形500番台、そして450番台でした。いずれも基本設計は国鉄時代に製造されたものとしつつ、時代に合わせた改良と、旅客列車を牽くことはない貨物列車専用機としての仕様変更がなされました。

 そして、門司機関区に配置されたEF81形450番台は、1991年のダイヤ改正によって貨物列車の増発に対応するために、日立製作所にてまず2両が製造されました。そして、筆者が鉄道マンになって初めて赴任した地である福岡の門司で、このカマに出会うことになりますが、国鉄形でありながらも新しい時代を連想させるその姿に、一発で魅了させられたのでした。

《この稿の続きは4月7日に掲載予定です》

 

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