旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 瀬戸内を渡るためにつくられた国鉄最後の新系列・213系【4】

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《前回からのつづき》

 

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 211系では従来の近郊型電車に類似した窓配置としたため、側窓は扉間に戸袋窓と大型の1枚下降窓を2個設置していました。そのため、先頭車のクハ211形やクハ210形は、d(1)D(1)11(1)D(1)11(1)D(1)1という配置になっていましたが、213系は側扉が2か所になるとともに、側窓は2個連続のものになったため扉間には2枚連続の1段下降窓を4個配置し、d1(1)D(1)2222(1)D(1)2という配置に変更されました。

 車体幅は211系と同じ断面構造を用いたため、車体幅は2950mmと113系などよりも50mm広く取られたため、裾の部分は絞りが大きく取られているのが特徴の一つと言えます。

 

本四備讃線(瀬戸大橋線)で運用することを想定して、国鉄が厳しい財政の中で製造した213系は、瀬戸内海の上を走るという鉄道車両にとって過酷な環境で使われ続けた。そのため、塩害による痛みも進み、特に普通鋼でつくられたクロ212形の老朽化はひどく、ステンレス鋼でつくられたクモハ213型なども床下機器を中心に痛みが進んでいた。また、抵抗制御の延長上にある界磁添加励磁制御は既に古い技術に属し、VVVFインバータ制御の車両には経済性の面で劣っていた。後継となる223系5000番台と5000系が登場すると、213系は岡山地区のローカル運用に転じ、2両編成を組んで地域輸送の任に就いた。(出典:写真AC)

 

 この50mmという幅、実は意外にも大きいものだといえます。50mm=5cmというと「なんだ、これだけか」と思われるかもしれませんが、室内空間を少しでも広げることができたことは、居住性の面で大きく改善したといえます。特に座席の幅を広くして座り心地を良くしたり、通路の幅を広げることで立席のスペースを取り通り抜けをしやすくしたりするなど、従来の近郊形電車と比べると大きなものだといえるでしょう。

 具体的には、車内のレイアウトがほぼ同じである117系と比べると、通路の幅は117系では620mmであるのに対し、213系では670mmまで拡大されています。単純に車体幅が50mm広がったことで、通路も同じ分だけ広げることができたといえるのです。そして、このわずか50mm広がっただけ、車内は広がった感覚をもつことができ、ゆとりのある空間を演出することができました。

 このような車体サイズを大きくすることを可能にしたのは、構体を従来からの普通鋼ではなく、軽量なステンレス鋼を使ったことによるものでした。ステンレス鋼は普通鋼と比べて軽量であるとともに、雨水などによる腐食にも強い耐蝕性を備えています。それとともに、普通鋼に近い強度をもたせることもできるので、鉄道車両には理想的な鋼材だといえます。

 しかし、ステンレス鋼は曲線を使った造形をすることが難しく、加工にも高度な技術が必要でした。特に溶接では、従来の方法では強度を保ちながら接合することが難しく、これを実現するためには、海外からステンレス鋼を溶接するための技術を導入しなければなりませんでした。

 日本初のオールステンレス車を製造したのは東急車輛で、その技術は米国のバッド社と呼ばれるメーカーとの間に交わされたライセンス契約によって得られたものでした。そのため、我が国におけるオールステンレス車の製造技術は東急車輛による独占となり、同社は主に私鉄向けに多くのオールステンレス車を手掛けることになります。

 一方、国鉄もオールステンレス車の優位性には注目していたようでした。通勤形気動車のキハ30形をオールステンレス構造による試作車として900番台をつくり、実際の運用に充てました。

 その結果、比較的良好ではあったものの、オールステンレス車の製造技術は国内においては東急車輛の独占状態にあり、同時に東急車輛は米国バッド社との契約に基づいて安易にその技術を公開できません。公共企業体である国鉄が東急車輛一社にだけ車両を発注することはできないことや、塗装工程を省略できるメリットがあるにもかかわらず、労働組合は仕事を奪われると反発するなどしたため、本格的な導入を見送られた経緯がありました。

 しかし、1985年に登場する205系は、そうした技術的な障壁とそれを解決するための製造技術を東急車輛に開示させることで、国鉄初の量産オールステンレス車として登場しました。東急車輛としては、苦労の末に獲得したステンレス車の製造技術を開示することは、自社の優位性を失うことにもつながるため、これを渋ったといわれています。

 国鉄としても普通鋼に対するステンレス鋼の優位性を認めていたため、本格的にオールステンレス車の導入を進めたい考えでした。国鉄は様々な条件を突きつけて東急車輛に対してその製造技術の開示を迫ります。かつて、電気機関車など技術的に国産が困難だった時代に、少数の機関車を輸入してはリバースエンジニアリングをし、そこから知的財産を悪くいえば「盗む」ことを良しとしていた歴史から、いかにも国鉄らしいスタンスだったといえるでしょう。

 

従来の国鉄形電車は、電力の効率性に劣る抵抗制御と、加工が容易な普通鋼が使われていた。しかし、1970年代に起きたオイルショックは、電力の効率的な使用と省エネ性が求められるようになり、電機子チョッパ制御を採用した201系が開発された。しかし、大電力を扱うことができる半導体素子は非常に高価であり、製造コストは103系とは比べ物にならないくらいになった。国鉄は電機子チョッパ制御ではなく抵抗制御に励磁装置を追加した界磁添加励磁制御を開発することで回生ブレーキを使用できるようにするとともに、軽量で強度が高いステンレス鋼を車体につかうことにした。しかし、ステンレス鋼は溶接をはじめ加工が難しく、その技術は東急車輛だけがもっていた。国鉄はステンレス鋼の加工技術の公開を東急車輛に迫るが、苦労して手に入れた技術の開示をすることに消極的だった。205系などの製造割当を優先的に配分することで、技術の公開をすることに同意させ、205系をはじめとした国鉄のオールステンレス車の量産が可能になった。(出典:写真AC)

 

 このような経緯もあって、オールステンレス車である205系が量産されると、その後は211系やキハ54形、さらにはキハ185系など、国鉄末期に登場した車両の多くはオールステンレス車となったのでした。

 213系も211系と同様に、ステンレス鋼を使ったオールステンレスの車両となりました。これによってステンレス鋼の最大のメリットである高い強度により、車体自体の強度を保ちながらも鋼板を薄肉化することができるので、全体の重量を軽くすることができました。車両の重量が軽くなった分、加速時に消費する電力量も減り、その結果として省エネ性を実現できたのでした。

 

《次回へつづく》

 

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