旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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国鉄の置き土産~新会社に遺していった最後の国鉄形~ 私鉄車両に迫ったアルミ車体とチョッパ制御車・203系【13】

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《前回からのつづき》

 

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 203系も量産先行車が1982年に、0番台は1984年に新製され、運用を始めてから既に20年以上が経っていたこともあり、車両の大規模な更新工事を施すか、新型車に置き換えるかの時期に差し掛かっていました。JR東日本は当然、後者の方を選び、国鉄時代とは打って変わって潤沢な財力を背景に、2009年から2011年にかけて18編成180両のE233系2000番台を増備し、203系は急速にその数を減らしていきます。

 そして、最後まで残ったマト55編成が、2011年9月の運用を最後に、すべての運用から退いていき、翼10月に廃車除籍されて廃系列となったのでした。1982年の登場から29年、最後まで運用されたマト55編成に限ってみれば28年で去っていったのです。

 

2010年終わり頃から203系は順次E233系2000番代の導入によって、運用を退き廃車となっていった。1985年の運用開始から25年程度でその役目を終えたが、「質実剛健」とう言葉がぴったりな国鉄形車両としては、半分と少しの寿命だったといえるだろう。同じアルミニウム合金車体と電機子チョッパ制御の営団6000系は、47年もの長きに渡る活躍だったことを考えると、その半分以下で姿を消したことがわかる。もっとも、営団6000系は制御装置をVVVFインバータ制御に換装して寿命を延長したので、オリジナルの状態のままであったら203系と変わらなかったかもしれない。最後まで電機子チョッパ制御のままだったことから、203系も寿命をまっとうしたといっても過言ではない。写真はたまたま新鶴見信号場を訪れた際に、下り線を通過していく廃車回送の途上の203系。車番はモハ202−13で、元マト55編成の一員だったが、フィリピンへ譲渡されるために貨物列車(甲種輸送)として、神奈川臨海鉄道千鳥町駅へ輸送する途上のもの。この後、千鳥町駅に隣接する川崎市営埠頭からフィリピンへ旅立っていった。(モハ202-14〔東マト〕新鶴見信号場 2011年10月15日 筆者撮影)

 

 これは、無駄とも思えるほど頑強な設計であるが故に、新製から40年近く、ともするとそれ以上も走り続けたことが多い国鉄形車両としては、30年に満たないで退いていっことは、短いといっても過言ではないでしょう。しかし、半導体素子を使う電機子チョッパ制御であったため、年数が経つにつれて交換用部品の確保が難しくなること、特に半導体素子は次々に新しいものが開発され、古い物の製造が早期に終了するのが多いことを考えると致し方なのないことであり、電装品の交換といった大規模な更新工事を施されないまま30年近く走り続けたことの方が凄いことだともいえます。

 いずれにしても、巨額の債務によって苦しい財政事情の中で、高価な203系を増備したことは、国鉄にとっては苦しい中での選択だったといえるでしょう。このことは、後に203系を継承したJR東日本にとっては、急いで新たな車両をつくる必要がなく、特に民営化直後は経営基盤が確固たるものになっていなかった時期においては、大いに助けられた存在であり、国鉄が新会社に残した「置き土産」ともいえます。

 また、新機軸の導入といったことに消極的ともいえた国鉄にとって、最後の最後でこのような新たな技術を導入したこと、そして私鉄車両並に経済的な車両を製造・投入したことは大きなチャレンジであり、国鉄の車両史においても語り継ぐ価値のある存在だったといえるでしょう。

 今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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