《前回からのつづき》
■直流電化とともに登場した改造補機EF16形
1949年に直流電化されたことで、板谷峠を越える列車は電機が牽くようになりました。この電化によって奥羽本線で運用する機関車が配置されている庭坂機関区にやってきたのが、当時、量産が続けられていたEF15形でした。
EF15形は多くの方が知る、戦後に製造された旧型貨物用電機で、貨物用電機の標準機といってもいいほど、数多く運用された車両です。戦前に鉄道省が設計製作したEF10形に始まる国鉄の旧型貨物用電機の流れを汲む車両ですが、EF10形からEF13形までは戦前、戦時中の開発製造であるのに対し、EF15形は戦後の製造であったため、202両という当時としてはベストセラーの電機でした。

戦前の省形電機の代表格ともいえるEF10形は、初の国産F級貨物用電機としてEF53形を基本に設計・製造された。東海道本線の丹那トンネル開通によって、品川ー新鶴見ー沼津間での運用を皮切りに、電化区間の貨物列車を牽く任に充てられた。後に、勾配区間である上越線と中央本線用として回生ブレーキを追加したEF11形、主電動機出力を強化したEF12形へと発展していき、途中、戦時設計のEF13形を経て戦後の代表的貨物機となったEF15形へと連なる「源流」となった。1938年からは上越線での運用にも充てられ、勾配区間における強力な機関車としても使われた。(
旧型電機に共通する台車枠に主電動機を架装し、台車枠同士を連結したうえで、連結器もそこに装備して牽引力を伝え、車端部には先輪を1軸備え、この部分にデッキを設置するという構造はEF15形にも踏襲されていました。
他方、EF15形は出力300kWという当時としては強力な主電動機であるMT41形を6基搭載し、定格出力は1800kWという破格の性能をもっていました。これは後に出力325kWのMT42形が採用されると、定格出力も1900kWにまで強化され、EF13形が266kWのMT39形とは比べ物にならないほどの強力機となり、文字通り貨物用電機としては申し分ない性能をもっていました。
このような強力な性能をもつに至った背景は、強力な主電動機を開発し続けていたこともありますが、何より戦時中から戦後を通して貨物輸送が逼迫していたことがその理由として考えられるでしょう。
戦時中は軍需物資を中心とした貨物輸送は、それまでの内航船舶は軍部による船舶の徴用や、アメリカ軍の攻撃などにより輸送力は低下し、押し寄せる貨物を捌ききれなくなってしまいました。こうした状況の中で、特に軍部は陸上の輸送力の強化を要望し、これに対応できる強力な機関車が必要だとされたからです。
そして、第二次大戦も終わると、今度は外地から大量に帰還してくる復員した軍人の輸送が増大したことや、さらに軍需物資の輸送が終わっても、食糧難などによる貨物輸送は増大していったこともあって、強力な貨物用機が数多く必要だったこと、さらには特に戦前製の省形電機も戦時中の酷使によって老朽化も進んでいたことなどから、EF15形は量産されたのでした。
牽引力を重視した性能をもつEF15形は、板谷峠のような連続した勾配を登るのにはうってつけの存在でした。強力な5軸蒸機であるE10形でも登れましたが、問題は連続したトンネルを登るときに出る煤煙が、乗務する機関士たちや乗客を苦しめていたので、電化による無煙化は優先的な課題でした。また、増大する輸送量を捌くためには、蒸機では力不足で、電機への置き換えは大いに期待されたといえます。
こうして、板谷峠を越えるためにやってきたEF15形は、その牽引力を活かして早速奥羽本線の列車を牽きはじめました。しかし、牽引力重視の性能をもったEF15形は、列車重量の制限はあったものの、登坂時は大きな問題はなかったようです。
問題は降坂時に起こりました。
平均30パーミルという連続した急勾配は、信越本線の碓氷峠ほどではないにせよ、列車全体の重量を支えながら坂を下る機関車には大きな負担でした。特に速度を制御するためにはブレーキを使わなければなりませんが、通常の自動空気ブレーキを長時間使ってしまうと、輪軸のタイヤを挟み込む制輪子が加熱し、さらには制輪子に挟み込まれたタイヤも熱を持ち、最悪の場合はこのタイヤが熱膨張を起こしてスポークから外れてしまい、脱線転覆事故を起こしかねません。

第二次世界大戦後に大量に製作されたEF15形は、国鉄の貨物用旧形電機の標準軌としての地位を築いていった。その高い汎用性から、東海道本線や山陽本線だけでなく、上越線、阪和線、そして南武線と青梅線でも活躍した。その強力な性能から、奥羽本線を直流電化させてEF15形を投入し、板谷峠越えの運用にも充てられた。しかし、連続した急勾配のため、特に降坂時におけるブレーキが問題となり、水タンクを載せて散水させながら車輪やブレーキ装置を冷却させていたが、根本的な解決には至らなかったが、それでも峠越えの頼もしい存在だった。(EF15 170〔立〕 奥多摩駅 1984年8月15日 筆者撮影)
これは、自動車でいうところのフェード現象のようなもので、鉄道車両でも摩擦による制動力を得るブレーキは、あまりにも使いすぎるとこのような熱による不具合が起きるのです。
また、当時の鉄道車両の輪軸の多くは、車軸にはめ込まれたスポークと、その周囲にタイヤを嵌め込んでつくられていました。この構造のため、制輪子との摩擦によって制動力を得ることができますが、過熱状態になるとタイヤが熱膨張で外れてしまうことがあるのです。現代の鉄道車両の輪軸の多くは、一体圧延でつくられたものが使われているためこのような現象が起こりにくいようになっていますが、やはり過熱状態が続くと火災を起こす危険があるので、摩擦力によって制動力を得る自動空気ブレーキの多用は厳に慎まれているのです。
このようなブレーキの摩擦による発熱を抑えるために、板谷峠越えの運用に充てていたEF15形を本格的な補機仕様に改造したのがEF16形でした。
《次回へつづく》
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