旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

【鉄路探訪記】気動車王国・千葉の名残を残す房総・城下町の鉄道 〜房総半島を走る小さな鉄路:久留里線がつなぐ歴史と自然の旅〜【9】

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久留里城と久留里街道を辿る:久留里線が結ぶ城下町の記憶

《前回からのつづき》

 久留里線を訪れてから2年後、2014年に再び久留里方面へと出かける機会をもったので、追補として沿線の概況と史跡、歴史について書き記そうと思う。もっとも最初は書くつもりはなく、まして追補するという発想はなかったが、ある人の「書いてみれば?」と勧めてくれた一言をいただき、それならばということで筆をとる…いや、キーボードを叩くことにした。鉄道とは少しばかり話が逸れるので、久留里線沿線の観光案内とでも思っていただければ筆者としては幸いである。

 

 2014年の初夏、房総の山々の緑が濃くなり始めた頃、久留里城という史跡を訪れた。城跡といえば国宝である姫路城をはじめ、全国にたくさんの有名な城がある。東海道・山陽新幹線に乗っていれば、名古屋、姫路、岡山、広島、小倉などなど車窓から眺めることもできる。ここに挙げた城跡はどれもが荘厳かつ美しい天守があり、誰もが知ることろであろう。とはいえ、現存天守と呼ばれる復元ではない、古くからある天守をもつ城跡は数少ない。

 名城とも呼ばれる城跡はともかくとして、意外にも日本には数多くの城跡がある。戦国時代に築城され、戦に於いては本陣として、あるいは最前線の指揮所として活用されたものの、江戸時代には廃城となった城跡がそれで、探してみると身近にたくさんの城跡があることに驚かされた。

 

▲上:久留里線の路線名の由来となったであろう久留里藩の藩庁が置かれていた久留里城趾。久留里駅からは徒歩で行くことになるが、さほど遠くない場所にある。山城なので本丸までは舗装された歩きやすい道が整備されているほか、山林歩道も整備されているのでちょっとしたハイキングも楽しめる。天守は復元天守だが、大雪の影響で瓦が破損し、現在は中に入ることができない。下:本丸付近より三の丸を俯瞰した眺めは、ここに城があったことを窺わせる物はない。左側の啓けた耕作地が三の丸があったという。右奥、雑木林に囲まれたところは戦国時代には里見氏の拠点として機能した久留里城は、関八州の平定を目指す後北条氏との最前線となり合戦が行われた古戦場でもある。(©ja:user:Mocchy, Public domain, via Wikimedia Commons)

 

 筆者の住む神奈川県東部にも、枡形城というやはり戦国時代の城跡があり、現在では公園として開放されているので気軽に訪れることができる。もちろん、天守など当時の建築物などは現存せず、そこがかつて城があったことを伝える細い石碑があるだけだ。山城などと呼ばれるそうだが、実は久留里線沿線にも同じような山城の城跡が存在する。

 久留里線の線名のもととなったのは、途中駅に久留里駅があるからというのは容易に想像できるだろう。その久留里という地名は、江戸時代に久留里藩という二万~三万石の石高をもつ藩が置かれ、その藩庁として久留里城が活用されたという。いわば、久留里駅の周辺は久留里藩の城下町としてある程度は栄えていたのだろう。

久留里城趾の天守閣から眺めた房総丘陵の山々。江戸時代には久留里藩が置かれ、この地域を統治していた中心地でもあった。ここの風景は時代の流れとともに多少の変化はあっても、多くは変わらないものだと考えると、往時のことに思いを寄せるのも旅の楽しみかもしれない。(©Nesnad, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 とはいえ、この久留里の町を自動車で行くと「久留里街道」と呼ばれる道を行くことになる。久留里街道と呼ばれるこの道は、国道410号線であり久留里線の線路とほぼ並走しながらいく道路だが、国道とは思えないくらいごくごくありふれた地方の道といった様相で、二車線、それもさほど道幅が広くないその道路を走ると、城下町であったであろう久留里駅周辺には昔からの木造民家や商家が建ち並ぶ姿が見られる。とはいえ、それほど観光客を相手とした商店や施設があるわけでもなく、どちらかといえば地域に住む人々が利用する店舗が中心であったようだが、現在では営業しているものは少ないようだ。

 自動車で通過してしまえばあっという間だが、旧街道の町並みを歩くにはやはり徒歩で行くのがいいかもしれない。建築物や建造物に興味をもつ筆者とすれば、鉄路探訪をするとき以外は徒歩でその街を直に感じるようにしているが、2013年冬と2014年春のどちらも自動車でこの街道筋を通っている。とはいえ、後者は探訪目的ではなく純粋に久留里の町を目的に訪れたので、ある程度は見ることもできたのだが。

 ところで日本の鉄道路線名は、とりわけ旧国鉄→JRでは一定の規則に則って命名されている。鉄道線路に並走する幹線街道から採られるもの、旧国名や行政区分名から採られるもの、あるいは起点と終点の駅名から一文字ずつ採るものやどちらかの駅名から採るものなど、例を挙げだしたらきりがない。東海道本線であれば東海道から命名されていることは、その規則を知れば誰もが想像するに難くないと思う。

 では久留里線は?ということだが、恐らくは旧行政区分名である久留里藩から命名されていると思われる。命名規則に当てはめてみると、そのぐらいしか思いつかないのだが。

 

《次回へつづく》

 

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