国鉄時代の面影を残す久留里線:気動車が走り続ける理由
この稿は、2026年3月14日のダイヤ改正によって久留里線・久留里ー上総亀山間の廃止されることから、かつて筆者が取材し公開していた乗車記「鉄路探訪記」を再構成した上で、当ブログにて再公開いたします。取材は2012年1月5日と2014年5月26日に行っており、記事の内容も執筆及び公開当時のものです。2026年現在とは異なる部分がありますが、ご了承の上、お読みいただきたいと思います。
東京近郊の鉄道といえば、そのほとんどが電化されていて、高頻度の運転間隔でJR・私鉄を問わず人の流れが絶えることがないという印象をもつ人が多いだろう。筆者もそんな印象を抱く一人なのだが、それは東京を中心として放射状に伸びる路線と、それらを環状に結ぶ路線でのこと。同じ東京近郊といえども、こうした路線から外れたところでは今も昔もあまり変わらない場所があると聞く。
かつて千葉県は「気動車王国」と呼ばれていたらしい。もちろん、1970年代に生まれた筆者にとってその時代のことは知らないし、書物などの資料で知る程度だ。内房線や外房線は房総東線、房総西線と呼ばれていた時代のこと、とにかく東京近郊が電化されて電車による列車が運転されていたにもかかわらず、千葉以東の鉄道は電化が進まず、気動車による列車が多数運転されていたという。
そんな気動車王国・千葉にも電化の波が押し寄せてきたのは1969年のこと。おりしも国鉄の動力近代化が推し進められていた時期にあって、房総各線の電化もまた推進されることになった。ところが、房総半島は道路事情が悪く、工事用の自動車が入りにくい場所が多数存在していた。この道路事情の悪さは今日もそれほど改善されているわけでもなく、つい最近まで新聞輸送の「荷物電車」が運転されていたことは記憶に新しい。そんな場所で多くの資材を必要とする電化工事は難を極め、ついには房総半島の電化工事専用の職用貨車を製作するまでに至ったという。
こうして房総各線の電化は完成し、電車による列車の運転が始められたわけだが、一方では電化の対象から外れた路線もあった。それらの路線は当然、輸送密度も少なく電化をしても費用対効果の見込めない路線であることはいうまでもないだろう。それらの路線は、そのまま非電化路線として残されていった。
その一つが今回紹介する久留里線である。木更津から房総半島中部の山間にある上総亀山までの32.2kmを結ぶこの路線は、今日もなお首都圏に残る数少ない非電化路線として、国鉄から継承したキハ30形やキハ38形といった通勤形気動車が活躍し続けるところだ。


上:木更津駅西口の駅舎は、国鉄の中末期の面影を色濃く残していた。商業施設が入る「駅ビル」ではなく、駅の事務所や木更津運輸区などが入居する「庁舎」で、画一的な規格に則って造られた感じがする。 下:西口へ通じる階段下には売店があり、そこには「駅弁」が売られていた。特急列車など一部の優等列車以外で喫食することが「物理的に」難しくなった昨今にあって、こうして今も駅弁を販売しているお店が存在すること自体が、旅をする筆者に撮っても嬉しいものだ。(木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)
久留里線は道路事情の悪い交通の便を改善することを目的に、1912年に千葉県営の軽便鉄道として建設されたことに始まる。その後、改正鉄道敷設法により「木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ、大原ニ至ル鐵道」として予定線に挙げられ、1923年に千葉県から国に無償譲渡して国有化され、この計画に基づく木更津方の鉄道路線として軌間を1067mmに改軌している。その後、上総亀山まで延伸されたものの、第二次世界大戦中には「不要不急線」として休止され、戦後に営業を再開するという歴史を辿ることになる。しかし、その後も上総亀山より先に延伸されず、外房側の大原線とも繋がることもなく、閑散線区として国鉄の赤字ローカル線ではあったものの、京葉工業地帯の発展による通勤客の需要が見込めるということで、所謂「国鉄赤字83線」の指定からは除外された。とはいえ、現在も閑散線区に変わることはなく、朝夕ラッシュ時以外は1時間に1本の列車が設定されている程度なのが現状だ。
2012年の正月気分もそこそこに、滅多に取ることのできない平日の休暇を利用して、この久留里線を訪れることにした。本来ならばすべて鉄道を利用してとも考えたが、ちょうど千葉県の社会実験政策で東京湾アクアラインを普通車であれば800円で通行できることもあって、今回は木更津駅まで自動車で行くことにした。このほかにも、自動車を利用したのは時間の制約もさることながら、久留里線沿線についても可能な限りレポートしてみたいと考えたからである。
通勤時間帯に自動車を運転するのはとにかく久しぶりで、ある程度の渋滞を覚悟して東京湾アクアラインの入口である浮島を目指した。途中それほどの渋滞もなく、15分ほどで木更津市内へと入ることができた。と、そこから県道を走行していくものの、見えるのは茶色く刈り取られた跡のある田畑だけ。筆者の想像とは違い、木更津市内はどちらかというと農業の方が盛んなのだろうか。

▲真冬の朝日を浴びる木更津駅構内を、跨線橋から俯瞰する。久留里線は最も山側の4番線発着で、民営化後「久留里線色」に塗られていたキハ30形気動車も、往年の国鉄気動車の一般色に塗り替えられてかつての雰囲気を醸し出している。奥には幕張車両センター木更津派出の留置線群が見え、朝のラッシュ時運用を終えたキハ30形気動車が係員のてによって「洗車」されていた。さらに奥には房総の山々が望める。(木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)
そんな景色を目にしながら、木更津駅近くの駐車場に自動車を入れると、いよいよ木更津駅へ。この木更津駅までは、東京湾の反対側にある川崎駅から路線バスも発着している。そのことから、それなりに人口も多く利用者の多い駅…と想像していたが、駅舎を見てまず驚いた。それというのも、昭和の中後期ぐらいに造られた典型的な「国鉄の橋上駅舎」そのままなのだ。看板こそJR東日本のものに替えられているが、建物はまさしくその時代にもの。どこかに「工」マークの入った銘板でもないかと探してみたくなるほど、ずっと使い続けられているといった感じだ。
《次回へつづく》
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