旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

九州を走った北陸育ちのF級交流電機 EF70形【4】

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《前回からのつづき》

 

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北陸本線の鉄道輸送を支えてきたEF70形は、EF81形の万能性の前になすすべもありません。EF81形が増備するに連れて、EF70形はその仕事を奪われていき、運転区所や留置線のある駅で使用されずに放って置かれる姿が多くなっていきました。よしんば仕事があったとしても、EF81形の所要数が足りずに溢れた「おこぼれ」的な運用に甘んじるか、EF81形の検査や故障で代走する運用に入る程度になります。

 特に、機関車出力が若干低い一次車は、EF81形の導入とともに休車措置がとられるものも続出し、まさしく「放置」される状態になっていったのでした。

 北陸本線の交流電化開業とともに、輸送力増強の要として期待されたEF70形も、交直流機の万能さをもったEF81形の前には、まさに交流機であることの汎用性のなさが裏目に出てしまった形になったのでした。

 しかし、製造から10年しか経っていないにもかかわらず、高い金額を投じて製造した機関車を、用途を失わせて余剰化させてしまったことは問題となりました。既にお話したように、EF70形の調達には鉄道債券の発行という形の借金と、5年間の分割払いという民有車予算で賄われています。特に、借金をしてまでつくった高価な機関車が、10年程度で用済みとなってしまっては、国鉄の財政を監督する会計検査院も黙っていませんでした。

 実際、国鉄は見通しの甘さと、必要だから借金をしてでも新製するという体質があったといいます。手持ちのものを上手にやり繰りして、本命の登場まで待つということが難しかったことと、EF70形でいえば電化方式の僅かな違い(北陸本線60Hz、羽越本線奥羽本線が50Hz)が、こうした悲運をつくったともいえます。

 さすがに10年程度で廃車にしてしまっては、会計検査院から厳しい指摘を受けることになります。なにより、借金をしてまでつくったのですから、それを廃車にして鉄屑にしてしまえば、以後、国鉄が鉄道債券を発行しても買い手がなくなりかねません(実際はそのようなことはないのですが)。

 そこで、北陸本線で仕事を失ったEF70形の転職先を探すことになりました。

 

直流区間・交流区間の両方で運用できるEF81形の登場は、EF70形にとって自らの存在価値を失う存在でもあった。しかし、国鉄は今日のようなEF81形のロングラン運用はしなかったため、かろうじて運用が残っていた。しかし、最盛期と比べれればその数は少なく、初期形は運用から外されることを余儀なくされた。その一方で、後期型が九州へ転出すると所要数が不足したことで、再び運用に戻されたもののその期間は長くはならなかった。(©spaceaero2, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 交流20kV60Hzに対応したF級機なので、行き先は限られていました。

 同じ電気方式で電化されているのは、日本では九州しかありません。

 国鉄は、余剰となったEF70形を九州に転用することにしました。この転用劇は、EF70形と同じ時期に製作されたED74と同じものでした。皮肉にも、D級機と作り分けることは得策ではないということで、ED74の新製をたった4両で打ち切らせ、北陸本線の主役になったEF70形も同じ運命を辿ることになったのです。

 

 九州への転用は、同じ頃に門司機関区に配置されているED72形・ED73形の老朽化によるものでした。交流電機の黎明期に、九州用として製作されたED72形・ED73形は、製造から既に20年近くが経っていたことと、もともとが主変換機に水銀整流器を使用していたものの、その取扱と整備性の難しさからシリコン整流器に取り替え、それによって性能低下もきたしていたからともいえます。

 門司区配置のED72形・ED73形の老朽取替用としての転用が決まったEF70形は、出力の低い1次形ではなく、2次形から選ばれました。それも、61〜81号機と最も新しい車両が選ばれました。

 その理由として考えられるのは、新製から日が経っていない状態のよい車両を充てることで、転用後の故障などを防ぐことが目的だったといえます。機関車も機械ですから、経年機を改造すると目に見えぬ形で不具合を抱えることになり、運用中の故障率も上がってしまいます。その点で、車齢が若ければ、そうしたことも少なく済むと考えられたのでしょう。

 もう一つは、EF70形を受け入れる門司機関区にも配慮したと考えられます。それまで、門司区に配置された電機は、交流、交直流問わず新製機が配置されてきました。水銀整流器に起因する不具合が頻発したものの、ED72形とED73形は新製機でした。増備として新たに配置されたED75形形300番代、さらに蒸気発生装置を搭載した客貨両用の九州向け交流機の決定版ともいえるED76形も、すべて新製した車両でした。そうした中に、北陸本線で使われ余剰となったEF70形は、門司区配置の機関車の中では例を見ない「中古機」だったのです。ですから、受け入れる側としては、できる限り状態のよい車両を望むのは、当然のことといえます。

 こうした事情を背景に、九州向けに転用されることになったEF70形 61〜81号機は、九州では使用しないスノープラウの撤去など、改造はごく僅かでした。

 

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