《前回からのつづき》
■不足する車掌車と古い有蓋緩急車を置き換えた小型車掌車 ヨ6000形
・全国に広がる貨物輸送網とローカル線の現実
国鉄時代の貨物輸送は、文字通り全国津々浦々、ローカル線に至るまで取り扱っていました。例えば、現在の姿からは考えられないかもしれませんが、東京の秋葉原駅や品川駅、今や巨大ターミナル駅にまでなった新宿駅や渋谷駅にも貨物を取り扱うための施設がありました。筆者の地元を走る南武線にも貨物列車が設定されていて、武蔵溝ノ口駅でも貨物を取り扱っていました。
大都市の中でもこうした駅が数多くあったので、その逆、閑散としたローカル線にも貨物取扱駅が多く存在しました。旅客列車こそ運行する列車の設定は少なくても、貨物輸送があるからという理由で持ちこたえていた路線もあったほどで、取扱量はそれほど多くなくてもこうした駅には駅員も配置されていたほどです。
もっとも、こうした非効率的ともいえる状態は、国鉄の貨物輸送システムに起因していました。このブログでも何度もお話してきたように、1982年のダイヤ改正までは、ヤード継走輸送という方法が採られていました。貨物取扱駅で引き受けた貨物は、原則として貨車1両単位で輸送する車扱貨物でした。例外として、一定のサイズや重量に収まる場合は、小口貨物として引き受けていました。いずれも引き受けた貨物は貨車に積み込まれると、その貨車を操車場へ送り届ける解結貨物列車という小単位の列車に連結されます。この解結貨物列車こそが、ローカル線でも運行されていた貨物列車だったのです。
解結貨物列車は運行する線区にある貨物取扱駅に到着すると、その駅から発送する貨物がある場合、入換作業をしてその貨車を連結します。貨物がない場合はそのまま停車した後、次の駅に向かって発車していきます。そして、運行する区間で1両も発送する貨物がなくても、この解結貨物列車は運休することはほとんどなく走っていたのでした。
このように需要があろうがなかろうが運行されていた解結貨物列車ですが、その最後尾にはやはり車掌が乗務する緩急車が連結されていました。連結する貨車があってもなくても、緩急車を連結することは運転取扱規程によって省略することはできず、最悪の場合は機関車と緩急車だけという列車もあったほどでした。

85km/h運転が可能で、しかも乗務する列車掛などからも好評だったヨ5000形を基本に、ローカル線など少量の貨物輸送にも対応できる車掌車として製造されたヨ6000形は、基本設計は大きく変えることなく全長が短くなったことと、溶接を多用することで工数を減らしたことが特徴といえる。(©Hanabi123, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
・老朽化した有蓋緩急車と乗務環境の課題
国鉄の貨物輸送において末端を担う解結貨物列車には、緩急車として主に有蓋緩急車が使われていましたが、多くは戦前に製作された車両でした。ワフ21000形やワフ22000形は有蓋室が小さく、車掌室を広く取った構造であるため、乗務する車掌や列車掛にとって比較的居住性もよいものでした。しかし、戦時体制に入ってから製作されたワフ25000形は輸送力重視の構造となり、有蓋室が広くなった分、車掌室は非常に狭くなり、執務環境は悪化してしまいました。さらに、戦時中に製作された戦時設計車であるワフ28000形に至っては、ワフ25000形の設計をそのままとして、車体などは代用材となる木製となったため、車掌室の気密性は極端に悪くなり、特に冬季には隙間風が入りやすく極寒の中での乗務になり、執務環境は最悪なものになってしまったのです。
もっとも、戦時設計車であるワフ28000形は、終戦直後から状態の悪いものから優先的に淘汰の対象になりましたが、鋼製車体のワフ25000形はそのまま使われたため、ワフ29500形が登場するとその執務環境の悪さはさらに問題となっていきました。加えて有蓋緩急車の場合、貨物を積んでいると他の貨車に積み替えない限りは着駅に向けて送り出さなければならず、代わりとなる緩急車を手配しなければなりませんでした。
・ヨ6000形の誕生
こうした課題もあって、国鉄はローカル線での運用に適したサイズであり、同時に不足する操車場間を結ぶ貨物列車に連結する車掌車の不足を補うため、1962年から製造されたのがヨ6000形だったのです。
《次回へつづく》
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