◆「サンプル」と聞こえがよいが・・・再度のアプト式輸入機 ED41形
1911年に製造がはじめられ、1912年から運用に就いた国鉄初の電機である10000形(EC40形)と、1919年に製造された初の国産電機である10020形(ED40形)は、合わせて26両の陣容で、信越本線の隘路である碓氷峠区間に投入されて、その輸送力を増強するとともに、機関士などの乗務員を悩ませ危険にさらした蒸機を淘汰しました。
一方で、さらなる輸送力の増強を求められるようになり、これらのラック式電機はフル稼働の状態になっていましたが、小型のC級機である10000形や、D級機ではあるものの主電動機出力が低いMT3形を装備した10020形では、牽引定数を引き上げることには限界がありました。
鉄道省はこの最大の勾配を抱える碓氷峠区間で運用することが可能な、ラック式鉄道の機構を備えた新たな電機を開発することにしました。しかし、その計画が立てられたのは大正末期であり、我が国に新たな電機を、それもラック式鉄道用の車両を開発する技術力はありませんでした。
そこで、まずは運用の実績がある海外の車両を参考のために輸入し、これをベースに国産電機を開発することにしました。こうした経緯から、鉄道省は険しい山岳路線を抱えていてラック式鉄道用の機関車製造で実績のあったスイスの機関車メーカであるスイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス(SLM)から、新たなラック式電機として10040形が輸入されたのでした。
ED41形形式図。箱型の車体をもち、デッキのない構造であることがわかる。同輪軸が4軸のD級機であるが、主電動機は台車に1個のみを搭載し、ロッドで動力を伝えているのがわかる。もう1個の主電動機は車両中央に配置され、ラック区間でのみ作用する構造になっている。(出展:)
1926年にスイスから輸入された10040形は、2両という非常に少ない数でした。鉄道省は粘着式鉄道用として、数量ずつというごく少数の電機を輸入して運用していました。これは、国産の電機を開発するために「サンプル」としての導入であったためで、多くの輸入機は一度解体して、詳細にわたって調査をしていました。いわゆる「リバースエンジニアリング」によって、輸入機の構造や動作原理、製造方法などを調査するもので、これをもとに国産化のための技術を習得していたのです。
もちろん、こういった手法で技術を確立させるのは、現在では知的財産権の侵害にあたり、最悪の場合は特許権の侵害や著作権法違反など、法的にも許され難いものですが、当時はそうした知的財産権に対する意識が希薄だったため、国の行政機関でもある鉄道省は率先してリバースエンジニアリングによる技術の習得をしていました。
そのため、黎明期の電機は非常に多種多様な車両たちが導入され、イギリス製の「デッカー一族」とも呼ばれるイングリッシュ・エレクトリック社製のEF50形やED17形、アメリカのゼネラル・エレクトリックやウェスチングハウス・エレクトリックなどからも導入していました。
そうした時代の中で、ラック式鉄道用の電機として、スイス製の10040形が「サンプル」として輸入されたのはごく自然の成り行きだったともいえるでしょう。かくして、2両の10040形は1号機が1926年に、2号機が1927年に日本に輸入され、大宮工場において組み立てられた後、横川機関庫に配置されましたが、それから1年後には鉄道省の形式規程が改正されてED41形と改められました。
ED41形は、先輩機であるEC40形やED40形とは異なり、粘着式運転用の台車は2軸ボギー式台車が採用されました。従来のアプト式電機は1基の主電動機から歯車を介して、動輪軸に連結されたロッドによって、すべての動輪軸を動かしていましたが、ED41形は2基の台車に対して主電動機がそれぞれ1基ずつ搭載され、動力は主電動機の回転軸から直接、動輪軸に連結されたロッドによって伝えていました。そのため、台車の真ん中には大きな主電動機が架装されいていたので、粘着式運転用の台車は非常に変わった構造となり、ラック式運転用の歯車は、粘着式運転用の台車の間になる車両中央部に設けられました。
制御方式は電動カム軸式と電磁空気カム軸式による接触器が採用され、これらはアプト式電機としては初めて搭載された電動発電機を電源として供給される、電圧100Vの電流によって動作させていました。この電動発電機を装備したことにより、EC40形やED40形では欠かすことのできなかった電源用蓄電池の保守や交換といった手間がなくなり、保守性の向上によって検修を担う機関庫の車両掛の負担を大幅に軽減したと考えられます。
ED41形と同時期に製造されたアンデス横断鉄道のE-100形電気機関車。ED41形にも似た外観だが、同輪軸は6軸であり、2つの車体を連結して1両となっている。動力はロッドで伝える方法で、車輪もED41形と同様に電機としては直径が小さい。製造はED41形と同じSLMとBBCのコンビであり、共通する部分が多くある。(パブリック・ドメイン)
集電装置は屋根上に設置したPS5形ひし形パンタグラフを1基備え、駅や機関庫構内ではここから電流を取り入れていましたが、ラック区間では第三軌条方式による電源供給だったため、やはり片側2か所に設置された集電靴から直流600Vの供給を受けていました。
ブレーキ装置には、一般的になりつつあった自動空気ブレーキを装備し、これを列車用(自弁)と機関車用(単弁)として使うことができるようにしていましたが、いまだ客車や貨車には真空ブレーキを使うものも多くあったため、列車用には貫通式シンクブレーキも併設していました。加えて保安ブレーキには、自動空気ブレーキの他に車両の留置に使う手ブレーキと、勾配区間での停車時に使う主電動機の電気子を締め付けてブレーキとする空気式ブレーキと、ラックピニオン軸を締め付けることでブレーキ力を得る手動バンドブレーキも装備し、万一の際の備えとしていました。
《次回へつづく》
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