留里線の山あいへ:馬来田・下郡・小櫃・俵田を抜け久留里駅へ向かう冬のローカル線旅
《前回からのつづき》
馬来田(まくた)駅は今でこそ単式ホーム1面1線という中間の一駅に過ぎないが、かつては上下列車の交換設備をもっていたという。現在では、廃止されたホームの遺構が残されていて、かつてのこの駅の姿を今に伝えている。そして、駅の周辺には比較的大きな集落があり、駅の周囲に町ができるという都市開発の典型ともいえるような所だ。駅の近くには木更津市役所の出張所もあり、市の中心地が海側にあるので、こうした公共施設は住民にとって貴重なものだろう。

馬来田駅は駅員配置のない無人駅であり、当然、運転取扱はない。駅舎は平屋建ての小さいもので、かなり年季が入っているのがひと目でわかる。駅前には地元のタクシーが2台、客待ちをしていたが列車の運転本数が少ないので、おそらくは到着時間を見計らって「駅付」をしたのだろう。ロータリーの舗装はかなり古く、凸凹があちこちにあったが、それもローカル線の駅ならではのものかもしれない。(馬来田駅 2012年1月5日 筆者撮影)
馬来田駅を発車し、しばらく農地の中を南に向かって走っていく。木更津からこのかた東に向かっていた線路は、馬来田で南に向きを変えていく。それでも、上総亀山方に向かって左側は住宅などが建ち並ぶ町の姿が見られるが、反対に右側には農地だけが広がっていて、時折並走する県道を走る自動車が時折見られるといった程度だ。
単式ホーム1面をもつ下郡駅では、特に乗降はなかった。ホームも2両分しかなく短い。この日に乗った列車は、既に通勤ラッシュの時間帯を過ぎていたので、2両編成でのんびりと走っているが、増結された列車になればドアカットをするらしい。そして、この下郡から先は緩やかな上り勾配が続いていき、いよいよ房総半島の南端や東海岸へと続く、房総丘陵の中へと進んでいくことになる。
下郡駅と次の小櫃駅の間には、かつて上総山本駅が存在していたと資料にはあったが、いったいどこのあたりにあったのか、現在では遺構もなくよく分からなかった。恐らく「ここにあったであろう」という場所はまっすぐに伸びた線路の両駅のちょうど真ん中にあったようで、そうだとすれば周囲には田畑しかないという場所になる。こうした立地では、多くの利用客を望むべくもないだろう。現在のところ、久留里線で唯一の廃駅となっている。

小櫃駅の駅名標は、その様式は国鉄時代そのものだった。東京を中心とした電車区間にも、分割民営化直後は国鉄時代のものをそのまま使い続けていたのはあったが、ときとともに順次新しいものに取り替えられたり、再塗装と書き直しによってJR東日本の標準様式になっていったため、このようなものを見かけることはなくなった。ところが、久留里線にはこうした駅名標が2010年代に入っても多く見られたが、これは交換コストを理由にそのまま使われ続けてきたと考えられる。国鉄時代の様式は、独特の角丸ゴシックで書かれ、ひらがなで大きく、その下に漢字で小さく書き、さらにその下には括弧書きで駅名所在地が書かれていたので、今でいうところのユニバーサルデザインそのものだったともいえる。しかし、現在は漢字で大きく書き、その下にはひらがなとローマ字表記、そしてインバウンド向けとして簡体字とハングル文字が入れられるなど情報量が多くなった。(小櫃駅 2012年1月5日 筆者撮影)
緩やかな上り勾配を、運転士がマスコン(自動車でいうところのアクセル)を操作して、速度が遅くなってくれば「力行」にする。そうすると、床下にあるディーゼルエンジンDMH14は音を唸らせながら、加速をするために回転を上げていく。それを何度か繰り返しながら、次の小櫃駅に到着する。
小櫃駅も単式ホーム1面1線の設備をもつ小さな駅だ。駅の周囲にはある程度の集落があるが、それ以外は農地が広がっているという様子は、下郡駅と大して変わらない。そしてこの駅も、かつては上下列車の交換が可能な相対式ホーム2面2線の設備があったが、やはり列車の運転設定が減少するにつれて、過剰な設備となっていったのだろう。
ここで2名の乗車があった。とはいっても、どうみても地元の人とは思えない出で立ちだ。もちろん、上り列車にはそれなりに地域の人々の需要はあるとは思うのだが。
小櫃駅を出るとすぐ右手に、公民館らしい建物が見えてくる。小櫃公民館と君津中央図書館小櫃分室で、駅の直近というのは公共施設としてこれ以上のない好条件の立地だ。そして、この公共施設の敷地に、1両の蒸気機関車が屋根に覆われて保存されている。C12形蒸気機関車の287号機がそれで、1974年に九州の南延岡機関区で廃車となり、この地に運び込まれたのだ。C12形は久留里線でも活躍していたタンク式蒸機で、軸重を軽く設計されているため、軌道路盤の弱い線区では重宝したようだ。

小櫃駅近くの公民館に保存されている、C12形287号機。主に吸収で運用されて、南延岡機関区を最後に廃車されている。千葉には縁がなかった車両だが、C12形が千葉県内で活躍したということで、ここで保存されている。自治体が管理していることや、屋根があることで比較的良い状態が保たれている。(©Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons)
しかし、保存されている287号機自体は久留里線を一度も走行したことなく、1947年に後藤寺機関区に新製配置されて以来、その生涯をずっと九州の地で過ごしてきた機関車で、どうやら久留里線で使用された形式ということで、遠く君津までやってきたのだろう。
静態保存されているC12 287を横目に見ると、列車はいよいよ山間部へと入っていく。上り勾配が続き、農地も階段状に造られている様子が、車窓から見ることができる。
俵田駅に着くと、一昔前の駅の光景に一瞬タイムスリップでもしたかのような感覚になった。今では当たり前のようにホームもコンクリートないしアスファルトで舗装されているが、俵田駅はそうではなかった。未舗装の細かい砂利を敷き詰めていて、しかもホームに設置されている駅名標も木製の古いものだった。ホームも短く2両編成の列車が停車するのがいっぱいだ。
駅の周辺には小さな集落が点在するのみで、住宅が多く建っている宅地は駅から離れた場所にある。この日筆者が乗った列車からの乗降はなく、ドアがむなしく開閉していた。
再び上り勾配をエンジンを唸らせながら走っていくが、今度はそれほど速度が出ていないようだった。実際、運転台の速度計を覗き見ると、針は45km/hほどを指している。出力の大きい新型エンジンを載せているとはいえ、やはり連続の上り勾配はキハ30形にはきつい坂道なのだろうか。
列車は作付けが行われていない茶色一色の農地の中を走り続けると、国道410号線を踏切で横切っていく。この国道も、木更津から途中国道409号線に隠れたり(重複区間)しながらも、ずっと久留里線と並行して走ってきている。道路の通称も久留里街道とそのものずばりだ。国道とはいえ、列車の窓から観察すると、それほど車が通行している様子はなく、久留里線の車内と同様に寂しい限りだった。
やがて左手に高等学校が見えると、列車はエンジンを回転させて上り勾配を駆け上がり、再び住宅の姿が多く見られるようになると、久留里駅の場内へと進入し、転轍機を渡ると久留里駅に到着した。
《次回へつづく》
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