旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【15】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

・電車を非電化区間へ ― 電源車への改造

 民営化後JR各社に引き取られたヨ8000形のうち、特殊仕様に改造された車両もありました。JR九州485系で運転されていた特急「有明」を、非電化路線である豊肥本線水前寺駅まで乗り入れることにしました。電車が非電化区間まで乗り入れるという前代未聞の運用でしたが、豊肥本線ディーゼル機関車485系を牽引させることで解決しました。しかし、車内の電灯や冷房装置などの電源がなくなってしまうため、当初はスハフ12形を連結して電源を供給していましたが、これでは非効率な上、編成が客車1両分増えるため好ましいものではなかったようです。そこで、JR九州保有していたヨ8000形2両を電源車に改造することにしたのでした。

 改造は、室内に設置されていた石油ストーブとトイレ、床下の水タンクと蓄電池箱を撤去してスペースを確保しました。代わりにディーゼル発電機と発電機、燃料タンク、ラジエターを設置しました。重量物であるエンジンと発電機を載せるため、台枠を強化する工事も同時に施されました。また、ヨ8000形のブレーキ装置は自動空気ブレーキで、機関車との連結には問題はありませんでしたが、485系は電磁直通ブレーキを使っていたため、異なるブレーキを相互に使えるようにブレーキ読替装置を装備し、連結器も485系に連結する側は双頭連結器も装着されました。

 

民営化後は、国鉄時代の「常識」では考えられないような列車や車両が続々と誕生してた。中でも電車で運行されていた特急列車を、そのまま非電化区間まで乗り入れるという突飛ともいえるアイディアも、民間企業になったからできるようになったとも言える。783系を牽く白いDE10形との間に、ヨ8000形を電源車・アダプター車に改造したヨ28000形の姿が見える。(©Hahifuheho, CC0, via Wikimedia Commons)

 外観は白一色に塗り替えられるなど、形は車掌車、色は貨車とは真逆の色という目立つものになったのでした。そして、新たに28000番台に区分され、ヨ28000とヨ28001の番号が付されて、九州中部の観光輸送に活躍したのでした。後に、783系が「有明」に投入されると、赤色の帯を巻きさらに目立つ存在になりましたが、連結する相手は変わってもその役割は変わることはなかったのです。

 分割民営化直後、JR九州の増収施策の一つとして、電車が非電化区間に乗り入れるという異例の運用とともに改造によって製作されたヨ8000形28000番台は、1987年に落成した後、計画通りに豊肥本線乗り入れの列車に充てられました。しかし、「有明」に充てられる車両が485系から783系に変わり、1992年には787系が登場。西鹿児島駅発着の列車は「つばめ」と改称して独立、「つばめ」14往復と熊本発着の「有明」18往復体制になり、この内「有明」の5往復が水前寺駅発着となりました。

 しかし、1994年になると「有明」は全列車が783系に統一されるとともに、豊肥本線水前寺駅乗り入れが中止されることになり、非電化区間に電車を乗り入れるための電源者として、そして機関車と電車を1つの編成につなぐためのアダプターとしての役割をもったヨ8000形28000番台は、改造から7年間でその役割を終えたのでした。

苅田港線の機回し問題と推進運転への転換

 ヨ8000形を改造した車両はもう一つ存在しました。

 JR九州と同じエリアを管轄するJR貨物九州支社は、日豊本線小波瀬西工大駅から分岐する貨物支線の苅田港線の列車運用で、一つの課題を抱えていました。苅田港線は4.6kmの短い貨物支線でしたが、小倉方から侵入する場合、小波瀬駅では方向転換が必要な線路配置のため、機関車を機回しして付け替えなければならなかったのです。

 国鉄時代であれば、同じ鉄道事業者なので小波瀬駅に操車掛を配置して機回し作業をすれば済むことでしたが、分割民営化後は小波瀬駅はJR九州の駅となり、貨物駅としての設定もなく、貨物会社の職員を配置しませんでした。機回し作業をJR九州に委託する方法もありましたが、1日1往復しかない貨物列車のためにわざわざ操車を担当する駅員を配置するのはコストが高く付き、経営基盤の脆弱なJR九州としては委託であったとしても、そうした人員を配置することは困難でした。かといって、JR貨物の職員をわざわざ配置するのも、同様の理由で困難だったのです。

 

苅田港線は日豊本線との接続の線路形状から、常に推進運転が必要だった。そのため、ヨ8000形に運転に必要な機器類お必要最低限い絞り込んで、推進運転時の先頭車に改造されたのが38000番台だった。後方には日産自動車が出荷した自動車を輸送するための「カーパックコンテナ」UM41A形が並んで見える。2025年には、日産は神奈川にある追浜工場を閉鎖し、この地での生産を増やすといっているが、出荷した製品はこのような形での輸送はできないので、どのような形をとるのか気になるところだ。(©Gazouya-japan, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 そこで、JR貨物は小倉方へ運行する貨物列車は、両端に機関車を連結するプッシュプル方式によって機回し作業をカットしました。しかし、1本の貨物列車、それも短い編成の列車のために、機関車を2両連結し、それに乗務する機関士を2名も充てるのはどう見ても効率性の悪いもので、運行するほど赤字になるのは誰が見ても明らかでした。

 筆者も九州勤務時代に苅田港駅に行ったことがありますが、小さな貨物駅にコンテナホームがあるものの、福岡貨物ターミナル駅浜小倉駅のようにコンテナが沢山積んであるのとは対象的に、数えるほどしかありませんでした。もっとも浜小倉駅から溢れたコンテナを保管する役割でもあったため仕方がないことだったといえますが、この駅の発送・到着する貨物量はそれほど多くなかったのです。北九州の工業地帯からは遠く離れていたことなど地の利が悪く、浜小倉駅を補完するには役不足であったという感は拭えませんでした。それでも、この駅には重要な大口顧客があり、駅の近傍にある日産自動車九州で製造される自動車は、ここから専用のコンテナに積まれて全国各地へ送られていたので、簡単に廃止するわけにもいかなかったというのです。

 この特異な運用を強いられていたJR貨物は、小波瀬駅での機回しができないためにされていたプッシュプル運転を解消することを目的に、ヨ8000形を先頭に連結した推進運転をすることにしたのでした。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info