旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 効率輸送を目指したピギーバック用車運車・クム1000【2】

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《前回からのつづき》

 

 1986年から本格的にピギーバック輸送がはじめられましたが、実際にはそれ以前から研究が進められていました。1966年に試作されたクサ9000形は、トレーラーの荷台部分のみを積載するピギーバック用車運車でした。

 クサ9000形は「カンガルー方式」と呼ばれる方法で、タイヤ部分を車体のくぼみに落とし込むものでした。タイヤが落とし込まれる分、積載したトレーラーの高さを低く抑えることができるので、車両限界を超えないというメリットがあります。しかし、トレーラーの積み下ろしに専用の荷役機械を必要とし、手間と時間のかかることから、同時期に開発が進められていたISO規格20フィート10トンコンテナの方が荷役などに有利であることなどから、本格的な実施には至りませんでした。

 コンテナ輸送が本格化していくと、わざわざトラックを貨車に載せて輸送するピギーバックをするメリットがなかったことから、国鉄はクサ9000形の試作と輸送試験を実施しただけで途絶えましたが、1983年になると再びその機運が高まりました。

 クサ9000形と同時期に超低床の車運車として開発されたクラ9000形種車に、トラックを載せることができる新たなピギーバック用車運車としてチサ9000形が幡生工場で改造されました。

 形式名が示すように長物車に分類されていますが、外観は落とし込み式の大物車に似たような構造で、低くなっている部分に4トントラックを載せるというものでした。この低床部の高さは僅か400mmというもので、当時、コンテナ車の主力になりつつあったコキ50000形の床面高さが1100mmであることと比べると、類を見ない低さだったことがわかります。

 チサ9000形はトラックの積み下ろしを自走する方式を採用しました。積み下ろし用のランプウェイから直接貨車に乗り込み、中央の低床部に固定するものでした。台車部分は低床貨車用の試作台車であるTR901形を装着していましたが、台車部分は高さが異なっていたものの、特に問題もなくトラックは自走で車両に積み下ろしができ、実用上の問題がないことが確認されました。

 そして、1984年に山陽本線で試験走行を、さらに1985年から翌86年にかけて東京貨物ターミナルー東小倉間の営業列車に連結されて試験が行われ、荷役を含めて実用上の問題がないとされたものの、やはり車両限界の関係からトラックのサイズに制限を加えなければならないことや、積載できるトラックは1台に留まることなどから、やはり実用化が見送られてしまいました。

 ところが、チサ9000形の試験が終わるか終わらないかのタイミングで、国鉄はピギーバック輸送を実施することを迫られました。こうして登場したのがクム80000形だったのです。

 クム80000形は平床の車体を備えたピギーバック用車運車で、4トントラックを2台載せることができます。チサ9000形で課題になったトラックの車高は、荷台になるアルミバンの天井部分を車両限界に合わせた丸屋根にすることで、一定の積載量を確保することにしました。また、荷役はトラックがランプウェイから自走する方法を採用、特別な荷役機械を必要とせず、車両間には渡り板を装備していました。

 台車は廃車になったク5000形からの発生品であるTR63CF形を再利用し、ブレーキ装置はコキ50000形の高速化改造車である250000番台と同じ応荷重装置付CL方式自動空気ブレーキを装備し、最高運転速度は100km/hの性能をもっていましたが、実際の運用では95km/hに抑えられていました。

 こうして国鉄の分割民営化を目前に控えた1986年11月のダイヤ改正からピギーバック輸送が実施されると、ドライバー不足に悩まされていた運送会社が利用を始め、市中で集荷した宅配便貨物を積んだまま、トラックだけが貨物列車で輸送されるようになったのです。

 

トラックを直接貨車に載せて輸送する「ピギーバック輸送」は国鉄時代から注目されていた。様々な試作車がつくられて試験を行ったが、決定打になるものが現れなかった。しかし、1984年2月の「ゴー・キュウ・ニ改正」によって車扱貨物からコンテナ貨物へのシフトや、拠点間輸送方式への移行などにより鉄道による貨物輸送は大きく変化した。また、1980年代中頃からの好景気による貨物輸送量の増加などによって、ピギーバック輸送を実施することになり、クム80000形が製造されて運用が始められた。(パブリックドメイン

 

 1987年に国鉄が分割民営化されると、クム80000形はJR貨物に継承され、ピギーバック輸送もそのまま継続されました。

 その一方で、鉄道貨物の輸送量は増加の一途をたどり、当初の予測とは大きく外れた好調ぶりでした。そして、東海道本線の輸送量は逼迫しつつあるものの、列車のダイヤ編成は線路を保有する旅客列車の専権事項であり、容易に貨物列車を増発することは叶いません。とはいえ、輸送力の増強は喫緊の課題となっていたことから、JR貨物はコキ50000形350000番台で実現した110km/hの高速性能と、ISO規格コンテナを積載できる低床化したコンテナ車として、新たにコキ100系を開発増備して対応しました。

 コキ100系は新たに開発したFT1形台車を装着し、ブレーキ装置は応荷重装置付電磁自動空気ブレーキを装備して、最高運転速度110km/hで走行することを可能にしました。このコキ100系の増備と本格的な営業列車に投入したため、併結されるピギーバック輸送用車運車も同じ性能をもつ車両が必要になったのでした。

 こうしたことが背景となり、JR貨物は新たな車運車としてクム1000系を開発したのでした。

 

《次回へつづく》

 

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