旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

九州415系の終焉と世代交代 在りし日の415系Fm110編成から【5】

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《前回からのつづき》

 

 

下関で折り返しの一時を過ごす415系Fm110編成。行先幕はJR九州独特の文字が小さめのものであるとともに、「普通」や「快速」といった列車種別ではなく、行先そのものを表示している。山陽本線のほとんどはJR西日本が継承したが、下関ー門司間だけはJR九州の管轄になった。そのため、分割民営化当初は国鉄時代と同様に小郡ー久留米間を結ぶ列車も運行され、交直流近郊形電車の本領を発揮する運用もあったが、次第にそれらも削減されていき、最終的に下関止まりとなって会社間を乗り入れる列車はなくなってしまった。しかし、下関ー門司間がJR九州の路線となったことで、かろうじて本州ー九州間を連絡する列車も残されるとともに、自社内で完結できることで複雑な車両使用料のやりとりもなくなった。一見すると常磐線415系と同じに見えるが、帯の色は若干明るい青23号、JRマークも白抜きではなく赤色とJR九州のコーポレートカラーになっている。(415系Fm110編成〔分オイ〕 下関駅 筆者撮影)

 

 写真は2007年に下関で撮影したものです。九州から関門トンネルを越えて下関に到着し、折り返しのひとときを待つ南福岡配置の415系Fo110編成です。前面は丸みを帯びた貫通構造、前面窓はパノラミックウィンドウという、国鉄近郊型電車のスタンダードとも言うべき形態で、国鉄形車両の全盛期にはどこでも見ることができるものでした。

 Fm110編成は、クハ411−110+モハ415−110+モハ414−110+クハ411−210の4両編成で、1978年に日立によってつくられました。新製以来、編成を解かれて組む相手を変えることなく運用に就き続けてきた、いわば「家族」のような存在だったといえます。

 新製当初は赤13号の地色に、前面に警戒色となるクリーム4号の帯を入れた装いでしたが、分割民営化の直前である1986年にクリーム10号の地色に青23号の帯を巻いた新色に変えられました。

 常磐線で運用されていた415系などが、1985年に茨城県のつくばで開催された国際科学技術博覧会(通称:科学万博)に関連した波動輸送に対応するため、「エキスポシャトル」として運行する際に、従来の交直流近郊形電車の標準色からクリーム10号と青20号の帯を巻いた新色にしたことが影響を与えたといえます。

 

415系JR九州JR東日本にだけ継承された。交直流電車は直流車や交流車と比べて製造価格が高く、検修でも直流と交流と異なる電流に関する知識と技術が必要であり、運用コストも割高だった。そのため、国鉄時代から投入される線区は限られ、輸送量が多い常磐線鹿児島本線日豊本線の九州北部にのみ投入された。常磐線で運用されていた415系は、1985年に茨城県の筑波で開催された国際科学技術博覧会、通称科学万博の来訪者輸送に際して従来の赤13号に前面のクリーム4号帯からクリーム10号に青20号の帯を巻いた新色に変えられた。そしてJR東日本に継承されて、帯には白のJRマークが追加されている。九州の車両よりも帯色が暗めだった。(クハ411-216〔水カツ〕 上野駅 2006年8月15日 筆者撮影)

 

 これは、それまで国鉄の標準塗装では古いイメージが定着したと考えられ、多くの人が訪れることで利用者も増えることを想定し、明るく新鮮なイメージの塗装をすることで、国鉄につきまとっていた負のイメージを払拭することも目論んでいたと考えられます。そして、新色になったことが好評だったことから、九州配置の車両についても同様の塗装変更をすることで、分割民営化を翌年に控えていたこともあり、車体の塗装を一変させたともいえるでしょう。

 新たな装いになったFm110編成は、1987年の国鉄分割民営化によって南福岡電車区配置のままJR九州に継承されましたが、その役割は変わることなく主として熊本以北の鹿児島本線を中心とした運用に就いて、九州北部、特に福岡や北九州を中心とした都市近郊で多くの人々を乗せて走り続けます。

 老朽化した421系が運用を退き姿を消した一方で、その置き換え用として交流電車の811系が登場しますが、Fm110編成は交直流両用という強みを活かして、関門トンネルをくぐり抜けて下関まで顔を出す本州と九州の連絡輸送の運用にも就くことができることから、その重要な役割をい担い続けました。

 1999年になると、Fm110編成は他の415系とともに大きな動きが訪れました。

 1978年の新製配置以来、20年以上にも渡って配置されてきた南福岡区から、門司港運転区へ配置換えとなります。既にこの頃には811系に続いて813系が増備され、その数も415系が担っていた鹿児島本線の運用をこなすのに十分になってきたことから、関門区間により近い門司港区に移すことで、日豊本線の運用に軸足を移すとともに、交直流電車でなければこなすことのできない関門区間の列車に重点的に使われるようになっていきました。

 一方、それまで非電化だった筑豊本線の一部と篠栗線が電化され、ここには817系が新製されて運用に就きました。しかし、朝のラッシュ時は817系だけでは対応が難しかったことから、ここにも415系が入ることになり運用の範囲が広げられます。

 2002年になると、Fm110編成を含めた415系は、運用できる寿命を延ばすための更新工事を受けることになります。

 小倉工場に入場した車両は、車内の固定式クロスシートを撤去し、すべてロングシートに取り替えられました。中距離を走ることを目的とした近郊形電車は、ドア部分を小さなロングシートを設置し、ドア間は固定式クロスシートを備えた「セミクロスシート」というのが定石でした。ところが、あろうことか3ドアの車両でありながら、接客設備は通勤形電車と同様になってしまったことで、もはや近郊形電車としての体をなさない設備になってしまったのでした。

 セミクロスシートの場合、ドア間に4人掛け固定式クロスシートを両側に4セット備え、座席には大人16人が窓に対して直角方向に座ることができました。しかし、この部分は自ずと通路が狭くなるため、立席定員は少なくなってしまいます。ロングシートであれば通路は広くすることができるため、立席定員は多くなり移動もしやすくなりますが、その分だけ座席定員は減ってしまいます。言い換えれば、乗る人々の快適性を取るか、それとも快適性を犠牲にしてでも乗車できる定員を増やすかのどちらかになるということです。

 セミクロスシートの場合、朝夕のラッシュ時間帯などの混雑時には1両あたりに収容できる定員は少なく、通路も狭いため降りるためにドアまで移動することが難しくなるので、乗降に時間がかかってしまいます。ロングシートであれば、1両あたりの定員を多くすることができ、ドアまでの移動もセミクロスシートと比べて比較的楽になるので、乗降時間も短くできます。

 

415系は近郊形電車であり、ドア付近をロングシート、ドア間は固定式クロスシートを備えたセミクロスシートのレイアウトで製造された。しかし、常磐線の混雑は激しくなる一方で、セミクロスシートでは乗降に時間がかかってしまい遅延が常態化して、ダイヤの維持にも困難を伴った。同時にクロスシートの区画は着席定員は多く取ることができたものの、立席スペースは少なくなるため、車両全体としての収容力にも限界があった。そこで、収容力を高めることで乗降時間の短縮や立席スペースの確保による輸送力を高めるため、すべてロングシートにした500・600番台が製造された。写真のクハ411形もロングシートを備えたため、側窓に映る乗客は車両の内側を向いて座っているのが分かる。(クハ411-606〔水カツ〕 上野駅 2006年8月15日 筆者撮影)

 

 こうした特性の違いから、JR九州は伝統的なセミクロスシートを捨て、すべてロングシートにすることで乗降時間を短くして、遅延によるダイヤの乱れを未然に防ぐことにしたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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