旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【4】

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《前回からのつづき》

 

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 営団から千代田線に乗り入れている103系1000番台を、早い時期にチッパ制御を採用した車両の導入をするように申し入れられた国鉄にとって、それは非常に難しい問題だったといえます。

 といっても、国鉄はチョッパ制御に関心がなかったわけではなく、1967年に101系に電機子チョッパ制御を採用した主制御器を仮設して、横須賀線衣笠―久里浜間で試験が行われました。

 この101系に仮設した主制御器は、回生ブレーキも使うことができ、制動時に主電動機から発電した電流を、集電装置を通して架線に戻すことができました。しかし、回生ブレーキは発電して架線にもどした電流を、同じ線路上にある他の車両に使ってもらうことで主電動機に負荷が起き、その負荷を制動力に利用していました。

 しかし、走行試験を行った衣笠―久里浜間は、横須賀線でも末端部にある単線区間であるため、回生ブレーキを使うことで発生した電力を使ってくれるほかの列車がなかったのです。その代わりとして、電力を吸収するのは変電所の役割になりますが、これに対応する設備がなかったため、結局は回生ブレーキを使わずに試験をしたのでした。

 

沿線の事項が急激に増加し、それに伴い首都圏などの大都市圏この国電は混雑が激しくなっていった。収容力の高い20m級4ドアの通勤形である72系をもってしても、その緩和につながる輸送力を確保することができず、高い加減速性能をもったカルダン駆動方式の101系を投入して、輸送力を増強しようとした。しかし、その101形をもってしても混雑緩和につながる輸送力を確保するに至らず、さらなる高性能化が求められるようになった。帝都高速度交通営団営団地下鉄)がチョッパ制御に研究を重ねている頃、こくてつもまたチョッパ制御の研究を始めていた。101系に電機子チョッパ制御装置を仮設して、横須賀線の末端区間である衣笠―久里浜間で性能試験をした。(パブリックドメイン

 

 国鉄は101系に仮設しておこなった電機子チョッパ制御の試験から、更に研究を進めるために多くの列車がはしる路線で実施することにしました。根岸線で運用していた103系のうち4両編成に電機子チョッパ制御の主制御器を装備して、桜木町磯子感での走行試験を行います。この試験でも、電機子チョッパ制御は良好な結果を出し、懸念されていた誘導障害を発生させることはなく、力行時の制御も安定しているなど好成績をのこしました。一方で、回生ブレーキは低速でしか効果がないという、最も期待された効率性の課題に対しては、思ったような結果を出すことができませんでした。

 この後も、101系や103系電機子チョッパ制御を装備させて、仙石線根岸線で試験が続けられました。しかし、回生ブレーキの動作に問題があり、なかなか解決に至ることができなかったのです。1974年に根岸線磯子―大船間で103系に仮設した主制御器は、京浜急行で600形(二代)に搭載して試験をした、直並列チョッパ制御と呼ばれる方式を採用したものでした。この試験で、懸案となっていた回生ブレーキの動作範囲は大きく広がり、高速域から効果を発揮できることが確認でき、ついに国鉄でも電機子チョッパ制御の実用化に漕ぎ着けたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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