旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄路探訪記:湘南モノレール江の島線【3】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

この記事は、筆者がかつて運営していたWebサイト「鉄路探訪」に掲載していた記事を再編集したものです。記事内の情報はすべて取材および発表当時のもので古いものもあります。また、文章も現在とは異なり体言止めで記述しています。写真も当時のものを使っておりますので、ご了承の上、お楽しみください。

 

 富士見町駅は道路の真上にある。道路の真上に駅を造ることができるのもモノレールの強みで、ホームは道路の両側の上で線路は道路の上といった具合だ。その構造のために、ホームへの入り口も下りと上りでは別々にあるが、どちらも大船方にある。こういう構造だと改札が不便と思うかも知れないが、この湘南モノレールは起点の大船駅と終点の湘南江の島駅以外はすべて無人駅になっていて、改札はすべて車掌が行うことになっている。

モノレール直下の道路から見た富士見町駅。この駅は交換可能な駅であり、大船方と江の島方それぞれに分岐器が設置されている。普通鉄道の分岐器とは異なり、案内軌条がどちらかの方向に向かうことができるようにするため、トングレールにあたる部分は1か所のみである。直下を走る道路はかつて京浜急行が所有していた私道で、有料道路でもあった。今では鎌倉市が管理する市道で、大船と江ノ島の間を結ぶ重要な道路の一つとも言える。道路の真上を鉄道車両が行き交う光景は、懸垂式モノレールの特徴でもある。(大船ー富士見町 2011年8月10日 筆者撮影)

 

 両側を住宅に囲まれた道路は、モノレールとほぼ同じように走っている。この道路はかつて京浜急行が所有していた私有の有料道路だった。しかもこの道路、筆者も何度も運転したことがあるが、とにかく起伏が激しい。しかも連続したカーブもあるから、変化に富んでいて乗っている同乗者は楽しいかも知れないが、運転者にとってはある意味手強い道路だ。そんな環境にある道路が、私有の道路だとすれば懸垂式(サフェージ式)モノレールの売り込みを画策していた三菱グループにとって、これ以上の絶好な立地条件はない。公共の道路上にモノレールを敷設するとなれば、自治体はもちろんのこと近隣の住民の同意や用地買収など課題は山積するが、当時はまだそれほど開発の手が入っておらず、しかも交渉相手は道路を所有する京浜急行だけ。さらに、この道路の沿線には三菱電機の工場もあり、まさに好条件そのものだ。道路は後年鎌倉市藤沢市に譲渡されて市道となったが、こうした経緯もあり湘南モノレールの株主に京浜急行が名を連ねている。

 

富士見町駅に進入する湘南モノレール500形。奥には跨線橋(陸橋)が見えるが、この下には大船駅構内から大船工場へ向かう引き込み線があった。そのため、道路はこれを越える必要があり、跨線橋が設置されているがモノレールは空中を走るため特に変化はない。筆者が訪れた2011年の時点で、既に鎌倉総合車両センターの工場機能は廃止されていて、引き込み線も廃線になっているがまだ現存していた。(大船ー富士見町 2011年8月10日 筆者撮影)

 

 道路はモノレールが覆い被さるような形になっているので少々薄暗くは感じるが、それでもある程度の数の自動車が行き交う。富士見町駅を出発すると分岐を通過して再び直線を走り始める。やがて勾配を登り始めるが、やはり加速は衰えることがなく力強く感じる。この勾配を登り切ると湘南町屋駅に着く。

 湘南町屋駅は交換ができないいわゆる棒線駅。ちょうど山の斜面に造られたような感じで、進行方法左側には鬱蒼とした木々が見えるが、右側には大きな敷地に広がる工場が見下ろせる。

 

富士見町を出て湘南町屋に着く頃になると、巨大な工場が姿を現す。三菱電機の鎌倉製作所で、ここを中心に大船周辺には関連企業が集まっている、いわば三菱電機企業城下町ともいえる。鎌倉製作所は社内では「鎌電」と呼ばれていて、人工衛星やレーダー装置などといった防衛宇宙関連の製造拠点である。そのため、ここへの出入りは非常に厳しく、関連企業の従業員ともいえども事前に構内入出場申請をし、審査をパスして出入証を発行してもらわなければならない。筆者もここで出入りしたことがあるが、構内は非常に広かった。かつては隣接してコンピュータ関連製品を製造していた情報システム製作所もあったが、組織改正などを経て今では廃止されてしまっている。(2011年8月10日 筆者撮影)

 

