旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産〜新会社へ遺産として遺した最後の国鉄形〜 極限までコストを抑えつつローカル輸送に特化した改造近郊形電車 413系・717系電車【1】

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 長年の赤字に苦しみ続けてきた国鉄は、1980年代に入る頃になると様々な問題が噴出し、それは社会問題となってしまいました。コストに敏感な現代から考えると信じられないほどの非効率的な経営が当たり前であり、よくも悪くも「親方日の丸」体質から抜け出せずにいました。 

 そのうちの一つが、ローカル輸送を支える普通列車でした。伝統を重んじる傾向が強かった国鉄は、幹線であれローカル線であれ、普通列車も長大な編成を組んだ列車を、長距離運行させる「汽車ダイヤ」が主流でした。 

 対して私鉄はというと、特に都市部では比較的短い編成を組んだ列車を数多く運行する、フリークエンシーダイヤを編成するのが主流でした。これは、1時間あたりに運行する列車を多くし、その代わりに短編成の列車を走らせるというもので、駅に行けばそれほど待つことなく列車に乗れるというもので、 

 対して国鉄はというと、大都市圏の国電は別として、多くの路線で普通列車といえども数多くの車両を組んで編成を組成し、それを1時間に1〜2本程度しか運行しないというものでした。

 この「汽車ダイヤ」を主体とした運行ダイヤは、基本的に長距離輸送を第一に考えられていました。そのため多頻度運転などは考慮されておらず、数少ない列車に多くの利用者を一度に収容して輸送するため、自ずと連結両数も多く組成されていました。

 普通列車といえども運行本数は限られたものになるため、利用客は自分が乗る予定の列車に合わせて行動することを強いられていたのでした。万一列車に乗り遅れるようなことがあると、後続の列車に乗らなければなりませんが、それが1時間以上後になることも珍しくなく、時代が進むにつれて特に大都市圏では利用者にとって使いづらい交通機関になっていったといえます。

 あまりにも時代に合わない、利用者の目線に立っていないダイヤ編成では、国鉄を利用する人も減る一方でした。特に私鉄と競合する大都市圏ではそれが顕著で、いわゆる「国鉄離れ」という現象も起きてしまいます。また、1970年代終わりごろから国鉄職員のモラル低下は甚だしく、1982年3月に名古屋駅で発生した寝台特急紀伊」機関車衝突事故や、1984年10月には西明石駅寝台特急「富士」列車脱線事故は発生、そのいずれもが機関士の飲酒運転が原因の一つとされたことを筆頭に、職員の利用者に対する横柄な態度や、乗務中に職務に専念しない勤務態度も社会問題になり、ますます利用者が離れていってしまいました。

 こうした危機的な状況に陥った中、国鉄は少しでも利用者を取り戻そうと必死になります。特に沿線地域の人々の移動ささえる普通列車のダイヤ編成を大幅に改革することは待ったなしの状態になり、1982年に広島と名古屋で「シティ電車」として大幅なダイヤ改正が実施されました。

 

国鉄国電区間を除いて、普通列車も長距離・長時間を長大編成で輸送する方法を伝統的に採用していた。いわゆる「汽車ダイヤ」と呼ばれるもので、列車の運行本数が少ない代わりに、多くの車両を連結して輸送力を確保していた。しかし、この方法では利用客は列車の発車時刻に合わせて行動しなければならず、時代とともに生活の実態に合わなくなっていった。他方、国電の場合は多頻度・短距離の運行が基本で、駅に行けば少し待てば列車に乗れる利便性があった。そこで、国鉄は利用者の実態に合わせた改革を行い、地方幹線でも国電ダイヤに近い「駅に行けば待たずに乗れる」という運行方法に変えることにした。その一つとして、山陽本線広島地区では、列車短編成化とともに、接客サービスを向上させることを目的に、近郊形電車としては異色の2ドア・転換クロスシート115系3000番台を投入して好評を得た。(115系3000番台 下関駅 2007年10月9日 筆者撮影)

 

 この「シティ電車」は、首都圏や関西圏の国電と同じように、必要最小限の短編成の列車を高頻度で運転するというもので、それまで幹線の普通列車は長大編成を組んで長距離移動を主体とし、列車の運転本数は必要最小限だたったという状態から脱却したものでした。「汽車から電車へ」の合言葉のもと、こうした施策を実施すると、利用者からは好評を持って迎えられ、広島で6%、名古屋では20%の利用者数が増加するという好成績を収めます。広島は広島駅から西広島駅の間で路面電車である広島電鉄と、名古屋圏では名鉄と競合していたので、どちらも普通列車を高頻度運転に切り替えた効果ははっきりと出たと言えます。

 この「シティ電車」構想で実施したフリークエンシーダイヤによって、車両の大幅な組み換えも実施されました。従来、例えば10両編成を組んでいた車両を、6両編成に組み直すために、不足した中間車に運転台を取り付けて先頭車化するという改造を数多く実施しました。また、広島では輸送実績と日本三景の一つである宮島を抱える観光客も利用する観点から、基本構造は115系ですが車体や室内設備は117系と同等の3000番台を新たにつくりました。実際、小学生の頃に筆者もこの115系3000番台に乗車したことがありますが、近郊型電車でありながら片側2ドアで、座席は転換クロスシートが設置されているなど、普通列車としては室の高い接客設備を備えていたので驚いたものです。

