《前回からのつづき》
EF67形100番台の改造では、0番台と同じ電機子チョッパに変更されました。種車の主制御器などはすべて撤去され、代わりに新たに製造した東洋電機製の電機子チョッパ装置を搭載しました。そして、歯車比は種車は汎用的に使うことができるようにやや高速よりの1:3.83であったため、走行性能は0番台と揃えるために1:4.44へ改造されるといった比較的大がかりなものになりました。
その一方で、車体には特に大きな変化はありませんでした。0番台ではEF61形200番台との重連での運用も想定されていたためか、1エンド側は貫通扉を追設し、連結器には大型の緩衝器を取り付けたことで長くなったため、その上部にに機器類の保護を兼ねたデッキも設置されました。100番台では重連運用を想定していないことや、改造費用を可能な限り安価に抑えることも考慮されていたので、1エンド側も種車の非貫通構造のままとされました。
また、0番台では行われていた走行中の連結器解放も考慮されなかったため、1エンド側連結器には自動解錠装置などといった装置類も追加されることはなく、10000系高速貨車との連結に必須だったブレーキ管と元空気だめ管の空気管付密着自動連結器への換装もないため、並形自連そのままでした。他方、押し上げ時に連結器にかかる負荷を軽減するため、0番台と同様に強力な緩衝器の設置はされましたが、0番台のよに大がかりな機器類はないので、僅かに全長が伸びた程度に収まりました。
1990年から改造製作が始められ、101号機と102号機が広島機関区に配置されると、続いて103号機以降の改造も進められる計画でした。ところが、電機子チョッパ制御装置に使う半導体素子のサイリスタの製造が終了してしまったため、103号機以降の改造が危ぶまれました。しかし、この頃は大電力に対応した半導体技術が著しく進歩していた時期でもあり、代わりとしてGTO素子(ゲート・ターン・オフ・サイリスタ)を使うことで解決をしました。
こうして、1990年度中に5両すべての改造が行われ、1991年2月に105号機が落成して広島区に配置されたことで出そろい、瀬野八の補機運用に充てられました。そして、計画通りに1991年までにEF61形200番台を置き換え、瀬野八の補機はEF67形の全8両が担うことになったのでした。

民営化後に改造によって製作されたEF67形100番台は、0番台ともに山陽本線の難所である瀬野八越えで重量の重い貨物列車を後ろから押し続ける役割を担い続けた。登場から10年が経った頃になると更新工事が施され、後部標識灯は外ばめ式の白熱電球から書くが方のLED灯に交換されて、僅かに面持ちも変わった。更新工事施工機であることを示すため、朱色11号一色から裾部に白色の帯を巻き、さらにその下には足回りと同じねずみ色に、そして前面窓と側面の採光用窓の周りは黒色に塗装された。また、機関士が出入りする乗務員扉は直流機を示すクリーム色(からし色とも)に替えられた。この扉の色はJR貨物の電機に施される塗装に規定されているもので、EF200形から始まり更新工事を施工した車両に施されていた。(出典:写真AC)
その後は特に大きな変化もなく、8両の朱色に塗られたEF67形は瀬野八の難所を越える貨物列車の最後尾に連結されて、最大で1200トン、コキ車24両編成という長大な列車を後ろから押し続けました。
1996年になると、EF67形にも変化が起き始めます。この年のダイヤ改正で、JR貨物は組織変更をすることにしました。EF67形が配置されていた広島機関区は機関士のみが所属する乗務員区所へと転換し、EF67形は隣接する広島車両所へ配置転換となったのです。EF67形に差し込まれていた区名札は「広」のままでしたが、車両配置とこれを維持管理する検修部署は広島車両所に移管し、車両の検修業務を集約したのでした。
実はこれ以前にも、JR貨物は組織改編を度々行っていました。筆者が鉄道職員だった時代にも、稲沢機関区と稲沢貨車区を統合した上で、車両配置と検修部署を愛知機関区とし、稲沢機関区は乗務員区所に転換されました。また、目に見えないところでは、筆者が所属していた電気区(旅客会社でいうところの信号通信区と電力区)は施設区(同じく保線区と建築区)を統合して保全区と改編し、区所によっては機関区や駅とも統合して総合鉄道部に変化させています。
もっとも広島車の場合、車両所は機関車や貨車の全般検査など大規模な検修業務を担当する区所であり、そこに車両を配置して交番検査や仕業検査といった日常的に施行される検修業務も担うのは例がないことでした。民間企業になったことで、国鉄時代の効率性よりも伝統や職域の系統を優先させた組織構成は、ただでさえ経営基盤が脆弱な貨物会社にとってそのままにすることは許されないことであり、こうした組織改編は避けて通れないことだったといえるでしょう。
《次回へつづく》
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