《前回からのつづき》
その一方で、1997年になると早くも置換えの動きが出始めます。キハ281系の改良型であるキハ283系の開発製造によって、国鉄から継承したキハ183系がその置き換えの対象になっていったのでした。
特に試作車900番台が1979年に、初期量産車0番台は1980年に製造されたため、車齢は20年近くになっていました。もっとも、国鉄時代に設計・製造された国鉄形車両は、そもそもの設計が頑強であるため多くは車齢40年程度まで運用することが可能でした。中には50年近くも運用され続ける車両もあるので、20年に満たないキハ183系は、適切な保守管理と必要な修繕や更新工事を施せば、まだまだ現役で運用することは可能だったといえます。
しかし、この時期のJR北海道は高速バスに対抗しなければならないなどの経営方針から、特急列車による都市間輸送を重視し、より速達性を高めるために、列車をより高速で運行することにしていたのです。そして、これを実現するために、曲線を高速で通過することを可能にした制御付き自然振り子式の車体傾斜装置を装備した、これら新系列気動車を主力に据えて、130km/h運転をすることで速達性を高め、所要時間を短縮することが可能になりました。

国鉄が民営化後に設立される新会社の負担にならないようにと、厳しい再税事情にもかかわらず、短編成化とフリークエントサービス実現のために製造したN183系は、その後の列車増発によるサービス向上施策のため、新たに増備されたNN183系とともに北海道内の輸送網を充実させていった。しかし、JR北海道は列車の高速化による所要時間の大幅な短縮に舵を切った結果、キハ183系全体がダイヤ編成上のネックになってしまう。そのため、N183系とNN183系の一部は高速化に対応する改造を施されるが、本州の特急列車と比べても連続した高速運転と長距離・長時間走行が常態化している運用だったため、後年になりそのことが裏目にでることになった。(出典:写真AC)
その一方で、国鉄から継承したキハ183系やN183系、民営化後に増備したNN183系といった国鉄時代に設計したこれらの気動車の存在は、高速運転を主体としたダイヤ編成をする上でネックとなっていきました。言い換えれば、すべての特急列車を高速で運転する目的の中で、鈍足ともいえるキハ183系は邪魔な存在になったといっても過言でないでしょう。とはいえ、経営基盤が脆弱なJR北海道が、高性能な特急用気動車を短期間で揃えることは現実的ではなく、輸送力を確保し続けるためには戦力として使うほかなかったのです。
2000年になると道内特急列車の高速化が完成し、札幌ー稚内間を結んでいた「宗谷」に、新たな車体傾斜装置を装備したキハ261系が開発されました。このキハ261系が充てられた「宗谷」は「スーパー宗谷」と名を改め、それとともに「サロベツ」「利尻」の運行も始まり、「利尻」にはスハネフ14形500番台1呂を食い込んだ6両編成に、「サロベツ
」はグリーン車を連結しない3両編成となり、高速で走る「スーパー宗谷」を補完する列車として運行が始められたのでした。
これらの列車は特急列車としては短い編成を組み、「利尻」は寝台車であるスハネフ14形500番台を1両連結した4両編成で、「サロベツ」はグリーン車を連結しないモノクラスで3両編成を組んでいました。かつて、函館を中心とした道内特急列車網を築いたキハ82系の時代からは想像もつかないほど、必要最小限の短い編成を組んだことは、20年の間に道内特急列車の役割や性格の変化、そして鉄道を取り巻く環境が変わったことを物語っていたといえるでしょう。
新系列気動車が続々と増備されては、営業列車に充てられ運転速度の向上と所要時間の短縮が繰り返されていく中で、かつては北海道の特急列車網を背負って立つと期待を集めたキハ183系は、このように主体となる列車の補完をする地味な役回りになってしまったのです。
《次回へつづく》
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