《前回からのつづき》
国鉄は旅客輸送を機関車牽引の客車列車から、関門トンネルのために付替えが不要な電車へ置き換えることを計画していました。交直流両用の電車であれば、関門トンネルを介して双方を行き来する列車は、わざわざ機関車をるけ変えるなどの作業を必要とせず、例えば岩国から博多まで通して運転する列車も設定できるのです。
山陽本線の直流1500Vと九州島内の交流60Hz・20000Vの電流に対応した421系を皮切りに、その出力向上型である423系、さらに交流50Hz・60Hzの両方に対応した415系が増備され、本州と九州島内を直通する列車に充てられ、双方を往来する多くの人々を運びました。
例えば、1970年のダイヤでは、久留米発 小郡・門司港行きの快速が設定されており、交直流量用電車のメリットを最大限に活かした列車といえるでしょう。始発から終着まで乗り通す乗客は少なくても、こうした列車があることで、乗車券だけで本州と九州の間を手軽に往来できたことは大きいといえるでしょう。

鹿児島本線をはじめ、九州島内の電化方式が交流電化になると、関門トンネルを経由する旅客輸送が課題の一つになった。貨物輸送は機関車が牽くため、従来通りに機関車の付け替えによってEF30形を充てることで解決ができたが、旅客輸送は寝台特急などの客車列車を除いて電車への置き換えが進められていた。普通列車にも客車を充てることは機関車付け替えの手間がかかり効率が悪くなるため、異なる電化区間で運用できる421系を開発して投入した。これにより、小郡ー久留米間で直通する普通列車が電車によって運転されるようになった。(©)
しかし、それも国鉄時代だからこそできたことで、1987年の国鉄分割民営化を境に、こうした旅客会社間を相互に乗り入れる列車は、ダイヤ改正ごとに姿を消していくことになります。その結果、前述のような本州・九州間を徹して走る中距離列車は徐々に廃止されていき、JR九州の415系などは下関までの乗り入れになっていきました。また、老朽化が進んだ421・423系の代わりに増備されたのは811系や813系といった交流電車であり、門司から関門トンネルを経由して下関まで乗り入れることが不可能になってしまいました。
JR九州が本州の直流区間に乗り入れることができる交直流電車ではなく、九州島内でしか運用することができない交流電車を増備した背景には、交直流電車は交流電車と比べて高価であることが考えられます。そもそも、JR九州にとって関門区間のたった4km程度のために、あまり使われることのない直流機器を搭載した車両を、高い金額をかけてまで増備する理由がありませんでした。製造コストも保守にかかるコストも高く、導入したとしてもメリットよりもデメリットのほうが多くなるのです。
加えて、JR九州は今でこそ完全民営化されていますが、当時は「三島会社」と呼ばれ、設立当初から経営基盤が脆弱であり、国から経営安定基金による補填を受ける立場でした。そのため、高価な車両を導入するよりも、自社管内で運用する比較的安価な車両を充実させることで、地域の事情にあった輸送サービスを提供することに力を注ぐようになります。
そして、分割民営化後に設立された旅客会社は、国鉄時代のような広域輸送から自社内の地域輸送に軸足を移していったため、本州との連絡輸送は必要最小限に抑えるようになっていったのです。

415系は国鉄の交直流近郊形電車の決定版となり、直流1500V、交流20,000V50Hzと60Hzの3電源に対応することを可能にした。長らく普通鋼でつくられたが、国鉄の末期になって電装品は415系のまま211系と共通のステンレス製の車体とした1500番台が増備された。1500番台が製造された頃は、常磐線で運用されている車両の塗装も赤13号を基本としたものではなく、クリーム10号に青20号の帯を巻いた新塗装に移行していた。そのため、1500番台は青20号の帯を巻いていた。多くは勝田電車区に配置されたが、新会社移行後の九州会社の経営基盤に配慮して、32両が南福岡電車区にも配置されて鹿児島本線を中心に使われることになった。(出典:写真AC)
このほかにも、国鉄時代のような会社間を跨る広域輸送の列車を運転するためには、ダイヤの設定を旅客会社間で調整しなければなりません。実は、この調整が非常に難しく、ダイヤ改正が実施された直後から、次のダイヤ改正に受けての協議が始められます。各社にはそれぞれの事情や思惑もあることから、相互に乗り入れる列車の設定はこれを煩雑なものにするため、時代が進むにつれてこれを回避するようになっていったといえます。また、他社の車両が乗り入れるということは、乗り入れ先へ車両使用料を支払わなければならず、その計算も含めて煩雑な経理処理をする必要があります。
こうした様々な事情を背景に、九州島内から下関に乗り入れる列車は、JR九州が保有する415系のみとなり、それも年を追うにつれて老朽化が進んでいきます。特に普通鋼でつくられた車両は1974年に0番台が、1978年に100番台が投入されていたので、車齢もそれなりに高くなっていました。国鉄時代に車体を211系と同様のステンレス製にし、台車も軽量ボルスタレス式に替えた1500番台が1986年に投入されていたものの、421系の低運転台車の置き換えを目的としていたため、52両というJR九州が保有していた交直流電車の全体から見れば少数派であり、後継となる車両を用意する必要が生じつつありました。

JR九州は国鉄から多くの415系鋼製車を継承して、引き続き421・423系とともに鹿児島本線や日豊本線などで運用し、本州乗り入れの運用にも充てた。1986年にイメージアップも兼ねてクリーム10号の地色に青23号の帯を巻いた新塗装に移行し、後にこの塗装をJR九州の標準色としてキハ40系などの気動車にも波及させた。しかし、分割民営化から時間が経つにつれて、直通運転による車両使用料などの煩雑なやりとりを解消するため、直通列車はごく限られた本数のみになっていき、ついには下関止まりとなった。これは、山陽本線の中で関門トンネルを含む下関ー門司間はJR九州の管轄となったため、短いながらも本州乗り入れを維持した格好になった。(出典:写真AC)
しかし、前述の通りJR九州は運用が限定されるにも関わらず、高価な交直流電車の新製には消極的でした。そこへ、JR東日本が保有する415系がE531系に置き換えられることになり、余剰となった車両のうち1500・1600番台と普通鋼製であるもののロングシートを備えて収容力の高い500番台を譲受し、423系などを置き換えていったのでした。
《次回へつづく》
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