久留里線の特殊な運行システムと冬の車窓:祇園〜東清川を行く
《前回からのつづき》
この稿は、2026年3月14日のダイヤ改正によって久留里線・久留里ー上総亀山間の廃止されることから、かつて筆者が取材し公開していた乗車記「鉄路探訪記」を再構成した上で、当ブログにて再公開いたします。取材は2012年1月5日と2014年5月26日に行っており、記事の内容も執筆及び公開当時のものです。2026年現在とは異なる部分がありますが、ご了承の上、お読みいただきたいと思います。
久留里線最初の停車駅である祇園駅は、単式ホーム1面の構造を持つ駅だ。ホーム幅は広くなく、ちょうど中央付近に道路とつなぐように小さな駅舎があるだけだ。このあたりは上総亀山方に向かって右側には住宅地が広がっているが、統計資料を見る限り乗車人員は300人強に過ぎない小さな無人駅である。この小さな駅で、筆者が乗っていた車両から1名が下車していった。
久留里線は2009年に東京近郊区間に指定されたが、久留里線の各駅にはICカード乗車券である「Suica」の簡易改札機が設置されてなく、従来と同じく切符を購入しなければならない。
祇園駅には自動券売機も設置されてなく、代わりに乗車駅証明書発行装置が備え付けられていて、それを提示して車内で車掌から乗車券を購入するs仕組みになっていた。この方法はかつての国鉄時代からあるもので、そのために久留里線の全列車に車掌が乗車している。
祇園駅を発車しても、車窓の景色はあまり変わらない。右側には住宅地、左側には農地が広がっている。やがて、左側には川が線路に近づいてきて、この先つかず離れずというふうに川が並走していく。

木更津市街を抜けると、久留里線の線路沿いには田畑が目立つようになる。東京湾を挟んで対岸の川崎や横浜とは大きく違って、空は広く自然が多く残っている。そのため、未開の雑木林も多くあり、首都圏にありながらも久留里線はローカル線の情緒が溢れているといえる。遠方に見えるのは、東京電力の火力発電所の煙突。首都圏で必要とする電力を供給する重要な設備の一つだが、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う福島第一原発事故の影響で、フル稼働状態だということが排出される煙からも推察できる。(2012年1月5日 筆者撮影)
小櫃川と呼ばれる二級河川で、流路延長88kmは千葉県内で2番目に長いという。そして、一度小櫃川が離れると、再び大きな道路をアンダーパスしていく。国道410号線と東京湾アクアラインが並走し、かつ一般道からアクアラインへの入路となっているために、比較的長めのアンダーパスとなる。
ここから先は住宅地から農地に変化し、茶色に染まった冬の田畑の中を、列車が突き抜けているという感覚になる。線形は比較的よく、直線がほとんどなのだが、閉塞方式と列車の在線状況の把握の方法のためか、久留里線は最高速度が65km/hに抑えられている。
久留里線の閉塞方式は、現在*1では非常に珍しくなったタブレット閉塞方式(通票閉塞方式)(※1)で、横田駅と久留里駅でタブレットの交換を行う。即ち、木更津駅-横田駅で1閉塞が構成され、同様に横田駅-久留里駅、久留里駅-上総亀山駅でそれぞれ閉塞区間が設定されている。

2012年当時、久留里線は首都圏のJR線で最後まで残った通票閉塞方式が運用されていた。木更津−横田・横田−久留里・久留里−上総亀山でそれぞれ閉塞を構成し、列車が閉塞区間内に入るには、運転取扱駅の駅長(実際には当務駅長の任に就く助役または輸送主任)から票券(タブレット)を受け取らなければ進入することはできない。久留里線ではこうしたタブレットの授受がされる光景が当たり前だった。写真では、当務駅長が運転士から受け取ったものと、これから渡すもの2つのタブレットキャリアをもっているのがわかる。(横田駅 2012年1月5日 筆者撮影)
そして、在線状況の把握には通常の軌道回路によるものではなく、車両に搭載されたGPS装置によって列車の在線把握が行われているというものであった。そのためなのか、運行する車両の性能のためなのか、とにかく最高運転速度が65km/hとのんびりしたものである。
上総清川駅に到着する。旧国名を冠する駅はJR線では比較的多く、筆者も武蔵○○駅など馴染みのある駅もあるが、上総と呼ばれる地域が木更津市周辺だということはあまり知らなかった。
上総清川駅も無人駅で、単式ホーム1面1線という構造は祇園駅と変わらない。ここから3名が乗車してきたが、それ以外はホームに人の姿はなく、駅の前を通る道路にも自動車が走る姿はみられなかった。
国道とアクアラインのアンダーパスを越えると、右側の車窓はがらりと変わって小高い丘が間近に迫ってくる。このあたりを「菅生」というらしく、丘には菅生神社があるという。
筆者もかつて同じ地名の場所に住んでいたことがあり、やはりそこにも同名の神社があった。海を隔てた反対側に、こうした場所があることに驚いた。そして、小櫃川が再び線路に寄ってきて、小高い丘と川に挟まれた狭い場所を通り抜けると、この先はほとんどが田園風景になってしまう。宅地が疎らになったところで東清川駅に着く。
東清川駅は、元々は仮乗降場として設置され、後に昇格して誕生した駅なのだが、この駅の利用はほとんど皆無に近いようだ。統計資料を見る限り、一日の乗車人員は僅かに86人しかいない。その利用実態に合わせるかのように、駅のホームと小さな待合室が設置されている程度だ。駅も田園地帯の真ん中にあるような立地で、なるほど乗車人員86人/日という数字も肯けるのだが、この日は2名が乗車してきた。
右側の車窓には遠くに山が離れて見えるが、徐々に房総山地に入っていることを窺わせる。そして左手の窓からは赤と白に塗られた柱状の構造物に、幾つものワイヤーが柱を支えるように張り巡らされているものが見えた。
確か、このような構造物を筆者はよく見かけるのだが…と考えてみたものの、現地では自信をもった答えが出せなかった。後日調べてみると、この構造物はニッポン放送の木更津送信所で、AMラジオの送信アンテナだったのだ。
久留里線の車窓から、小櫃川の河川敷に巨大な朱と白に塗られた細い鉄塔が見えてくる。これは、関東地区に向けて放送しているニッポン放送の送信所とその空中線。AMラジオは長波と呼ばれる低い周波数の電波を使って放送しているため、電波を発車するための空中線は非常に大きくなってしまう。低い周波数は波長が長く、その分だけの長さをもつ空中線が必要だからだ。また、広い地域に電波を送るためには周囲に障害となる構造物がない広い場所が必要で、都心部にはこのような送信所を設けることは難しいため、このようなところが選ばれる。赤と白に塗られた鉄塔は空中線を貼るための「支柱」で、そこから斜めに張られた電線が空中電である。(2012年1月5日 筆者撮影)
AMラジオは周波数が低い長波帯の電波を使うため、送信アンテナも自ずと大きくなってしまう。そのため、開けた土地が必要なのだが、河川敷の障害物が少ない所はうってつけだといえる。久留里線の線路からはかなり離れた位置にあるのだろうが、周囲には高層の建築物は皆無で田畑が広がるだけだからよく見えたのだろう。
《次回へつづく》
あわせてお読みいただきたい
*1:取材時の2012年1月の時点
