《前回からのつづき》
国鉄初のチョッパ制御車となった201系では、車体は耐候性高張力鋼板を使っていました。この鋼板は雨水などにさらされても腐食しにくい特性があり、たとえ表面部にサビが生じても、内部までそれが進まない性質を持っています。
とはいえ、鉄を含んだ鋼板であることには変わらず、重量はそれなりに重くなります。
チョッパ制御の採用によって、電力を効率よく使うことを可能にし、回生ブレーキによって電力の一部を戻すなど、省エネルギー性を高めたとしても、車体そのものが重くなってしまっては、その効果は下がってしまいます。加えて、車両重量が重い場合、加速力にも影響を与えるでしょう。そうなると、営団との協定によって設定された加速度を達成することが難しくなり、同時に電力使用量も増えてしまうことが考えられるため、高価な車両を導入した意味がなくなってしまいます。
国鉄は203系については、車両重量を可能な限り軽くすることにも注力しました。その出した答えは、国鉄通勤形電車ではあまり類を見ない、アルミニウム合金の車体を採用することでした。
国鉄が製造・保有していた車両のほとんどは、普通鋼でつくられたものでした。これは、国鉄は全国津々浦々で鉄道を運行するため、運用する車両も膨大な数になってしまいます。当然、製造コストはもちろんですが、それを維持管理し続ける運用コストも膨大であり、可能な限りそれを抑えなければなりません。また、車両によっては広域の配置転換をすることも考慮しなければならず、部品単位ではもちろんですが、車体についても一定程度の標準化をしなければなりませんでした。
普通鋼であれば、製造時のコストはそれなりに抑えることができました。また、普通鋼は加工がしやすいため、曲線をもたせたデザインも容易で、折ったり曲げたりもできました。衝突事故などによって損傷したときや、改造などをする時にも、普通鋼であればそれも容易に復旧したり手を加えたりすることもできるので、ある意味では好んで使われていたといってもいいでしょう。
1960年代に入ると、多くの鉄道事業者ではより軽量で、メンテナンスの手がかからない車両を求めるようになり、ステンレスやアルミニウム合金といった素材を採用するようになっていきます。しかし、国鉄は頑なにこの新しい軽量素材を採用することはほとんどせず、長きに渡って普通鋼を使い続けていました。
唯一の例外は、中央・総武緩行線から営団東西線に乗り入れるためにつくられた301系でしょう。1966年から製造された301系は、営団東西線乗り入れ用として、国鉄で初めてアルミニウム合金製の車体を採用したものであり、同時に地下鉄線を走行するために義務付けられていた運輸省A-A基準に準拠した車両でした。

営団千代田線乗り入れに先立って、営団東西線乗り入れ用に国鉄が用意した車両は、車体をアルミニウム合金で製作した301系だった。基本的な性能は103系とほぼ同じだったが、車体を軽量にすることで営団5000系とほぼ同じ性能を確保している。しかし、アルミニウム合金の301系は、普通鋼でつくられた103系よりも高価であり、増備をするには国鉄にとって大きな負担だった。後の増備車は、103系を東西線乗り入れ仕様にした103系1200番台に移行し、203系が登場するまで国鉄唯一のアルミ製通勤形電車だった。(© DAJF / Wikimedia Commons)
試作的要素の強い301系は、アルミニウム合金車体の車両に共通することとして、普通鋼製と比べて製造コストが高くなってしまいました。それでも、7両編成✕8本、合計で56両を増備したものの、その後増備車は103系を東西線乗り入れ仕様にした103系1200番台に移行してしまいました。
他方、ステンレス車体をもった車両もつくられました。153系の一等車であるサロ153形や、キハ35形にはステンレス鋼でつくられた試作車も登場しています。しかし、ステンレス鋼の車両は特殊な溶接技術が必要であり、それを製造できる車両メーカーは東急車輛一社のみで、車両の軽量化や塗装をする必要がないため保守コストの軽減や検修の合理化も期待されましたが、公共企業体である国鉄が車両の製造を特定の一社のみに発注することは憚られたため、結局は少数のみの製造で終わってしまいました。
こうした国鉄を取り巻く様々な事情もあって、203系は複数の車両メーカーが製造に参加できるアルミニウム合金製の車体を採用したのでした。
《次回へつづく》
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