《前回からのつづき》
鉄道を使って貨物として運ぶ物は、原材料か製品であって、誰かが棄てた物=廃棄物=ゴミを積み込んで輸送するなどとんでもない、ある意味「非常識」だという考えが鉄道関係者にとって当たり前でした。
ところが、これを覆して廃棄物を鉄道で運ぼうとした自治体が現れました。
神奈川県の東部にある政令指定都市である川崎市は、東を東京都、西を横浜市に挟まれた南北に長い市域をもち、ここに2025年芸財では約150万人の人々が暮らす、国内でも有数の大都市の一つです。その一方で、政令指定都市の中では142.96平方キロメートルと面積が最も小さく、ここに約150万人が住んでいるので人口密度は大阪市に次いで2番目に大きい自治体です。
こうした過密都市ともいえる川崎市は、1980年代終わり頃から生活廃棄物が急増し、その処理が大きな問題となっていました。
当時、川崎市の生活廃棄物を処理する施設は、川崎駅近傍にある堤根処理場と、武蔵南線梶ヶ谷貨物ターミナル駅に隣接している橘処理場、そしてもっとも北にある王禅寺処理場の3か所で処理をしていました。そして、これらの処理場で焼却処理されて出てきた焼却灰は、臨海部にある東扇島の埋め立てに使われていました。しかし、年々増加する生活廃棄物の処理に、この3か所では間に合わなくなることなどから、羽田空港に隣接した埋め立て地である浮島町に新たな処理場を建設し、市南部から出される廃棄物の処理を開始して、4か所で対応することにしました。
処理場を4か所に増強して、増え続ける生活廃棄物の処理能力を向上させたものの、新たな問題が立ちはだかります。1980年代のゴミ処理は、一般のゴミもプラスチックゴミも、そして金属でできた缶も一緒に焼却処理していました。しかし、この方法では処理にかかる手間は省けたとしても、焼却するときの温度を高温にしなければならず、高性能の焼却炉を必用とするばかりか、老朽化を進行させてしまいます。また、焼却の時に出てくる有害ガスの処理や、排出される焼却灰の問題がありました。
当時、川崎市は大気汚染に悩まされていました。川崎公害訴訟に代表されるように、筆者が幼少の頃の川崎市の空は晴れた日でも灰色に近く、お世辞にもきれいな空気とは言い難いものでした。夏になると光化学スモッグが発生し、外遊びや水泳の授業ができなくなるなど、環境問題の解決は喫緊のものになっていました。
1990年代に入ると環境に対する意識が高まり、生活廃棄物の分別が始められるようになります。特に焼却処理をしても燃えることのない空き缶や空き瓶は分別の対象になり、川崎市でも週に1回、空き缶・空き瓶の収集日が設けられました。それでも、生活廃棄物は増える一方で、焼却処理で出てくる焼却灰を埋め立て処分場のある臨海部まで運ぶために、多くの専用トラックを保有して市北部から毎日のように輸送していたのです。
しかし、収集した空き缶や空き瓶と焼却灰をトラックで運んでいれば、当然、これから出される排気ガスがあり、その台数が多ければ多いほど、排気ガスの量も多くなります。大気汚染に悩まされていた川崎市にとって、自らその原因となる自動車の排気ガスを出してしまっていては、本末転倒といえる状態だったのです。

東京に最も近い位置にある京浜工業地帯は、明治期から始められた東京湾岸の埋立地造成事業によってできた新たな土地に、重工業が続々と進出して工業地帯を形成していった。東京に最も近いという立地は、殖産興業によってできた企業にとって非常に都合がよく、近隣に多くの住宅地が形成されていても、そんなことに構うことなく大工場が建設されていった。その結果、工場から排出されるガスには窒素酸化物をはじめとする有害物質が多数含まれ、大気汚染が酷くなっていった。特に戦後のモータリゼーションの進展はこれに拍車をかけ、自動車の排気ガスとともに本来なら青く澄み渡る空が、灰色のガスに覆われてしまうことになる。そして、喘息に代表される公害病が社会問題化したことで、この解決を迫られることになっていった。(出典:写真AC)
