旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【11】

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《前回からのつづき》

 

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 この100番台で最も目を引いたのが、装着する台車でした。0番台では201系と同じインダイレクトマウント空気ばね式で、軸箱支持を円筒案内式としたDT46A/TR235A形を装着していました。しかし、100番台ではこの台車ではなく、さらに軽量化したものに変えました。

 

アルミ合金車体と電機子チョッパ制御の組み合わせで登場した203系は、それまでの国鉄通勤形電車と比べても、非常に高価なものになってしまった。そのため、よりコストを抑えるために仕様を変更した100番台、いわゆる「軽装車」では、台車をDT46系からより軽量かつ構造が簡単になった、ボルスタレス式空気ばね式のDT50系が採用された。この台車は国鉄初のボルスタレス構造をもった台車で、205系や211系での成功を受けて、多くの車両に装着されるようになった。(モハ205 蘇我駅 2010年11月14日 筆者撮影)

 

 100番台の製造が始められた1985年は、国鉄の車両にとってさらなる変革が訪れた年でした。新たな通勤形電車として、国鉄初の量産オールステンレス車である205系と211系が開発されました。この2つの電車は、オールステンレス車となっただけでなく、高価な電機子チョッパ制御を使うことなく、回生ブレーキを使える界磁添加励磁制御を採用したこと、そして何よりも従来のボルスタアンカーがついた台車よりも軽量化を実現した、ボルスタレス空気ばね式で、軸箱支持を円錐ゴム積層式としたDT50系を装着したことでした。

 このDT50系台車は、構造が非常にシンプルであるという特徴をもっていました。重量も軽く、高速走行にも耐えられる設計であり、しかも非常に価格が抑えられているという、まさに国鉄の台車史に大変革をもたらしたものでした。そして、比較的安価であり、最新式のボルスタレス構造であることから、これ以後に製造された国鉄の車両は、一部を除いてこのDT50系が多く採用されて、結果として国鉄の末期でありながら大量に生産されたとともに、民営化後もこの台車が製造され続けたのはもちろんのこと、

 軽装車となる100番台では、この軽量ボルスタレス台車であるDT50A・TR235A形を装着することで、車両重量の軽減を図りました。このほかに、屋根の塗装を0番台の3mmから2mmに減らしたり、中間車どうしの連結器を密着連結器から半永久連結器に変えるなどして、さらなる軽量化と製造コストの縮減をしました。

 0番台と100番台では台車を除いて外観に大きな変化はありませんでしたが、それでも車両重量は2〜3.6トンも軽くすることができたため、走行時の使用電力量をさらに減らすことが可能になるなど、運用コストの面でも削減できたと考えられます。

 1985年に製造された100番台は、10両編成9本、合計で90両が製造され、0番台と同じ松戸電車区に配置されると、残った103系1000番台をすべて置き換え、営団から長きに渡ってチョッパ制御車に変えるという要請を、ここでようやく実現させることができたのです。

 203系が装備していた保安装置は、千代田線で採用されたCS-ATCと地上線で使う頻度が多いATS-S形でした。SC-ATCは信号機が車内に設置されたATCで、国鉄では同等の昨日をもった車上装置であるATC4形を装備していました。これは、千代田線はもちろんですが常磐緩行線でも採用されていたため、この保安装置を欠かすことはできませんでした。他方、ATC区間ではないところを走行する場合、これに対応した保安装置も必要でした。特に大規模な法定検査(全般検査など)で実施する工場へ自力回送する場合、透過する殆どの路線はATC化はなされておらず、そのため多くの路線で運用が続けたれていたATS-S型もまた、203系にとっては重要な保安装置だったのです。

 このほか、203系には国鉄線はもちろんですが、乗り入れ先になる営団千代田線に対応したものが搭載されました。特に常磐線三河島事故という多くの犠牲者を出す悲惨な経験をしていることから、国鉄はここを走る車両に対して列車無線を始めとした保安設備の整備などに神経を使っていました。203系も製造当初から列車防護無線装置はもちろん、列車無線も装備していました。国鉄で使う無線装置は、150MHz帯の空間波無線を使うため、先頭車の屋根上にはポールアンテナが設置されるとともに、地下鉄である千代田線内では誘導無線が使われていたことから、これに対応したアンテナも設置されていました。

 

203系は分割民営化によって、全車が松戸電車区配置のままJR東日本に継承された。運用範囲も、常磐緩行線・地下鉄千代田線と変わらず、東は取手、西は代々木上原までだった。とはいえ、登場時は国鉄に所属していたが民営化で会社が変わり、その後、乗り入れ先も帝都高速度交通営団という特殊法人から、同じく民営化によって東京地下鉄に変わった。いわば、「官から民へ」という流れのもと、激動の時代を走り続けてきたともいえる。(©TC411-507, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 このように、203系は電機子チョッパ制御やアルミニウム合金製の車体など、国鉄形車両としては異色ともいえる数々の新機軸を取り入れた通勤形電車であり、電力消費量を可能な限り抑えるなどして運用コストの軽減を目指し、長年に渡る営団からの要請に応える車両となったのです。

 

《次回へつづく》

 

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