 この工場は三菱電機の鎌倉製作所とその関連会社で、工場敷地外にも数多くの関連会社が事務所や工場を構えている。そして、この湘南町屋駅は、日中こそ乗降客の姿はまばらだが、朝夕の通勤時間帯にもなると通勤客でいっぱいになるのだ。筆者もこの近隣に勤めた時期があるが、残念ながらこの湘南町屋駅を利用したことはない。駅の反対側、すなわち東海道線沿いに走る市道大船駅から路線バスを利用していたのだが、一度だけ事務所のある「町屋橋」からこの湘南町屋駅まで歩いたことがあり、だいたい15分から20分ほどかかったような気がする。地図上では直線にしてそれほど距離がないのだが、何しろ鎌倉製作所の敷地が立ちはだかり、素直にまっすぐとはいかず、とにかく通勤には使えないと思うほど歩かなければならないのだ。

 湘南町屋駅を出ると、今度は下り勾配になる。右手には三菱電機の社宅とその向こうには西に傾き始めた太陽に照らされ、シルエットになって浮かび上がる藤沢市の市街地らしきものも見えるが、やがてその姿も見えなくなる。そして、がらんと空いた空き地と、平屋建ての巨大な工場が目に飛び込んできた。そして、その建物の壁面には「JR」文字が書かれている。

 

戦後、鎌倉工機部として発足し、後に国鉄鎌倉工場となって首都圏に配置されている電車の全般検査や重要部検査といった大規模検査と、改造工事などを担っていた。分割民営化ではJR東日本に継承されてからも大船工場を名乗っていたものの、隣接する大船電車区と統合して鎌倉総合車両センターとなり、ここは深沢地区となった。しかし、209系以降の新系列電車の増備によって保守体系が変わり検査業務が縮小されると、旧工場の深沢地区は業務を東京総合車両センターなどに移管して、2006年に廃止された。廃止後も工場敷地や建屋は残されたままだった。(2011年8月10日 筆者撮影)

 

 この工場こそが、かつて「大船工場」と呼ばれ、後に「鎌倉総合車両センター・深沢地区」と呼ばれた、JR東日本の検修施設の跡地だ。第二次大戦の終戦間もない1945年に開設され、首都圏を中心とする電車の全般検査や重要部検査といった役割を担っていたが、2006年に廃止となってしまった。とはいえ、廃止から既に5年近くが経っているが、工場の施設そのものは解体撤去されることなく今も健在なのが不思議だ。かつての正門に近寄ってみると、門扉には立派な陽刻板に「東日本旅客鉄道株式会社 鎌倉総合車両センター」と残っている。

 富士見町駅近くにある横須賀線からの専用線も同じく撤去されるような気配もなく、まさかJR東日本が財政上の理由で放置しているとは考えにくいから、やはり何らかの「意図」があるのかもしれない。

 そんな「謎」のまま残された旧大船工場跡を見ると、それまで3両編成の最後尾にいた車掌が、慌ただしく走る車内を先頭車に向かって移動をしていく。この湘南モノレールでは、車両間の移動は乗務員のみができ一般の乗客の移動は禁じられている。もちろん、連結部には貫通幌や渡り板もあり、貫通扉こそないものの簡易な扉が設置されている。正確な理由はわからないが、恐らく懸垂式モノレールが故に、万一乗客が貫通幌を突き破って転落でもしたら大変な事になる。そのための措置なのだろう。

 

2011年8月に訪れた時点では、旧鎌倉総合車両センター深沢地区の敷地や建屋はそのまま残された状態だった。湘南深沢駅近くにある正門の門扉も残ったままで、そこには表札となる銘板もあった。しかし、その下には既に廃止されている旨を知らせる看板が掲げられ、連絡先となる電話番号も書かれていた。市外局番は鎌倉市のものなので、この時点で最小限の管理事務所のようなものがあり、そこには職員が在勤していたものと考えられる。(2011年8月10日 筆者撮影)

 

 こうして、分岐器を通過して島式ホームの湘南深沢駅に着く。ここもやはり無人駅で先ほどの車掌が先頭車の乗務員室からホームに降り立ち、降車客から乗車券を回収している。この湘南深沢駅もまた無人駅で、駅の出入口は湘南江の島方の一か所なので、車掌が車内を移動して適切な場所で集札業務をしているようだ。

 ここで列車を降りて、とりあえず駅から出てみる。と、そこで初めて気づいたのだが、この湘南深沢駅の出入口とホームは階段でしか結ばれていなかった。先ほどの富士見町駅もそうなのだが、交通バリアフリー法の施行後にエスカレーターないしエレベーターが設置されていない駅は、今となっては数少ない。地域の通勤路線でもある湘南モノレールも、いつまでもこのままとはいかず、いずれ何らかの改良を加える時期が来るのであろうが、今回訪れた時も以前通勤で利用していたときと変わらない姿なのに、驚きとちょっとした安心感をもった。

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

 

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info