南北に長い市域をもつ川崎市には、幹線道路は大きく2本通っています。東側の府中街道(一部は国道409号線)と尻手黒川道路(県道14号線)の2つで、このうち焼却灰輸送用のトラックが多く運行されていたのは、後者の尻手黒川道路でした。しかし、この道路はほとんどが片側1車線の狭いつくりで、幹線道路とは名ばかりの処理能力の低い道路でした。そのため、多くの車が集中して渋滞しやすく、その渋滞のために排気ガスが多いといった弱点を抱えていたので、これを少しでも緩和するためには通行する車の量を減らすほかありません。1日に数多く運行されている焼却灰線用のトラックを減らせば、これらの解消に少しでも貢献できるのです。
また、これらのトラックを運転するためには、大型自動車免許を取得した職員も必要でした。その職員の分だけ人件費も必要になり、しかも大型自動車免許を取得し特殊な業務に従事することから、一般の職員と比べて人件費はそれなりに高くなっていたと考えられます。従来の方法に拘り続ければ、いずれは人件費が嵩んでしまい、財政的に厳しくなるのは容易に想像できることでした。
こうしたさまざまな問題を解決する方法として、川崎市は南北に走る貨物線である武蔵野南線に着目しました。鉄道を使って生活廃棄物を運び、浮島町に建設した処理場で処理したり、埋め立て処分場に焼却灰を運んだりすれば、専用の大型トラックの数を削減できます。幸い、武蔵野南線には梶ヶ谷貨物ターミナル駅という、コンテナ取扱駅がありました。その立地は川崎市の北部でも中部よりで、幹線道路である尻手黒川道路に接続しています。また、大型トラックの数を減らせば、大型自動車免許を取得した職員の数も減らすことができ、人件費を抑えることも可能になります。そして、何よりも大型トラックから排出される排気ガスを減らすことができ、大気汚染を改善させることも可能になってくるのです。

南北に長い市域をもつ川崎市は、東部の多摩川に沿うように旅客線である南武線が通っている。一方、横浜市側の西部には旅客線こそないものの、貨物線としての武蔵野線(通称:武蔵野南線)が通っておる。これは、新鶴見信号場-武蔵小杉間にある開口部から地下線に入り、中原街道のほぼ下を通り抜けて、多摩丘陵南端に当たる梶ヶ谷付近で明かり区間として貨物駅を設置し、再び地下線を通って北へと進み、最終的に稲城市内で地下区間を抜けて多摩川を渡河、府中本町で旅客線としての武蔵野線に合流する。その明かり区間に設けた貨物駅、梶ヶ谷貨物ターミナル駅は川崎市内にある貨物駅としては川崎貨物駅(旧塩浜操駅)と並ぶ物流拠点であるが、現在は一般の貨物は取り扱わず、専ら川崎市の生活廃棄物とJR東海が進めるリニア中央新幹線建設工事で出される残土輸送取り扱っている。かつてはここから、サントリー製の飲料類なども輸送されていた。写真は梶ヶ谷貨物ターミナル駅構内を府中本町方に向かっての眺望で、左側に本線、まん中に着発線、右側にコンテナホームとJR貨物が初めて建設した複合施設「エフ・ターミナル」、その奥に旧日本テレコム(現在のソフトバンク)の施設がある。右側に見える高い鉄塔は駅構内を照らす投光器のもので、かつて筆者もここに登って保守作業をした経験がある。(梶ヶ谷貨物ターミナル駅 2012年8月2日 筆者撮影)
このような事情を背景に、川崎市はJR貨物に生活廃棄物のコンテナ輸送を打診しますが、JR貨物は難色を示したといいます。そもそも、JR貨物にとって鉄道で輸送する貨物とは、製品になる前の原材料であったり、工場で生産された製品であったりするため、廃棄物=ゴミを運ぶなど経験したことがありません。生活廃棄物であるので有害物質を含んでいないとはいえ、ゴミはゴミでしかなく、そんなものをコンテナに積み込むなどとんでもない話で、JR貨物が保有する5トンコンテナに載せるなどもってのほか、専用のコンテナを使ったとしてもさまざまな問題を引き起こしかねないと考えていたのでした。
《次回へつづく》
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