《前回からのつづき》
■初の鋼製車掌車 ヨ2000形
1937年に鉄道省は新たな車掌車の製造をしました。日本で初めての新製車掌車であるとともに、初の鋼製車掌車としてヨ2000形が100両が製造されました。
ヨ2000形は車両の両端に車掌たちが車内に出入りするためのデッキを車両の両端に備えていました。そして、このデッキは丸鋼棒を組み合わせた構造で、この鋼棒を組み合わせた手摺には、最後尾であることを知らせるための後部標識灯が取り付けられていました。
車体は普通鋼でつくられた箱型で、側窓は4箇所設けられ、中央に寄せた格好で配置されていました。その窓配置に合わせるように、車内には片側に3名分の執務机と椅子が外側を向いた形で設置され、反対側にはやはり荷扱手の待機用として幅520mm、長さ3640mmのロングシートが設けられ、室内の面積は約12平方メートルと、それまでの有蓋緩急車と比べると格段に広く、乗務環境も大幅に改善されました。
その一方で、ヨ1形などに設置されていたトイレは省略されてしまいました。また、冬季の乗務には欠かすことのできない石炭ストーブもなくなるなど、広くはなったものの決して装備の面では満足のできるものではありませんでした。
しかも、初の本格的な車掌車として登場したヨ2000形は、1937年に100両が製造されただけで、その後は増備されることはありませんでした。そのため、貨物列車に乗務する車掌と荷扱手は、木造客車を改造した古いヨ1形やヨ1500形に当たれば幸運な方で、狭くて薄暗く、そして冬季には容赦なく隙間風が入り込んできて酷寒の緩急車での乗務に耐えなければなりませんでした。

初の新造車掌車であるヨ2000形は、貨物列車の最後尾に連結して車掌や荷扱手が乗務するのに必要な設備を整えた車両だった。両端に出入口を兼ねたデッキをもち、車体は鋼製リベット打ちとし、車内は車掌の執務机と椅子、荷扱手が待機すするためのロングシート、そして最後尾を示す後部標識灯も備えていた。走り装置の担いばねも、一般の貨車より長くとることで柔らかくし、乗務員の乗り心地にも配慮していた。その一方で、ヨ1形では標準装備だったストーブがなくなり、冬季は寒さとの闘いになったと想像できる。(©Rs1421, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
このように、広くてある程度は快適、車掌の乗務環境を大幅に改善したヨ2000形は、たったの100両で製造が打ち切られた理由は、やはりこの年に勃発した日中戦争だったと考えられるでしょう。日本は中国との戦争に突入したことで戦時下となり、資源に乏しい日本としては、戦争を継続させるための金属はもちろんのこと、樹脂など石油を原料とするものについて非常に敏感になりました。そのため、貴重な鋼材を使いながらも車掌が乗ることしかできない車掌車は「贅沢」なものと見做されたといえます。そんな車両をつくるくらいなら、代用材を使って貨物を載せることができる有蓋緩急車を増やしたほうが、戦時輸送に貢献できるからです。
たった100両で製造が打ち切られたヨ2000形でしたが、戦時中から戦後を通して、劣悪な労働環境に置かれていた貨物列車の車掌たちにとっては「天国」ともいえる存在であり、多くの貨物輸送に貢献しました。
《次回へつづく》
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