旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【9】

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《前回からのつづき》

 

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 203系の車体レイアウトは、基本的に201系にほぼ近いものでした。側面は片側に乗降用として両開き扉を4か所設けた通勤形電車としての体裁をもち、客室の側窓は上段下降・下段上昇のユニットサッシを設置しました。

 このタイプのユニットサッシを採用したのは、やはり「国鉄らしい」といえるかもしれません。そもそもアルミニウム合金は薄いなどの腐食に耐えられる素材であり、同時期に増備が進められていた営団6000系などは、一段下降式窓を採用していました。ところが、国鉄は伝統的な上段下降・下段上昇式のユニットサッシを使うなど、せっかくのアルミニウム合金の利点を最大限に活かすことはしませんでした。これは、ユニットサッシにすることで工数などを減らすことはもちろん、部品の共通化を図ることでコストの軽減を狙っていました。また、国鉄はこの一段下降式窓に対して、一種のトラウマのようなものを抱えていたといえます。

 153系などの急行形電車や、キハ58系の一等車(後にグリーン車)では、客室側窓に一段下降式窓を採用しました。窓はガラス一枚だけなので、客席からの眺望はよく、車内を明るくすることができるとともに、夏季などで窓を開けるときには軽く力を入れるだけで済むので、評判も上々だったといいます。

 しかし、開口部から雨水が侵入し、それが車体裾部の内部で溜まってしまった結果、砂埃などとともに車体そのものを腐食させてしまい、修繕の手間がかかるばかりか、車両そのものの寿命を短くしてしまいました。それ以来、一段下降式窓に対して国鉄は一種のトラウマのようなものを抱えてしまい、ある意味では「禁忌」とされてきました。アルミニウム合金車体となった203系も、その「禁忌」を破ることはできず、ユニットサッシを使った旧来からのつくりになったのです。

 その一方で、戸袋窓は製造コストの軽減を狙って廃止となり、201系とは印象が僅かに変わりました。これは、地下鉄線内を走行するときにはほとんどがトンネル内にあることから、客室から外を見ることが殆どできないという理由でしてが、戸袋窓となる部分を開ければそれだけ工数が多くなり、窓のガラスも必要であることから、コストを抑えることが本音だったとも考えられます。

 203系の前面は、それまでの国鉄型車両にはない、非常に斬新かつ特徴的なものとなりました。腰部を中心に上部と裾部に傾斜を入れた造形は、同じ千代田線を走る営団6000系を意識したものでしょう。そして、中央には非常用脱出口となる貫通扉が設けられ、その左右には前面窓は設置されました。前面窓の下方向には黒色で処理され、上部の方向幕などと一体に見えるように処理がされました。

 

203系の前面は、国鉄通勤形電車としては珍しく、窓下を境に後方に傾斜がつけられた立体的なものだった。方向幕や運行番行表示幕は、黒色で一体化した造形の中に収められ、ガラスで覆うなどしたより近代的なデザインとなった。これは、営団6000系小田急9000形のデザインを折衷し多様な形で、画一的だった国鉄車のイメージを一新させるとともに、国鉄に対する印象を好転させることをねらったともいえる。(クハ202-102〔東マト〕我孫子駅 2010年6月26日 筆者撮影)

 

 前面窓と貫通扉の上部には、行先方向幕を中心に、助士席側には運行番号幕を、そして運転士側には国鉄車であることを示すJNRマークが配されました。これらはいずれも周囲を黒色で処理され、さらに車体断面に沿った形でガラスの内側に設置されたことで、斬新かつ時代に合わせたデザインになりました。もっとも、これら203系のデザインは、営団6000系小田急9000系の「いいとこ取り」したともいえ、それまで良くも悪くも画一的だった国鉄形車両とは一線を画しました。これは、当時の国鉄に対するイメージの悪さから脱却し、多くの人に変わっていくことをアピールしたかったとも考えられるでしょう。

 203系の客室は、201系のものとほぼ同じでした。

 

 

《次回へつづく》

 

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