■古豪機の置き換えとして期待されるも欠陥をもったEF61形200番台
《前回までは》
1969年から瀬野八の補機として活躍していたEF59形は、種車が戦前製省形電機であったため、すでに古豪機といえるものでした。そのため、老朽化が進んでいたこと、特にEF56形を改造した車両は蒸気発生装置の水蒸気や水が車体を腐食させていたため、早い時期に後継車に置き換えることが望まれていました。
1970年代後半に入ると、EF59形の後継車両の計画が具体化しはじめていきます。
計画では1200トンの重量列車を単機で押し上げることを目的としていました。EF59形であれば重連でなければならないのを、単機にすることで機関車の所要数を削減し、運用コストを軽減することをねらったのでした。

長らく瀬野八を越える列車の背中を押し続けてきたEF59形は、種車は戦前製の省形旅客用電機であったため、老朽化が進んでいた。EF53形ベースのものは1935年に登場して運用が長く、EF56形ベースのものは製造こそ後になる1937年だが、やはりそれなりに古くなっていたため、後継となる新型の補機が望まれていた。(©spaceaero2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
この目的のため、新たな瀬野八用補機として1977年に登場したのがEF61形200番台です。EF61形200番台は、国鉄初の新性能直流電機であるEF60形の第1次車を改造して製作されました。
EF60形の第1次車は、同時期に製作された国鉄形電機と同じように、クイル式駆動を採用しました。この駆動方式は、電車でいうところのカルダン駆動に相当するもので、従来の吊り掛け駆動と比べてばね下重量が軽く、主電動機が駆動するときの振動が少ないことから、軌道への衝撃が少ないため、保線コストの軽減が期待されていました。
しかし、その期待とは裏腹にクイル式駆動は、その構造に由来するトラブルを続発させてしまいました。この駆動方式では、大歯車から伸びるスパイダと呼ばれる支持腕が車輪に取り付けられていますが、このスパイダを設置するために大歯車は密閉できない構造でした。そのため、この大歯車の部分に砂や埃が入り込んでしまう、小歯車との噛み合いが悪化し、異常振動と騒音を頻発させてしまうのです。


瀬野八用の次期補機専用機は、再び既存の車両からの改造になった。その種車として選ばれたのが、新性能貨物用機であるEF60形で、その中でもクイル式駆動を採用した第1次車が選ばれた。EF60形第1次車は外観が第2次車と大きく変わらないが、前部標識灯のケーシングが1次車では樽形、2次車は台形であったり、乗務員室側窓の形状に違いがあるなど、識別できる部分もあった。クイル式駆動は電車のカルダン駆動並みに振動が少なくなるなど期待されたが、その構造からギヤ部分に砂埃が侵入しやすかったため異常振動が起こるなどの故障を頻発させ信頼性を失ってしまった。後にリンク式に改造されるなどしたが、2次車以降の量産車が吊り掛け駆動式に戻されるなど、機構面でも大きな違いが出たことや少数派になってしまったため、次期瀬野八用補機の改造種車に選ばれた。(国鉄電機機関車形式図 1963年より抜粋・引用)
こうしたクイル式駆動の機構的な問題から、国鉄はこの新たな駆動方式の採用を中止し、吊り掛け駆動に戻すようになりました。そして、クイル式駆動を採用したEF60形の試作車と第1次車は、この欠点を解消するためにリンク式に改造することを迫られましたが、走行性能が第2次車以降と異なるため、運用が分けられるなど煩雑になってしまったのでした。
そして、新たな瀬野八用補機を製作するにあたって、同じ形式の車両でありながら、走行性能の違いから運用が分けられていたEF60形の試作車と第1次車が改造種車に選ばれたのでした。

EF60形は新性能電機のF級貨物用機としての性能をもち、歯車比も低速寄として牽引力重視だった。このことが、勾配が連続する隘路である瀬野八において、改造工数を最小限に抑えることを可能にする種車として選ばれたと考えられるが、中でも1次量産車と500番台を含む2次量産車以降では、同じ形式でも構造も性能も違っていた。そのため、少数派となった1次量産車が選ばれたと考えられるが、このことはかえって好都合になったといえる。クイル式駆動を採用したものの期待とは裏腹に散々たる結果になったが、歯車比は牽引力重視の1:5.466とかなりの低速設定であることは、車両自体のトルク力が大きいことを意味する。最高運転速度も90km/hと低いなど2次量産車に比べと取る点もあるが、補機運用を前提としている車両にはそれはあまり関係のないことだった。(EF60 501 碓氷峠鉄道文化むら 筆者撮影)
EF61形200番台への改造でもっとも大掛かりになったのが車体、特に前頭部でした。瀬野八では重連での運用も想定されていたため、前面に貫通扉を設置しなければなりませんでした。しかし、種車となったEF60形は非貫通構造の前頭部だったため、ここに貫通扉を設置しましたが、もともとが僅かに後方に傾斜がつけられていたため、平面の貫通扉を取り付けると、その部分に僅かな隙間ができてしまうので、この部分を埋める筐体を取り付けました。
この改造のため、貫通扉部分が僅かに飛び出た格好になり、EF61形200番台の特徴の一つとなりました。また、前面窓上にはEF60形時代にはなかった庇も取り付けられたことで、精悍な顔つきになったことも外観上の変化といえるでしょう。
EF60形時代は非貫通構造の運転台でしたが、貫通扉を設置する部分を空けなければなりませんでした。そのため、貫通扉を設置する部分を切断するなどといった工程も加わり、レイアウトも大きく変えられました。
《次回へつづく》
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