《前回からのつづき》
旧形国電時代のように、電動車1両単位でも運用できる新性能電車、いわゆる1M電車は、国鉄時代は長らくつくられることはありませんでした。
その理由として、1M電車を運用する線区が限られていたことです。このような小単位での輸送力を必要とするのは、鉄道国有化や第二次世界大戦中に国家総動員法に基づいて強制的に買収・国有化された「戦時買収私鉄」の線区で、その多くは輸送量が少ないものでした。
こうした戦時買収された線区、国鉄にとっては一部を除いて経営的には重荷ともいえる経営状況が続きます。新たな設備投資をしても、それを回収できる見込みがないので、国鉄もそうした施策をすることには消極的でした。それよりも、投資に見合った収益を上げることができる都心部の路線に、新型車両を投入した方が経営的にも理にかなっています。
そのため、首都圏や関西圏のメインとなる線区に最新の車両を投入すると、そこから押し出された車両は大都市圏の近郊路線に配置し、さらに押し出された経年の古い車両を配置していました。
例えば、国鉄初の新性能電車である101系が山手線や中央線に新製配置すると、そこで運用していた72系を南武線などの郊外路線へ配転します。そして、郊外路線で運用していた40系や17m級国電を可部線や飯田線といった地方の電化路線へ配転し、そこで運用していた社形電車などを淘汰していくという、「古いものは郊外や地方へ移して使う」という手法がとられていたのでした。

東京や大阪といった都心部に新型車両を導入すると、そこから押し出された車両は大都市圏の近郊路線へと転用された。そして、その近郊路線で運用していた車両は、地方の電化路線に転用されるといういわゆる「玉突き配転」が国鉄時代の常套手段だった。そのため、特に戦時中の買収私鉄だった線区には経年の高い車両を使い続けていることが多く、特に身延線や飯田線は「旧形国電の楽園」とさえいわれているほどだった。その一方で、旧形国電は電動車1両単位での運用が可能であることから、混雑などを考慮した増結や減車といった柔軟な対応が可能だった。(©栗原 岳 (Gaku Kurihara), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
そのため、電動車1両単位で運用できる旧形国電を使い続けていたので、わざわざ新性能の1M電車をつくる必要がなく、1980年代初めの頃まで地方の電化路線で、車齢が50年近くにも及ぶ旧形国電が活躍し続ける状態が続くことになりました。
一方で、首都圏などの大都市圏や東海道本線といった幹線では、新性能電車が投入され続けました。加速が遅くて振動が大きく、軌道への負担も大きな吊り掛け駆動式の急性脳電車を置き換え、高い加速性能と騒音・振動が少なく乗り心地も改善された電車によって、機関車牽引の客車列車をも置き換えていきます。
特に幹線の普通列車を電車化することによって、輸送力の改善も期待されていました。しかし、普通列車を電車化することで、それまで連結していた郵便車や荷物車を使うことができなくなりました。
これは、国鉄にとって大きな問題になります。そして、郵政省にとっても問題でした。
客車列車の電車化が進められていた当時、鉄道は旅客輸送や貨物輸送だけでなく、手小荷物や郵便物も運んでいました。手小荷物は乗客の手荷物を預かり、旅行の利便性を高める輸送サービスでした。小荷物は郵便と並んで一般の人たちにとって、荷物を送る数少ない手段でした。
郵便輸送にとっても、鉄道は非常に重要な存在でした。特に遠方に送達する郵便物は、鉄道が唯一の輸送手段でした。郵便車は鉄道郵便局員が乗務し、郵便物の区分作業をしたり、区分を終えた郵便物を詰めた郵袋を指定された駅で積み下ろしをしたりする役割を担っていました。その郵便車が列車に連結できないということは、国内の郵便そのものが麻痺することを意味していました。
《次回へつづく》
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