旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

ダイヤモンドカットよ永遠に 東急電鉄7200系【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 今でこそ、鉄道車両の多くはステンレス鋼を使うことが当たり前になっています。ステンレス鋼は普通鋼と比べて腐食に強く、そして軽量であること、そして塗装を必要としないメリットがあります。腐食に強いというのは非常に重要で、常に風雨にさらされるという過酷な使い方をされるので、普通鋼であれば錆が出てしまうところを、ステンレス鋼ならこれを避けることができます。

 また、その錆を防ぐために普通鋼は塗装も必要とします。この塗装という工程は手間と材料のかかるもので、塗装をするための人員が必要となり、しかも職人技でもあるので、養成するためには多くの時間を必要とします。加えて1両を塗装するためには大量の塗料が必要であり、しかもその塗料は耐候性と耐腐食性を要求され、その色もラインカラーや自社の規定などに合わせるため、塗料メーカーに調合をしてもらう特注品です。そのため、塗料のコストも割高になるなど、多くの面で経済的に不利になってしまいました。

 こうした中で鉄道事業者、特に大手私鉄では様々な方法で運用コストの軽減を実現させようと画策していました。東京メトロの前身である帝都高速度交通営団営団地下鉄)では、従来の抵抗制御からエネルギー効率の高い電機子チョッパ制御の開発に力を入れるとともに、車両重量を大幅に軽減できるアルミ合金を使った車両を誕生させました。

 電機子チョッパ制御は半導体素子を使った電圧制御で、抵抗器を使わないことで電気エネルギーを熱エネルギーに変換して捨てることがないので、力行時には必要な電力を使うことができました。同時に電力回生ブレーキも使うことができるので、制動時には主電動機を発電機として使い、そこから生み出された電力を集電装置を通して架線に戻し、その電力は他の列車が力行時に使うことで、電力使用量を抑えることを実現できます。しかし、主制御器に使われている半導体素子は発熱しやすく、その熱が半導体素子を破損してしまうことから、冷却方法に苦労したようでした。

 その一方で、東急電鉄営団地下鉄とは異なる方法で、恋率製の優れた車両を開発していきました。初代5000系の改良型として、構体は普通鋼のままで車体外板にステンレス鋼を使ったセミステンレス車を開発し、車両の塗装を省略させました。塗装工程を省略できることは、塗装に関わる人員を確保しないで住み、塗料自体も使わないので大幅なコストの軽減を実現させました。

 そして、試作的要素の強かった初代6000系では、台車1基につき主電動機も1期だけ搭載した直角カルダン駆動を採用し、車両自体の消費電力の削減を狙いました。もちろん、5200系と同様にセミステンレス車としたので、塗装もなく外板にステンレス鋼を使っていたため、ある程度の軽量化を実現させます。しかし、制御方式は抵抗制御を変わらなかったものの、電力回生ブレーキを採用したことで、消費電力を一定程度削減することができました。

 

1960年から翌年にかけて製造された6000系(初代)は、5200系に続いて外板にステンレス鋼を使った車両として登場した。5200系は5000系の設計を基本としていたのに対し、6000系は将来の地下鉄線乗り入れを視野に入れた車体構造にするとともに、1台車1モーター、直角カルダン駆動を採用した試作要素の強いものだった。この6000系の運用実績をもとに、本格的な量産車となる7000系の開発へとつながっていった。(©Hahifuheho, CC0, via Wikimedia Commons)

 

 しかし、東急電鉄6000系で満足することはなく、さらに最新の技術を使ったより効率性の優れた車両の開発を模索していくことになります。

 東急電鉄はグループの傘下に東急車輛という、車両製造を専門にするメーカーをもっていました。そこで、より効率性に優れながら、車両自体が腐食などに耐え、アルミニウム合金よりはるかに強度を保つことができる、オールステンレス車の開発を託したのですが、これがなかなかうまくいきませんでした。

 そのそも、ステンレス鋼は耐食性に優れ、一定程度の強度を保つことができます。しかし、当時の技術ではステンレス鋼同士を溶接するためには、かなり高い技術力が要求されるため、日本のもつ技術力ではこれに対応できませんでした。

 しかも、営団地下鉄日比谷線との相互乗り入れが決まると、地下線内から勾配を駆け上がることができる性能と、地下鉄を走行するため運輸省のA-A基準に準拠した構造、そして日比谷線で採用されたWS-ATCを装備するなど、同じく乗り入れる東武鉄道とともに営団地下鉄との協定に則った車両が必要になりました。

 そこで、これらの性能と装備、規格に合わせた車両として、東急電鉄が新たに1962年から製造したのが7000系でした。

 7000系6000系までの経験をもとに、ごく僅かな部分を残してすべてステンレス鋼でつくられた日本初のオールステンレス車でした。台枠や構体、そして車体外板はすべてステンレス鋼が使われ、セミステンレス車と比べて雨水などによる腐食の心配がなくなりました。とはいえ、前述のようにステンレス鋼は加工が非常に難しい鋼材で、当時の日本の技術ではこれを実現することは至難の業でした。

 そこで、東急はステンレス加工の技術の導入を、海外に求めました。数ある海外の鉄道車両メーカーの中でも、ステンレス鋼を加工する技術を持つアメリカのバッド社と技術提携を結び、同社の指導のもとで7000系を開発したのでした。

 もともと東急は新機軸の導入に積極的な鉄道事業者です。戦後まもなく製造した5000系は、航空機の機体製造技術であるモノコック構造をいち早く採用し、大幅な軽量化を実現させていました。6000系では前述のように直角カルダン駆動の採用と、1台車1モーターという経済性を追求した車両を製造しています。このような新機軸の導入は、いかにして車両の運用コストや、軌道への負担軽減を図り保守コストを軽減することを目的としていたのです。コストの軽減は、顧客となる沿線の利用者の運賃負担を軽減させ、その効果として東急線沿線に住む人を呼び込むことをねらっていたと考えられます。また、鉄道事業自体も利益率を確保することで、利用者と鉄道事業、そして沿線の開発を担う不動産事業すべての面で好循環を生むと考えられたのです。

 こうした事業経営の思想のもとで、東急はオールステンレス車である7000系を開発したといえます。

 

《次回へつづく》

 

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