旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【11】

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《前回からのつづき》

 

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・ヨ5000形からの継承とローカル線対応

 ヨ6000形の基本的な構造はヨ5000形を継承した形になりました。車内は車掌の執務机と丸椅子、休憩用のロングシートと暖房用の石炭ストーブを備えている点では同一でした。一方でローカル線での運用に適したものとするため、全長はヨ5000形の7,830mm(連結面間)に対し、ヨ6000形は7,200mmと630mm短くなり、側面の窓は4個から3個へ、執務机と丸椅子は2人分に減らされました。また、休憩用の長椅子も2,500mmから1,250mmと半分になったことは、乗務する車掌が休憩するために体を横にする(長時間の停車を強いられる操車場などでは、当時の国鉄職員の気質からそうしていたであろうという想像だが)ことを難しくし、ある意味で執務環境を悪化させたと考えられます。

 また、車両の全長が短くなったことで、車軸間の長さも3,900mmと短くなったため、走行中の乗り心地はヨ5000形には及ばないものになりました。とはいえ、ワフ25000形と比べれば快適な車掌車であることは変わらず、貨物輸送の末端を担う解結貨物列車に乗務する車掌にとって、ヨ6000形の登場は少なからず改善したといえるでしょう。

・技術革新と地域仕様

 基本的な構造はヨ5000形の流れを汲んだヨ6000形ですが、製造時の工作方法は溶接工法が使われm車体外板は継ぎ目が少なくリベットもない、スッキリとしたものになりました。加えて屋根はヨ5000形の多くが木製でキャンバス張りだったのに対し、ヨ6000形は鋼板を使ったことで製造時の工数を減らし、検査時や修繕の際の手間も軽減させました。鋼板屋根となったため、ヨ5000形は屋根の曲線半径が小さく深い天井であったのに対し、ヨ6000形は曲線半径が大きくなるなど外観上の変化もありました。

 ヨ6000形は本州での運用を前提とした基本番台と、北海道で運用することを想定した酷寒地仕様に分かれていました。酷寒地仕様は前期型が6900番台、後期型は7900番台とされ、床は塩化ビニール敷となり窓は二重窓になるといった耐寒対策が施されていました。

 また、後期型の7900番台は連結器に取り付けられる緩衝器を従来のばね式から、油圧式緩衝器に代えられていました。これは、石炭列車に連結されているときに引き出し時や減速時に大きな前後衝動があることから、乗務する車掌の執務環境を改善することを目的に設置されたものでした。この北海道向けの酷寒地仕様車は、6900番台が16両、7900番台が18両の合計34両が製造され、終始北海道で運用されました。

 

貨物列車の緩急車連結廃止によって、多くの車掌車が余剰車両となって廃車となってしまった。物流を支えた影の立役者であり欠かすことのできない存在ではあったが、廃車後は各地の旧操車場や駅の側線に留置され、解体の日を待つその姿は言いようのない哀愁が漂っていた。技術の進歩によって合理化・省力化が進む一方で、こうして消え去るものもある。(©Olegushka, CC0, vila Wikimedia Commons)

・運用の広がりと乗務環境の変化

 1962年から製造されたヨ6000形は、1969年までに酷寒地仕様車も含めて全部で905両が製造され、主に貨物輸送の末端部を担う解結貨物列車や操車場間の貨物列車に連結されるなど、広範に渡って活躍しました。

 冬季に使う暖房用として、当初から石炭ストーブを設置していましたが、後に石油ストーブに交換された車両もあり、交換されたものはその識別のために車両両端の手すり部分、後部標識灯の上に短い白帯を塗装し、識別を容易にしていました。このようなストーブの交換はヨ3500形やヨ5000形でも実施されたようで、ヨ6000形と同じく手摺部分に白帯を付けていました。

・貨物輸送の衰退と形式消滅

 全部で905両が製造され、貨物列車の殿を務めたヨ6000形でしたが、国鉄の貨物輸送の衰退とは無縁ではいられませんでした。ダイヤ改正のたびに貨物列車の削減が行われた1970年代から先行きが怪しくなり、1984年のダイヤ改正で大幅に削減されると、多くの車掌車は仕事を失ってしまいました。そのことはヨ6000形も同じで、この頃から余剰車が多く出始めます。そして、1985年のダイヤ改正で貨物列車の緩急車連結が原則として廃止されると、多くの車両が余剰車と化してしまいました。そして、翌1986年のダイヤ改正は止めを刺されたようなもので、貨物列車への車掌の乗務が廃止されると、完全にその役割を失ってしまったのでした。

 ヨ6000形は全車が余剰車として扱われ、1987年までに全車が廃車除籍、形式消滅となりました。前形式であるヨ5000形が僅かながら新会社に継承されたのとは対照的に、ヨ6000形は1両も継承されることはなく、ごく少数が保存目的で残されたのみでした。

 

《次回へつづく》

 

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