旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

【鉄路探訪記】気動車王国・千葉の名残を残す房総・城下町の鉄道 〜房総半島を走る小さな鉄路:久留里線がつなぐ歴史と自然の旅〜【11】

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久留里線の未来と喪失:久留里〜上総亀山間廃止が示すローカル線の現実

《前回からのつづき》

 

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 この記事を書いてから12年後の2026年、房総半島の中央部を走る久留里線は大きな転機を迎えることになる。この年の3月に実施されるダイヤ改正では、久留里線の末端部となる久留里−上総亀山間が廃止されることになった。

 実際、2012年に訪れたときも、木更津−久留里間は沿線に人家もあり、それなりに乗車する人もいた。しかし、久留里から先は人家も極端に少なくなり、山の中を走っていく様相になった。同時に、列車に乗っているのは1両に2〜3人程度と極端に少なくなり、これでは鉄道として立ち行かなくなるのも必然だったといえる。

 JR東日本も可能な限り合理化をして、鉄道を維持しようと努力してきたことだろう。少なくとも2010年代までは、そうした施策を実行に移すことで可能な限りローカル線を維持しようとしていた。

久留里線で運用されていたキハ38形の戸袋部分には、沿線自治体のシンボルをデザインしたステッカーが貼られていた。君津市の市の花「ミツバツツジ」、木更津市の「證誠寺(しょうじょうじ)の狸」、そして袖ケ浦市の「ヤマユリ」が並べられたもので、地元に密着した鉄道であることをアピールしていた。このようなデザインステッカーは近年、首都圏のJR線で見られることがあり、車体の帯色の中にまで描く例もある。キハE130形に置き換えとともに、このかわいらしいステッカーも姿を消してしまった。(木更津駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 しかしながら、2020年に起こった新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、社会を大きく変えてしまった。感染拡大を防ぐために採られた不要不急の外出自粛の要請は、社会経済を著しく停滞させてしまった。

 そのため、鉄道を利用する人は通勤や通学を中心に激減し、鉄道旅客輸送の存続そのものを危ぶませる結果になった。1987年の国鉄分割民営化以来、一度も赤字を計上したことがなかったJR東日本が旅客収入が激減したことで初めて赤字を計上したことで、国鉄時代の悪夢の再来を恐れたのか、収支が芳しくない路線の廃止とほかの交通機関への転換を促すようになってしまったのだ。

 確かに、民間企業である以上、利益を追求することは当然のことである。100円を売り上げるのにかかる必要な経費を表す営業係数は、木更津−久留里間では1,153円であるのに対し、久留里−上総亀山間ではその10倍以上の16,821円もかかるといった赤字は見過ごすことはできないだろう。

かす逆目山駅で折り返しの一時を過ごすキハ30形。前面は踏切事故などの衝突時に強度を保つ改造が施され、登場時とは比べものにならないくらい無骨なものだった。真冬の朝、気温が低いにもかかわらず乗降用扉が開け放たれているが、ホームとの段差は高く、その差を埋めるためのステップがある構造がよく分かる。この駅での折り返し風景も残すところあと僅か、ダイヤ改正後は見られなくなってしまう。(上総亀山駅 2012年1月5日 筆者撮影)

 

 その一方で、国鉄から事業を引き継いだJRには、地域輸送を可能な限り維持しこれを守る責務もあった筈である。東京を中心とした首都圏の稼ぎで地方の路線を維持するスキームは、2020年を境に崩壊したも同然であるとともに、これ以後、株主を極端に気にする体質になったことは否めないだろう。その証左に、直接収入を得ることになるとは考えられない、施設や設備に対する投資が極端に減らされ、特に修繕費を極端にまで抑えた結果、近年頻発する輸送障害につながったと言っても過言ではないだろう。

 久留里−上総亀山間の廃止は既に決定したことであり、これを覆すことは非常に難しいといえるし、阻止しようなどとは考えていない。他の輸送モードへの転換にあたっては、ここを利用してきた人々、特に通学に利用してきた子どもたちに「大人の都合」を押し付けたことによる不利益にならないよう、最大限の配慮をしてもらいたいと願うとともに、かつて房総半島を横断することを夢見て走り続けてきた久留里線に、今一度思いを馳せてみたいと思う。

久留里線に乗っていると、どこか遠くのローカル線に乗っている錯覚を覚えるが、ここは東京から1時間程度で行くことができる千葉県だった。広がる農地に小高い丘には木々が生い茂り、空はとても広く澄んでいる。東京湾を挟んでたったの15km反対側は、工場や超高層が林立し、もはや空など狭くコンクリートのジャングルと化した過密都市があるなど想像できない。この地の歴史は古く、多くの人たちがそれを紡いできた。そして、自然豊かなこの地で生活する人たちにとって、特に学生にとって久留里線はなくてはならない存在だろう。(2012年1月5日 筆者撮影)

 久留里線が歩んできた歴史は、房総の山里に寄り添いながら、人々の暮らしとともに静かに刻まれてきた時間そのものだった。終着区間の廃止という現実は受け入れざるを得ないとしても、この小さな鉄路がつないできた記憶や風景は、決して消えることはない。久留里城の山風、亀山湖の静けさ、そして冬の朝に響いたキハ30のエンジン音──それらは今も確かに胸の中に残り続けている。変わりゆく時代の中で、古き良きものを慈しむ心だけは失わずにいたい。久留里線が教えてくれたその思いを抱きながら、筆を置く。〈了〉

 

久留里線を走り続けてきた国鉄形気動車は、2012年12月1日をもって運用を終了して姿を消していった。国鉄時代の「気動車王国」を彷彿させる車両たちが最後まで活動した地に、新世代の気動車であるキハE130形が投入され、最新技術を使った高効率のエンジンと、軽量ステンレス車体によって、燃費は排出ガスの削減を実現した。しかし、車両が代わっても久留里線の役割は変わることはなく、沿線に住む人たちにとって重要な交通手段である。(出典:写真AC)

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