 こうしたハード面とソフト面の両方でのサービス改善は、国鉄にとっては大きな決断が必要だったといえるでしょう。もっとも苦労したと想像できるのは、やはり運行を担う乗務員をはじめとした職員の理解と協力だったといえます。

 当時の国鉄は、地域の差はあるものの労使関係は悪化していたため、列車の増発によって「労働の強化だ」と考える労組側との難しい折衝を余儀なくされたと考えられます。列車に乗務する運転士や車掌の確保や、運転本数の増加による手待ち時間の縮小といった課題に、国鉄は労組側の協力を取り付けなければなりません。また、短編成化による中間車の先頭車化改造にかかる費用の捻出、編成本数の増えることによる運用管理と検査数の増加、それによる検修職員の作業量が増えることにも対処する必要がありました。

 しかし、そうしたさまざまな課題を解決してでも、利用者を国鉄に戻し少しでも収益を増やすことは至上命題ともいえたことでしょう。離れていった利用客は戻ってくるのだろうかという国鉄の杞憂は見事に外れ、多くの面でレベルが引き上げられたことに、沿線の利用者だけでなく観光客なども国鉄を少しずつ利用するようになってきました。

 この施策で、大きな手応えを感じた国鉄は、長距離列車主体の汽車ダイヤから、短距離高頻度運転の電車ダイヤをさらに各地に広げようと考えました。1984年2月のダイヤ改正では、札幌と静岡、そして福岡の各都市圏の近郊区間で、パターンダイヤの導入とそれによる短編成・高頻度運転のダイヤ編成に変えられました。翌1985年の改正では仙台、新潟、長野、北陸そして高松の地方都市の近郊区間にも広げられました。

 このように、今日に至る都市近郊区間の高頻度運転ダイヤは、都市圏の鉄道輸送に大きな変革をもたらしましたが、その一方で大きな課題が立ちはだかることになりました。

 列車を数多く運転するためには、それに見合った数の車両が必要です。旧来は長大編成を組んだ列車が主体だったため、例えば10両編成であれば先頭車2両と中間車8両で事足りました。しかし、これを6両編成にしたとすると、10両編成から先頭車2両と中間車4両を抜き取って再編成して仕立てますが、その一方で中間車4両が余剰となってしまいます。そのため、抜き取って余剰となってしまった中間車に運転台を取り付ける先頭車化改造によって、不足する先頭車をまかないました。

 ところが、直流電化区間ではこの方法でも何とか対処できましたが、交流電化区間ではこの方法が使えませんでした。というのも、中距離列車に使われラッシュ時などの輸送に対応する仕様にしたセミクロスシートの近郊形電車は、直流用の111系や113系、勾配線区に対応した115系が数多くつくられていました。そのため、直流区間ではこれらの車両を最大限活用することで対応できましたが、交流用もしくは交直流両用の近郊形電車はそれに比べて少数派でした。

 この理由として、国鉄の路線は古くから直流による電化が進められていたたことや、交流による電化は1950年代終わり頃からと後発であり、その区間も東北地方や北陸地方、そして九州といった地方が中心であり、ラッシュ時の需要も限定的であると考えられたためといえます。

 

急行列車の削減と特急への格上げにより、多くの急行形車両は本来の用途を失い、余剰と化していった。他方、地方幹線の国電ダイヤの導入により、短編成による高頻度運転は多くの車両を必要としたが、特に交流区間では直流区間と比べ、普通列車として運用できる近郊形車両の絶対数が足りなかった。増備しようにも、交直流電車は直流電車と比べて製造コストが高く、既に破綻同然の財政事情を抱えた国鉄にはそれをすることが難しかった。そこで、余剰となった急行形車両を普通列車に転用したが、片側2ドアであるとはいえ、幅1000mm片開き扉を車端部に寄せた位置で、しかもデッキもある構造では、同じ2ドアでも幅1300mmで中央寄りの位置にある417系などとは違い、特にラッシュ時の乗降には困難が伴った。それでも、分割民営化後しばらくの間は、写真の455系のように近郊形化改造とリニューアルを施して使い続けられたが、417系や717系と比べれば運用には難があったという。写真の455系は冷房装置がAU12形を搭載している。(パブリックドメイン

 

 また、交直両用の電車は製造コストが直流用と比べて高価であることも、その少なさの要因の一つといえます。交直両用の電車は、直流用の電車に主変圧器や主変換器といった交流用の電装品を追加したようなもので、しかも20000Vという高圧電流を取り入れるために絶縁対策を施さなければなりません。これらの機器の分だけ製造コストを押し上げてしまうため、交直流両用の近郊形電車の製造は限られたものとなり、それで手に余るようであれば急行列車の削減によって余剰化した急行形電車を普通列車に充てることにしたのでした。

 しかし、この急行形電車を普通列車に充てても、電車ダイヤでは車両が足りませんでした。しかも、不足する近郊形電車の代わりとして急行形電車を普通列車の運用に充てたことで、ラッシュ時に押し寄せる乗客を捌くことが難しくなり、度々列車の遅延を起こすことになってしまったのです。

 

《次回へつづく》

 

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