《前回からのつづき》
◆国鉄で初めての電機 10000形(EC40形)直流アプト式電気機関車
信越本線の隘路で、国鉄の鉄道路線で最大の難所とも言われた碓氷峠区間の輸送力の増強と乗務員の労働環境の改善をするため、電化することが決定されました。その電化に際して、アプト式機構を装備した国鉄(鉄道院)初の電機として製造されたのが、10000形(後にEC40形)でした。
10000形はドイツのAGEという電機メーカーに発注されました。同社は主に電機品を担当し、機械品はエスリンゲン機械工場が担当する、今でいうところのコンビによる製造だったのです。
主電動機は定格出力210kWのMT3型を2基搭載し、機関車出力は420kWと現代の電機と比べれば低いものの、私鉄が製作した小型電機に引けを取らない性能をもっていました。そして電機の性能を左右する歯車比は、動輪軸で14:91、歯車15:88とトルク重視の低速寄りの設定で、最高運転速度も25km/hという、碓氷峠を昇り降りするためだけの性能をもたされていましたが、それでも、蒸機時代の1時間15分から45分にまで短縮することを可能にしました。
車体は全長9,660mm、両端は小さなボンネットをもった独特のスタイルで、車体側面には採光用の窓と、換気用の鎧窓が設けられていました。これらの窓の形は独特で、下辺は直線とされていましたが、上辺は円弧を描くようなカーブがつけられ、無骨な機関車の中にあってモダンなスタイルを醸し出していました。
集電装置は、製造当初は構内入換時に使うトロリーポールと、本線で使う第三軌条方式に対応した終電靴を装備し、いずれも直流600Vを取り入れていました。この第三軌条方式も、地下鉄などで一般的な第三軌条の上に終電靴を擦らせて終電するのではなく、第三軌条の下部に集電靴を当てる方法が採用されました。これは、山間部を通る碓氷峠区間には多くの木々が生い茂っており、特に秋などに落ち葉が第三軌条の上に落ちて集電不良が起きることを懸念したために採用したもので、日本でこの方法を使ったのはこの路線だけでした。
また、トロリーポールは10000形を運用する碓氷峠区間には、蒸機用の断面が小さいトンネルが数多く存在し、ここを架空電車方式にするためには大規模な改良工事が必要でした。しかし、そのような工事を実施してしまうと、莫大な費用がかかることは明白だったため、電化といえども国鉄では唯一となる第三軌条方式が採用されたのでした。
日本で初めての電気機関車は、碓氷峠区間において補機として使うために導入された10000形(後にEC40形)だった。アプト式に対応した歯車を備え、峠の登り下りにはこれをピニオンに噛ませていた。動輪軸は3軸という構成は日本では珍しく、加えて車輪はロッドで連結されて動力を伝えていた。これは、10000形が粘着運転をするのは駅構内という限られた場所であり、低速で走行するためだったと考えられる。また、集電装置は屋根上にポールが設置されているが、峠区間は第三軌条方式でここから集電する事が前提で、ポールからの集電は駅構内に限られていた。(パブリックドメイン)
もっとも、地下鉄などで採用されている方法とは異なり、碓氷峠区間の第三軌条方式は、前述のように給電用軌条の下側に車両の集電靴を擦らせる方式を採用しました。これは、地下鉄とは異なり碓氷峠区間は地上に線路が敷かれているため、落ち葉などによる集電不良の他に、保線職員が誤って給電用軌条に触れる感電事故を防ぐためでした。
ブレーキ装置は当時としては一般的だった真空ブレーキを採用しましたが、後にEL14B自動空気ブレーキに換装しています。そして、急勾配を下るときに欠かすことのできない発電ブレーキを装備して、通常の踏面ブレーキを使わないで制動力を得ることができました。
台車は固定式で、動輪軸が3個の国鉄形電機としては珍しいC級機でした。
10000形の動力伝達機構は、アプト式に由来する非常に変わったものです。通常、電機や電車といった電気車は、台車に架装した主電動機の同軸に取り付けられた歯車を介して、動輪軸の歯車に動力を伝える方法です。しかし、アプト式ではラックレールに噛み合わせるためのピニオンが必要なため、動輪軸にピニオンを取り付けてしまうと、主電動機を架装するスペースが無くなってしまいます。
そこで、主電動機は台枠上に設置され、主電動機の同軸から同じ台枠上に設けられた歯車を介して動力が伝えられます。そして、その歯車には連結棒が取り付けられ、それは動輪軸の車輪に取り付けられたロッドに接続され、これを通して動力が伝えられたのです。この方法は、ちょうど蒸機の弁装置から、ロッドで接続された動輪軸に動力を伝える方法に類似するもので、黎明期の電機に見られた方法でした。
そして、10000形は主電動機を2基装備していましたが、粘着式で走行するためのものはこのうち1基のみで、もうひとつの主電動機はアプト式のピニオン(歯車)を動かすためだけのものだったのです。すなわち、駅や機関庫構内の粘着式区間では、210kWの主電動機1基のみで走行するため、前述のように15km/hという低い走行性能でした。これは、碓氷峠区間のみで運用する電機であったことと、粘着式で走行するのは駅や信号場、機関庫の構内に限られるため、ある意味で割り切ったものだったといえます。
ラック区間では、粘着式の動輪軸のほかに、もう1つの主電動機が使われます。粘着式と同じく、主電動機の同軸に取り付けられた歯車から、ピニオンに連結された歯車を介して動力が伝えられますが、こちらも同じくロッドによる2軸駆動でした。ラック区間に入ると、ピニオンがラックに噛み合うことで走行または制動の力を発揮する機構になっていたので、この区間では2つの主電動機の出力がようやく発揮できました。つまり、ラック区間での走行ではじめて機関車出力が420kWになるという、極めて特異な駆動機構をもっていたのです。
このように、国鉄初の量産電機は構造が複雑かつ特異だったため、故障が頻発することに悩まされていました。それでも、蒸機による運転から走行性能も向上し、連結定数も僅かに上がったことで、押し寄せる旅客や貨物を捌くことに貢献しました。
こうして、アプト式を採用した国鉄でも類を見ない特異な構造の碓氷峠区間に、12両の10000形が出揃うと、連日のようにやってくる旅客や貨物を、少しでも多く、短い時間で輸送しようと活躍していきます。
《次回へつづく》
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