《前回からのつづき》
1987年に製造された213系は、その年が示すように国鉄として最後に開発製造した新系列の電車となりました。
213系は分割民営化の翌年である1988年に開業が予定されていた、宇野線-本四備讃線-瀬戸大橋-予讃線を通して運行する瀬戸大橋線で運用することを前提とした仕様で設計されました。
他の路線であれば中距離の都市間輸送に使われるとともに、朝夕のラッシュ時にはある程度の収容力とスムーズな乗降ができるように配慮されているため、ドア付近はロングシート、それ以外は固定式クロスシートというセミクロスシートのレイアウトが採用され、乗降用扉も片側3か所設けられるのが一般的とされ、113系や115系、415系といった鋼製車はもちろん、ステンレス車体になって新たにつくられるようになった211系も、この仕様でつくられました。
しかし、瀬戸大橋を含む瀬戸大橋線は、通勤通学の移動手段として利用されることも想定されていたかもしれませんが、その数はそれほど多くないと考えられました。そもそも瀬戸大橋線は宇高連絡線の代替という性格が強く、もともと宇高連絡線を使って通勤や通学をする利用者はそれほど多くなかったといえます。どちらかというと、本州から四国(あるいはその逆)に出張などで出向くビジネス利用や、観光客の方が多いと想定されていたのです。
そこで、213系は従来の都市間輸送の中距離列車で使われていた、3ドア・セミクロスシートの標準的な近郊形電車ではなく、広島地区の輸送改善とサービス向上用としてつくられた115系3000番台や、京阪神と中京圏の新快速用として登場した117系と同じ構造になりました。

国鉄の車両は、全国各地で運用することを前提として、電装品はもちろんのこと車体の構造、さらには客室内のレイアウトや座席に至るまで、標準化の手法を取り入れていた。このことにより、ダイヤ改正などのときには広域での配置転換を容易にしていたが、その一方で地域の実情に合わなかったり、画一化された設備のために陳腐化し競合する私鉄に対して劣ったりしていた。そうした状況を変えるようになったのは、国鉄の分割民営化が目前に迫った頃で、その一つとして117系が登場した。両開き戸2ドア、転換クロスシートを備えた117系は、近郊型電車としては破格の設備をもった車両だった。特に京阪神で競合する私鉄に対抗するうえで、117系に与えられた設備は大いに期待された。これ以降、国鉄は従来の考え方にとらわれない車両をつくるうえで、その基礎を築いた存在だともいえる。(出典:写真AC)
乗降用扉は2か所としましたが、急行形電車のような片開き扉を車端部に寄せたデッキがある構造ではなく、両開き扉を中央寄りに設けた構造にしました。これは、デッキ付では混雑時に乗客の乗り降りに時間がかかってしまい、列車に遅れが発生してダイヤが乱れてしまうのを防ぐためでした。
座席も固定式クロスシートではなく、転換クロスシートとすることですべての座席が進行方向に向くようにすることで、特に観光客が瀬戸大橋を渡るときに瀬戸内海を見ることができるようにするといった、眺望を良好にすることでサービス向上をねらったといえるでしょう。
そして、座席は117系と同じくすべて転換クロスシートを配置、特に先頭車の乗務員室の直後には、二人掛け転換クロスシートを2組ずつ8人が座れるようにし、通勤通学輸送の収容力よりは観光輸送に適した座席定員が多いレイアウトになりました
こうしたことから、眺望に配慮したものになりました。
213系の前面は、211系と同じ白色のFRP製の部材を覆う形とし、運転士側と助士席側の窓の周りには黒色で塗装されたいわゆる「額縁スタイル」となりました。貫通扉の部分はステンレス製の地色のままで、その上の幕板部には方向幕を設置しましたが、211系のものと比べると天地方向の寸法が短くなり、細長いものになりました
前面窓は運転士側は211系と同じく、運転士からの前方監視をしやすくするために高運転台構造に対応した大きさでしたが、助士席側は下方向に広げられた大型窓とすることで、客室、特に乗務員室のすぐ後ろに設置された座席からの展望に配慮したものになりました。
《次回へつづく》
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