《前回からのつづき》
キハ80系は国鉄で初めての特急用気動車として1960年に登場しました。
それまで、国鉄の優等列車は客車が主体でした。鉄道開通以来の伝統的ともいえるこの運用形態は、戦前、戦時中、そして戦後も変わらず続けられていました。客車そのものの製造・運用コストはそれほど大きくありませんが、機関車は蒸気機関車が主体だったため、特に戦後は燃料となる石炭の質の低下や、それに伴う燃料コストの上昇、加えて機関車が吐き出す煤煙が社会問題になっていました。そして、日本の鉄道は欧米などに比べて線形が悪く、勾配区間も数多く存在するため、蒸気機関車はそれを越えようとするため多くの石炭を消費し、特にトンネル内ではそれが乗務する機関士や機関助士を襲って窒息するという事故も多発していました。
こうした事情から、国鉄は燃料を石炭から石油、さらには電気へと転換させる「動力近代化計画」を推し進めていました。その中で、各地の幹線は電化による無煙化を進めるとともに、輸送密度が少ない線区には蒸気機関車からディーゼル機関車や気動車に転換することで無煙化を進めることにしたのでした。
その中で、長距離を走行する優等列車が課題になっていました。電化区間では80系電車の成功により、機関車+客車ではなく、動力を分散させた電車による運行が実用化されました。伝統的な機関車牽引の列車を支持する人々、特に機関士たちは電車というものが長距離を走ることができるのかと懐疑的でしたが、国鉄の技術陣はそれを見事に成功させたことで、日本の鉄道は動力集中式から動力分散式へと大きく舵を切り始めたのでした。

無煙化が推進される以前は、蒸気機関車が鉄道の主役だった。独特のドラフト音とともに力強く走る蒸機は愛好家には人気だったが、それがはき出す煤煙は鉄道沿線の都市化が進むと、住民にとっては好ましくないものになっていった。また、日本の鉄道は曲線や勾配が多く、時には急勾配を越える必要があった。トンネルを通過する時にはその煤煙が機関士や機関助士を苦しめ、時には窒息事故に至ることもあった。加えて戦後の石炭事情は悪化し、品質の低い石炭を使わなければならず、煤煙の問題は深刻なものになっていった。(©User:Sakurami1, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
この80系電車の成功は、非電化区間にも大きな影響を及ぼしたといえます。機関車+客車という列車は、特にローカル線では非常に効率が悪い運用を強いられていました。終着駅では折り返し運用のために、機関車を反対側の端に連結し直す「機回し」という作業を欠かすことができず、そのために使う「機回し線」という線路施設が必要になり、その作業をするために駅員を配置しなければならないなど、コスト面で不利なものでした。
そこで、電化区間に電車を投入したように、非電化区間にはディーゼル機関車ではなく動力分散式となる気動車を充てることにしたのでした。そして、気動車用のディーゼルエンジンとしてDMH17系が実用化にこぎつけると、液体式変速機を搭載したキハ10系を開発・量産してこれを配置していきました。
しかしながら、このDMH17系エンジンは、これまで何度もお話してきたように、エンジンの重量と燃料消費量の割には非力なものでした。直列8気筒、排気量17リットルでその出力はわずか180PSという性能は、1960年代に開発されたトラック用エンジンと比べても非常に性能が劣るものでした。(例:日産ディーゼル(現在のUDトラックス)製P系エンジンでは、直列6気筒、排気量10リットルで185PS)
このような中で、終戦直後は特急列車は幹線と呼ばれる線区を走る特別な存在であり、地方にまでそうした列車を走らせる必要はないと考えていました。これは、鉄道開業以来、鉄道省、運輸省時代から受け継がれた国鉄の伝統的な意識であり、そもそも陸上の交通機関で長距離輸送は鉄道の独壇場だったことや、速達需要も少なかったことがあったためと考えられます。しかし、80系の成功を嚆矢として、1958年になると特急用電車である20系電車(後に151系)が登場し、さらに夜行列車には20系客車が投入されると、従来から運用されてきた客車は急速に陳腐化していきました。そして、戦後の復興が進み、高度経済成長に入ると幹線だけでなく、その他の地域でも輸送需要が伸びていきました。
1956年に投入した準急用気動車であるキハ55系は、日本を代表する観光地の一つである日光へ向かう準急「日光」に投入されました。キハ10系で問題になっていた、エンジン出力の非力さを補うため、車体を極力軽量とするためにサイズは電車や客車に比べて一回り小さく、接客設備も貧相なものだったのが、10系客車で軽量化技術が確立されたことにより、電車並みの車体サイズと接客設備をもたせることを実現しました。

準急「日光」に投入されたキハ55系は、最高運転速度は95km/hでしたが、2基のエンジンを搭載したことにより、加速力も登坂力も蒸気機関車牽引の列車を遥かに上回る性能を示したのです。しかも、蒸気機関車のように煤煙もださないことや、終着駅での機回しも必要ないこと、そして到達時間も短縮できるなどといった成績を示したことが、地方においても優等列車の運転を実現できる素地をつくったのでした。特に、東京対北海道連絡輸送を担う東北本線の需要は増すばかりで、これを担う列車に充てる新たな特急用気動車を開発することになったのでした。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい