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ちょっとした荷物を送る場合、今では宅配便を使うことがほとんどだと思います。段ボール箱に送りたい物を詰めて、近くにあるコンビニに持ち込んで運賃を支払えば、あとは宅配便サービスを行う運送会社が引き取って、送り先に確実に届けてくれます。
もちろん、運送会社に電話やネットで集荷を申し込めば、家の前までトラックやバンがやってきて、送りたい荷物を引き取ってくれます。外に出向くこともなく、玄関先ですべてを終えることができるので、とても便利だといえるでしょう。
いまでこそ、こうした宅配便サービスは当たり前になりました。というよりは、Amazonや楽天市場といったネット通販が私たちの生活に欠かせない存在になってからは、こうした宅配便サービスはもはやインフラと言っても過言ではないものになったといえます。
■宅配便の登場とそれ以前の小口荷物
宅配便が日本で初めて登場したのは1973年のことでした。青森県八戸市にある三八五貨物(現在は三八五流通)という運送会社が、青森県内を対象に宅配業務を始めたのでした。そして、1976年には大和運輸(現在のヤマトホールディングス・ヤマト運輸)が「宅急便」の商標で宅配業務を始めましたが、当時は関東地方のみを対象にした地域限定のサービスだったそうです。
これ以後、宅配便はサービスを提供する地域を拡大していくとともに、日本通運(通称、日通。現在のNXエクスプレス)や佐川急便などといった事業者が参入していくことにより、市場規模は拡大していき個人が利用しやすい運送サービスとなっていきました。
この宅配便が登場する以前、個人で荷物を送る場合はどうしていたのでしょうか。
・郵便小包
多くは郵便の一つである、小包郵便という方法を利用していたでしょう。荷送人は郵便局に送りたい荷物を持ち込み、重量や荷姿の寸法を測った上で料金を決定し、料金を収受して引き受けていました。引き受けた小包は郵便物のひとつなので、他の郵便と同様のルートを辿って送り先を管轄する集配普通郵便局に送られ、郵便局員によって荷受人のもとへと届けられていました。

日本全国どんなところでも設置されている郵便局は、もっとも身近な通信と輸送の手段の一つである。宅配便が登場するよりも前の時代は、「荷物を送る」のは郵便と鉄道がその役割を担っていた。郵政省が指定した方法で梱包した荷物を郵便局へ持ち込むと、郵便局員は荷物を計量して料金を決定し、荷送人は料金を支払うと「小包郵便物」として輸送を引き受ける仕組みだった。(©hyolee2, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
一見すると、この郵便小包は現在の宅配便に近いものだったと考えられますが、実はあまり使い勝手のよいものとは言えませんでした。というのも、小包郵便物は重量の上限が6kgまでと定められていました。これを超える重さの物は引き受けてもらえなかったのです。
そして、梱包の方法も郵政省が指定する方法でなければなりませんでした。送りたい荷物は小包紙と呼ばれる茶色い防湿加工した紙で梱包し、さらにその上から麻紐で縛らなければならなかったのです。筆者も小学生の頃、一度だけ小包郵便物を送ったことがありましたが、とにかくこの梱包が非常に難しく、郵便局に持ち込んだはいいものの、結局、優しい局員さんに包み直してもらったほどでした。
とはいえ、身近な郵便局から送ることができるという点では利便性が高く、面倒な梱包方法の指定も「お上の言うことだから」と、特に疑問をもつことはなく利用したものでした。
その一方で、6kgを超えるものとなるとそうはいきません。重量超過で引き受けてもらえないのでは、どうしようもありませんでした。その代わりとして使われていたのが、鉄道による小荷物輸送です。
・鉄道小荷物
郵便小包と似て非なるものですが、鉄道で荷物を送る場合は手小荷物を取り扱っている駅に荷物を持ち込んで輸送するものです。鉄道小荷物の場合、重量制限はなく50kgまでは輸送距離に応じて料金が設定され、これを超える物については10kgごとに加算料金を加えていました。
重量物でも扱ってくれる点では、郵便よりも鉄道のほうが使い勝手がよさそうに見えます。しかし、郵便局は普通局以外に待の中にある特定局が数多くあり、どんなに過疎化が進んだ地域でも簡易局が設置されていたので、非常に身近な存在だといえます。
しかし鉄道の場合、鉄道がなければ駅はありません。そのため、荷送人、荷受人ともに駅がなければ利用できませんでした。加えて、荷送人が駅で持ち込んで発送するのは当然として、その荷物は荷物車に載せられて荷送人が指定した駅に到着すると、荷受人がその駅まで出向いて受け取らなければなりませんでした。

鉄道もまた、宅配便が登場するよりも前の時代は、郵便とともに荷物を送る方法の一つだった。小荷物取扱駅には専用の窓口が設けられ、国鉄が指定した方法で梱包した荷物を荷送人が持ち込むと、計量器を使って重さを測り、送り先に応じた運賃を決定し、荷送人は運賃を支払うことで輸送を引き受けていた。送り先は全国の国鉄駅で小荷物取扱駅はもちろんだが、一部は私鉄の駅にも送ることができたとされる。(パブリック・ドメイン)
この点が、郵便小包と比べて、鉄道小荷物が使いづらい点の一つだったといえます。到着した小荷物を配達するサービスもありましたが、それが可能な駅は限られていただけでなく、駅から一定の距離までという制限があり、しかもオプションだったので追加で宅配料金が発生するという点でも、あまり使いやすいものではなかったといえるでしょう。
そして、鉄道の小荷物も、国鉄が指定する方法で梱包し、さらに麻紐で縛る必要がありました。これは、郵便小包も同様だったので、鉄道の弱点ではなかったといえますが、現在の宅配便と比べると煩雑だったことは変わりなかったのです。
とはいえ、個人での荷物の輸送手段が少なかった時代、その多くは鉄道と郵便の二択だったので、梱包が煩雑であっても、発送や受取に駅に出向く必要があっても、こうした制度を利用していたのでした。
この煩雑な梱包を、国鉄と郵政省が指定していたのには理由がありました。
というのも、引き受けた小荷物や小包は、取扱注意の指定と表示がされたもの以外は、荷役などのときに平気で放り投げていました。重量物になると、床の上を引き摺って動かしていたので、荷物を破損させないために厳重な梱包が必要だったのです。

私鉄でも小荷物輸送を扱っていた時代があった。郵便小包のような使い勝手の良さはなかったようだが、それでも個人が荷物を送るのには身近なサービスだったのだろう。私鉄の駅にも小荷物取扱駅があり、国鉄との間で連絡運輸を扱っていた。(©Nzrst1jx, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
また、荷物を扱う荷扱人などは、「手駒」と呼ばれる道具を使っていました。この手駒は、木製の柄に金属棒の先を鈎状に曲げたものをつけたもので、この鈎の部分を麻紐に引っ掛けて移動させていました。そして、小荷物も小包郵便も、どちらも時間との勝負だったのでその扱いは非常に荒っぽく、今では考えられない荒っぽい扱いだったのです。
《次回につづく》
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