《前回からのつづき》
7200系のもう一つの特徴として電動車は1両で完結することだといえます。吊り掛け駆動を採用していた旧型車の時代は、主制御器と主抵抗器といった主機類と、空気圧縮機などの補機類は1両の車両に搭載することができ、電動車は1両単位での運用が可能でした。しかし、カルダン駆動が採用された新性能車は、国鉄101系をはじめとして主機類と補機類は別々の車両に搭載し、2両1ユニットで運用することが前提となりました。
このユニット方式(MM’ユニット)では、電動車はM車とM’車を必ずユニットとして連結しなければならないため、車両の形式構成によっては短い編成を組むことが困難でした。国鉄・JRでいえば、103系ではMC+M’+Tcの2M1Tを組む3両編成が最短であり、205系ではTc+M+M'+Tcの2M2Tの4両編成が最短でした。そのため、輸送量が少ない線区にはそのままでは充てることができないため、後に浜川崎支線のような2両編成で十分なところでは、改造車としてMc+M'cの2両をようやく充てることができたのでした。
他方、7200系は地上線用として割り切った性能としたことや、本線格である東横・田園都市各線だけでなく、将来的には支線格である目蒲・池上の両線での運用も考慮したため、電動車を2両1ユニットとするのは経済的ではありませんでした。そこで、当時に製造された新性能電車としては珍しく、電動車は1両で完結する1M方式としたのでした。これによって、柔軟に編成を組み事が可能になり、例えば5両編成を組む場合にはTc+Mc+Tc+M+Mcのようにすることができ、同時に目蒲・池上の両線ではTc+M+McやTc+Mc+Mcのような編成を組んで3両編成として運用することもできたのでした。
7200系は台車も大きく変わりました。付随車は7000系と同じパイオニアⅢを装着しましたが、電動機を装着する必要がないため、ブレーキ装置は台車枠の内側に取り付けられたPⅢ−707(TS-707形)に変わり、その外観も変化しました。他方、電動車はパイオニアⅢではなく、東急車輛が新たに設計したTS-802形を装着しました。この台車は、パイオニアⅢのような奇抜なものではなく、枕ばねはインダイレクトマウントの空気ばねとし、軸箱もコイルばねを使ったペデスタル式とされ、ブレーキ装置も片押し式の踏面ブレーキとするなど保守的な設計となりました。
蒲田駅を後にする池上線の7200系7256F。方向幕は白地に黒文字で、まだ手動式であった。側面の方向幕がないなど、比較的製造時の形態を残していた。1987年当時は3両編成を組んでいたが、後に目蒲線が4両編成化されるとクハ7557と次位に連結されているデハ7257は廃車となり、五反田方先頭車のデハ7256だけが残って7203Fに組み込まれた。東急で廃車になったクハ7557は、同じ東急グループの上田交通に譲渡されて、信州の地で活躍した後に、同じ東急電鉄から譲渡されてきた1000系に置き換えられて2008年に廃車となった。次位のデハ7257も上田交通に譲渡されたが、2008年に廃車されたものの豊橋鉄道に再譲渡され、モ1860と形式を改めて先に豊橋に来ていたデハ7256とともに、2025年現在も活躍を続けている。(7200系7256F 蒲田駅 1987年5月頃 筆者撮影)
7000系に代わって1966年から製造が始められた7200系は、当初はデハ7200形とクハ7500形の2形式のみでした。そして、Mc+Tcで組成した2両編成を2本つなげた4両編成を組んで、計画通り田園都市線(大井町−長津田)での運用に充てるため、鷺沼検車区(当時。後に長津田検車区に移転し、鷺沼検車区の跡地は帝都高速度交通営団に譲渡、一部は長津田検車区鷺沼車庫として現存)に配置されました。
翌1967年にも同様に、1M1Tの2両編成が増備されて、同じく田園都市線に投入されました。2両編成を2本連結した4両編成で田園都市線の運用をこなせるのかと考える方もおられると思いますが、当時はまだ開発が始まる前のことであり、例えば川崎市にある宮前平駅のすぐ側には藁葺き屋根の民家があったり、横浜市にある市が尾駅の近くにはまだ農地がのこっていたりするなど、今日のようなニュータウンなど遠い先の話であり、「田園風景」の中をのんびりと走る鉄道だったのです。そのため、利用者も少ないため、鷺沼駅では分割併合が行われ、大井町方面からやってきた列車はここで編成を分割、鷺沼以西は2両編成で運行されるのが当たり前という、現在では考えられない運用だったのです。
1969年になると再び増備がされますが、このときは先頭車ではなく中間電動車となるデハ7300形とデハ7400形が新たに製造されました。どちらもデハ7200形と同じ1M方式の電動車で、主制御器や主抵抗器をもつものの、デハ7300形は空気圧縮機などの補機類を搭載せず、これを搭載したデハ7200形やデハ7400形を編成中に連結することを前提としていました。
中間電動車であるデハ7300形とデハ7400形が登場すると、それまで2両編成を組んでいた車両の組み換えが行われました。そして、これら2形式を1両ずつ組み込んだTc+M+M+Tcの4両編成が登場するとともに、既存の2両編成を連結させてTc+M+M+Tc-Mc+Tcの6両編成としました。しかし、この6両編成は沿線の開発が進められる前の田園都市線では過剰なものとなってしまうため、鷺沼区から元住吉検車区へ配置転換し、東横線での運用に充てられました。
《次回へつづく》
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