旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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峠に挑んだ電機たち 第3章 今も残る補機運用 川の水を分かつ安芸国の隘路・瀬野八【3】

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《前回からのつづき》

 

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 運用に就いたEF59形は、瀬野を拠点に瀬野八を越える列車の最後部に連結されて、25パーミルの急勾配が10kmにわたって続く隘路を、列車の後方から力強く後押ししました。原則としてすべての列車は瀬野駅に停車、ここでEF59形を連結して後方から押してもらいながら瀬野八を登り、そして旅客列車は八本松に到着すると、貨物列車は八本松を通過し次の西条で運転停車して切り離しをしていました。

 また、速達性が求められる寝台特急や、10000系貨車で組成された特急貨物列車は、到達時間を短くするため旅客列車は広島で、貨物列車は広島操車場で後押し用の補機を連結、八本松近くで走行中に連結器を解放するという特異な運用でした。これは、瀬野、八本松、そして西条はいずれもこれら特急列車は通過駅であったためで、補機の連結解放のために運転停車をしてしまうと、その分だけ時間がかかってしまうからでした。

 

山陽線の隘路である瀬野八で、1963年から通過する列車の多くを後押しし続けたEF59形は、EF53形からの改造車とEF56形からの改造車の二種類に大別できる。EF53形からの改造車は、種車のリベット打ち構造をそのまま残し、無骨ながらも省形電機として完成されたスタイルを保っていた。改造によって東京方先頭になる2エンド側の連結器廻りが大きく変化したほか、広島方の車体前面には警戒色としてこのよな黄色と黒のゼブラ模様が施された。これは、補機仕業を終えて瀬野へ単機で戻る回送時に、保線職員から視認性が悪いことを指摘されたことを受けての措置だった。他の線区では問題にならなかったぶどう色2号の塗装が瀬野八で問題になった理由は定かではないが、瀬野八は線路の両方を山に囲まれた中を走り、特に秋の紅葉時に周囲の木々に溶け込んでしまうことがその理由の一つとして推測できる。(EF59 1〔瀬〕 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)

 

 こうした運用のために、EF59形には前述のように1エンド側の連結器は、自動解錠装置を備えた密着自動連結器を装備しました。この装置は、運転台からの操作で連結器の解錠てこを空気シリンダーで解錠操作するもので、連結器が解放されると補機であるEF59形は自動的にブレーキがかかって減速し、速度を落とさない列車はそのままEF59形から離れていくというものでした。

 また、走行中に解放するということは、単に連結器を外せばよいというものではありませんでした。理論上、後補機はブレーキ管を連結しなくても、列車を押し上げることは可能です。ただし、ブレーキ管が接続されていないので、本務機がブレーキを作動させても列車本体はそれが作動しますが、補機はそれができません。特に急制動をかけたときには補機の力が列車全体を挟み込むような力が加わってしまうので、座屈を起こす危険があります。特に高速で走行している場合、こうした減少は致命的な大事故に繋がる恐れがあります。

 そこで、EF59形の密着自動連結器は空気管付の特殊なものを装備しました。自動解錠装置だけでも特殊ですが、さらに空気管付きともなるとその形状は大きく変わります。連結器本体の四隅には空気管の接続部が配置され、一般的な電機のそれとは異なる非常に物々しさを感じさせる形状になっていました。また、これらの配管とブレーキホース、元空だめ管のホースもあることで、さらにその雰囲気を引き立たせていました。

 

EF59 1の東京方2エンドの連結器廻りは、種車のEF53形のものとは大きく変わった。連結時は空気管付密着自動連結器に替えられ、走行中に自動解放するため解錠てこは電磁空気弁で作動するものになっている。これは、10000系高速貨車を使った特急貨物列車に対応したためでだった。そのため、種車のシンプルかつ優美なものとは打って変わり、非常に物々しい印象になった。(EF59 1〔瀬〕 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)

 

2エンド側連結器廻りを正面kら捉えると、種車の時代には従台車の台車枠が連結器まで伸びていたが、改造後はこれがなくなり中の緩衝器が丸見えになってしまった。連結器が空気管付密着自動連結器に変わったほか、自動解放用の電磁空気弁、左側には元空気だめ管用の空気ホース、右上には重連総括制御用のジャンパ連結器もあるなど、いかにも改造機らしい物々しさだ。(EF59 1〔瀬〕 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)

 

 この空気管付連結器としたことで、後補機運用の保安度を上げることが可能になりました。

 量産先行として製作された1号機と2号機の運用結果が良好だったことから、この年の夏から本格的な改造が実施され、余剰化したEF53形から続々とEF59形に生まれ変わって瀬野区へとやってきました。

 外観は、1エンド側のデッキに取り付けられた連結器部分を除いては、種車であるEF53形と大きく変化することはありませんでした。しかし、運用を続けていくと、保線職員など線路内に立ち入ることの多い職種の職員から、遠方からの視認がしづらいという意見が出されました。これは特に下り回送列車として運転する場合が顕著であったことから、2エンド側、すなわち下関方の前面に警戒色を施すことになりました。この警戒色は、前面窓下と端梁を黄色一色で塗装するものと、黄色と黒をV字状に塗装するものとが比較され、最終的には後者が採用され、全機にこの警戒色を塗装しました。これも、他の電機にはないEF59形の特徴の一つとなったのです。

EF59形はEF53形を種車としたものと、後に増備のためにEF56形を種車としたものの②種類があった。EF56形は暖房用の蒸気発生装置を搭載した初の旅客用電機で、車体もEF53形とは異なり溶接構造となった平滑で流麗なものだった。加えて車体の角は丸みを持たせた柔らかい印象を与えることになったのも、溶接技術が発達したことによるものだった。1969年にこの初期車が改造対象になり、EF59 20-24となって外観上でも異彩を放っていた。(国鉄電機機関車形式図より抜粋・引用)

 

EF59形主要諸元表(生成AIを使用し、筆者がまとめたもの)

 

 EF59形の増備は、種車となるEF53形と同じ数となる13両が1968年までに改造されたところで一度は終わりました。しかし、列車の増発などによってさらに増備が必要となったため、1969年から1972年にかけて再び改造製作がはじめられたのでした。しかし、種車となるEF53形はすでに全機がEF59形へ改造されてしまったため皆無であり、新たな種車を必要としました。

 そこで、宇都宮運転所に配置され、東北本線の列車の電車化や、EF57形の配置によって荷物列車を牽くことが主な仕事になって持て余し気味だったEF56形が選ばれたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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