《前回からのつづき》
愛知県の豊橋鉄道は、7200系を数多く購入した鉄道事業者です。名鉄系でありながら、東急から7200系の譲渡を受けて、1800系と形式を変えて今もなお運用を続けています。また、同じ東急グループの上田交通も、7200系を導入した鉄道事業者です。こちらは、1000系の譲渡を受けたことで7200系の運用を終了しましたが、豊橋鉄道に再譲渡しています。
2002年に東急電鉄で廃車除籍された7200系のうち、デハ7211とデハ7259の2両は、十和田観光電鉄に譲渡された。十和田には、かつてデハ3650形やデハ3800形、クハ3850形を譲渡した実績があった。譲渡に際して、両運転台化の改造を施し、後位側にも乗務員室と運転台を設置した。そのため、前位側のダイヤモンドカットとは異なり、オーソドックスな切妻の前面になった。8500系にも類似するデザインだが、車体断面の形状が微妙に異なるため、屋根が深く見える。前位側前面は大きな変化はなく、東急時代と同様に太い赤帯が巻かれている。2012年に十和田観光電鉄線が廃止になったことで同時期に青森の地にやってきた7700系共々仕事を失っい余剰となったが、2014年に大井川鐵道に再譲渡されて新たな活躍の場を得た。(上:デハ7204 下:デハ7305 新金谷駅 いずれも2016年4月29日 筆者撮影)
かつて青森県にあった十和田観光電鉄は、旧型車を一掃するために7700系とともに東急線で最後まで残った7200系を、両運転台化の改造を施して導入しました。しかし、同社は東北新幹線の延伸による煽りを受けて経営が悪化し、2012年に鉄道事業を廃止してしまいました。7200系はそのまま廃車となり、解体されるかと思いきや、今度はSLの保存運転で名高い静岡県の大井川鐵道に移籍して、2025年現在も走り続けています。
製造からすでに59年が経ったにも関わらず、多くの7200系が現役で走り続けているのは、やはり基本的な構造が強固な設計であることや、代わりとなる車両が入手しにくいという事情もあること、長引く景気の低迷と沿線の過疎化、高齢化により鉄道事業自体の経営が厳しいことなどの条件が重なり、中古車の譲受や新型車の製造による置き換えが思うように進められないことなど、その要因はいくつもあるためといえます。とはいえ、電装品の部品が枯渇するのは時間の問題でもあり、いかにして長く使い続けることができるかがこれからの課題だと考えられます。
7200系を最も多く譲受したのは豊橋鉄道だった。豊橋鉄道に譲渡後は1800系と形式名を変え、部品取り車を含めた30両というまとまった数が移籍した。豊橋鉄道では3両編成を組んでいるので、目蒲線・池上線時台を彷彿させるような組成であるといえる。後に上田交通で廃車になった7200系2両を譲受し、3両編成10本、合計30両の元7200系が今日も走っている。制御機器などの更新改造は施されてなく、2013年にカラフルトレインとして塗装を変えた以外は大きな変化はなかったが、その後、集電装置を従来の菱形からシングルアームへ交換された。(1800系1808F 高師駅 2012年5月13日 筆者撮影)
ところで、7200系には異色の車両というものが存在しました。
7200系を製造した東急車輛は、ステンレス車を製造するための高い技術をもった車両製造メーカーでした。前述のように、雨以下のバッド社との技術提携を結び、同社からステンレス車両を製造する多くのノウハウと技術を導入しました。
その一方で、ステンレス鋼よりもさらに軽量化を実現できるアルミニウム合金を使った車両の技術は持ち合わせていませんでした。そこで、東急は東急車輛にアルミニウム合金を使った車両製造の技術を習得させるために、7200系の設計を基にしたアルミ試作車であるデハ7200とクハ7500の2両を発注しました。
この2両のアルミ試作車は、基本設計と電装品などはステンレス車と同じでした。外観上の大きな違いといえば、側面幕板部にコルゲート板が設置されなかったことです。そして、新製直後はアルミニウム合金の地色を活かすために、外板には透明ラッカーを保護剤として吹き付け塗装していました。しかし、実際に運用をしていくと、ステンレス車と比べて汚れが目立ちやすいという欠点が露見したため、後にグレーのラッカー塗料で塗装されました。
新製当初は他の7200系と編成を組んで、大井町線などで運用されました。その後、7200系の東横線集中配置の時に編成から解かれ、アルミニウム試作車の2両はこどもの国線へ転用するために長津田検車区に配置されました。それ以後は、専らこどもの国線の運用に充てられることから、戸袋スペースにあった東急の社紋を撤去し、代わりにこどもの国の紋章を貼り付けたり、ライトグリーンのアクセント帯が入れられるなどしました。
特に社紋からこどもの国の紋章への変更は、こどもの国線が東急が保有する路線ではなく、こどもの国協会法によって設立された特殊法人が保有し、その運営を東急が受託していたことよるものでした。こうしたこどもの国線の特殊性から、初代の専用車両となったデハ3405−クハ3866と二代目のデハ3608−クハ3772はホワイト地に窓周りをオレンジ色の帯、その下にライトブラウンの細帯を巻いた専用の塗装を施され、前面の貫通扉と側面の窓下には大きなこどもの国の紋章が描かれていました。四代目の7000系も、窓下に朱と緑の帯を巻き、やはり社紋があった位置にはこどもの国の紋章に取り替えられるといった専用の装飾が施され、東急が運行する路線でありながら、企業色を可能な限り取り除いた外観とされました。
7200系アルミ車は1980年からこどもの国線での運用を開始し、その後9年間に渡って同園を訪れる多くの子どもたちとその家族を運び続けました。
《次回へつづく》
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