旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 酷寒の大地を走るためだけに生まれた特急気動車・キハ183系500・1500番台【6】

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《前回からのつづき》

 

 キハ183系は長時間・長距離を走行する運用が前提であったにも関わらず、食堂車は製造されませんでした。キハ82系では、編成にキシ80形を連結して食堂車を営業することで、乗客に食事を提供していました。しかし、1980年代に入ることには食堂車そのものの利用率が低下したことによる収益の悪化、そして普通の食堂と比べて過酷な労働条件による食堂事業者の従業員の確保が難しくなったこと、食堂車を連結することによる運用コストがかさむことなどから、食堂車を製造し連結することをやめたと考えられます。

 そして何より、一般の車両と比べて食堂車は構造が特殊で複雑なゆえに、製造コストも高くなります。すでに国鉄の財政事情は火の車状態であり、高価な食堂車を製造する費用を捻出することも難しかったことも、その理由としてあげられるでしょう。

 その代わりに、車内販売を充実させることで、乗客への喫食サービスを維持することとしました。キハ183系は、他の系列と比べて広い車販準備室をキロ182形に設置しました。車両の4分の1を占める車販準備室には、カウンターと冷蔵庫、電子レンジ、ジュースクーラーやコーヒメーカなどを備え、急行型電車のビュッフェを少し小さくしたような本格的なものでした。通路を片側に寄せ、窓下には折り畳み式の簡易な椅子も設け、車掌を楽しみながらちょっと休憩などということも可能なように配慮されていました。

 

前任のキハ80系では、長距離・長時間走行を強いられる運用が多いため、乗客への食事を提供するサービスが欠かせないとし、食堂車であるキシ80形が連結されていた。しかし、1970年代後半に入ると過酷な労働環境でもある列車食堂に乗務する従業員の不足、そして食堂車自体の利用が減少していたことから、キハ183系では食堂車は製造されず、代わりにキロ182形にカウンターを備えた比較的広い車販準備室を設置した。このため、キロ182形は定員が32名と少なく、乗降用扉も中央寄に設けられていた。(©Spaceaero2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 こうして製造された試作車の900番台は、一応の好成績を収めたことで、1980年から量産車の製造に移行しました。1883年までの2年間で、89両が製造されましたが、ここで量産は打ち切られてしまいました。キハ82系を置き換える目的で製作されたのですが、函館運転所に104両、札幌運転所に46両、合計で150両のキハ82系に対して、その数に及ばないところでの量産中止でした。

 この背景には、航空機の大衆化による利用の減少と、それに伴う短編成化が進められていたこと、そして何よりも車両を新製する費用を捻出することが困難になったことがその背景にあったと考えられます。実際、1985年になると、短編成化のために先頭車が不足することから、キハ184形を先頭車化改造したキハ183形100番台が登場します。どこか無理にキハ82形に似せたそのマスクのデザインは、ある意味「魔改造」ともいえるアンバランスな印象を持ったものです。

 こうしたことで、北海道専用の特急用気動車として期待されたものの、国鉄の財政事情やそれを取り巻く社会の変化により、キハ183系の量産はここまでかと思われたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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