旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄の置き土産 瀬戸内を渡るためにつくられた国鉄最後の新系列・213系【12】

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 JR東海が国鉄から継承した車両の多くは、お世辞にも新しいとはいえないものが多くありました。もっとも新しいのは身延線用につくられたクモハ123形ですが、これは余剰となったクモユニ147形からの改造であり、このクモユニ147形も101系電車の廃車発生品を多く使った改造車でした。

 純然たる新車となると、1985年に大垣電車区に新製配置された211系でした。中京地区の新快速を増発するために、117系だけではまかないきれなくなったことから、4両編成2本の計8両が新製配置されましたが、田町電車区や新前橋電車区には数多く配置されたのに対し、この数の通り非常に少数派でした。

 一方、JR東海が継承したのは、古い車両といえばどっさりと出てくるのが実態でした。東海道本線で運用していた113系の中には、非冷房・非ユニットサッシで、先頭車は大型の白熱灯のいわゆる「デカ目」、そしてベンチレーターは通勤形電車と同じ丸形のグローブ形という、最初期の車両さえ配置されていたのでした。

 

分割民営化から15年が経っても、国鉄形車両は継承した新会社独自の改良を重ねながらも多くが健在だった。JR東海は90年代に冷房化を進めたが、国鉄時代のAU75形集中式冷房装置ではなく、軽量なC-AU711形集約分散式冷房装置を採用した。これにより、改造工事の期間や工数、コストを軽減させながら冷房化を急速に推し進めることができたとはいえ、国鉄時代に製造されたこれらの車両は着実に老朽化が進んでおり、近い将来、新型車両による置換えは避けられなかった。写真は沼津駅で2004年8月に撮影したもので、左側は御殿場線の115系、右側は東海道本線の113系。いずれも湘南色を身に纏っていたこの姿は、鉄道車両が「塗装されていた」時代のもので、地肌をギラつかせたステンレス車両が当たり前になった今日では、非常に懐かしい光景となってしまった。(2004年 沼津 筆者撮影)

 

 中にはシートピッチを改善した2000番台といった改良型も継承されてはいたものの、多くは古参車であることには変わりません。そして、これら車齢が高い車両を維持し続けるには、高いコストと多くの労力を必要としました。加えてJR東海が発足したこの頃は、特急などの優等列車に使う車両だけでなく、普通列車にも冷房装置を装備するのは当たり前の時代になり、冷房化を推し進めることは喫緊の課題になっていました。

 このように、古い車両を長く運用し続けることは、高いコストを払い続けなければならないことになり、経営を圧迫することにつながることでした。東海道新幹線以外は収益性が低い経営環境におかれたJR東海は、民営化直後からコストに対する意識を強くもつようになり、国鉄から継承したこれらの古い車両を可能な限り早く新車に置き換えることが必要でした。

 こうしたことが背景となり、JR東海は軽量なオールステンレス車で、回生ブレーキを使うことができる高効率で運用コストも抑えることができる車両として、211系を独自の仕様に改良した5000番台を増備したのでした。

 東海道本線や中央本線の古い車両を、真新しい211系5000番台の増備で置き換えを進める一方で、JR東海はもう一つの課題に取り組む必要がありました。

 本社を置いたお膝元でもある名古屋とその近郊は、名古屋鉄道や近畿日本鉄道にシェアを占められた状態でした。国鉄時代に使いにくいダイヤ編成、相次ぐ値上げ、頻発するストとサービスの低下などにより、いわゆる「国鉄離れ」で利用者は並行する私鉄に乗り換えられたままでした。

 

熱海駅を後にして沼津へ向かっていく211系5000番台。一時は大きな勢力を誇ったこの車両も、313系、そして最新の315系の増備によって急速にその姿を消していき、2026年の今では過去のものとなってしまった。313系が大量に増備されるまでは、言葉通りJR東海と東海道本線の旅客輸送を支え続けた立役者であり、213系5000番台の設計にも取り入れられた。(JR東海・LL17〔静シス〕 熱海 筆者撮影)

 

 JR東海としては、分割民営化によって新会社に生まれ変わったことをアピールするとともに、失われた信頼を取り戻すとともに、シェアの回復も重要なことでした。分割民営化の効果を実証し、座してこの状態を放置するわけにはいかなかったと考えられます。

 こうした中で、JR東海がもっとも重要視したのが関西本線でした。

 関西本線は名古屋から桑名、四日市を経て鈴鹿山脈の山間を抜けて奈良へ至る路線で、国鉄時代から重要な位置にありました。

 

 

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

 

しかし、実際には関西本線に並行する近鉄名古屋線に、桑名と四日市方面の旅客を独占されたに等しい状態であり、これをなんとかして自社に取り込まなければなりませんでした。しかも悪いことに、近鉄はニーズに合わせた車両を揃え、しかも伊勢方面へは特急列車も運行しているのに対し、関西本線で運用されていたのは急行列車の削減によって余剰化していた急行形の165系で、デッキ付2ドアの構造は混雑時の乗降に時間がかかるためにダイヤの乱れを起こし、車内は固定式クロスシートが並ぶ陳腐化したものでした。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい