6:高度成長期の急行「銀河」:ナハネ10・11形とオシ16形が形づくった寝台急行時代の編成史
《前回からのつづき》
年を追うごとに寝台車の需要は大きくなり、「銀河」もこれを利用する人の方が多くなっていきました。その一方で、長年に渡り夜行列車のスタンダードともいえた座席車の利用は減少していくことになります。
そのことは1960年代に入ると顕著なものとなり、「もはや戦後ではない」という有名な言葉にも代表されるように、終戦から10年以上が経ち日本の経済は戦後の混乱から立ち直り、高度経済成長政策へと入っていく中で、多くの国民の所得も回復していたのでした。
その結果、かつては高嶺の花で富裕層などしか使うことができなかった寝台車が身近なものになり、多くの利用者が長い夜を座席に座って過ごすのではなく、横になって寝ながら移動することができる寝台車を求めるようになったのです。
1961年10月に「銀河」は運転開始以来の大きな変化を遂げました。前述の経済状態の変化、国民の所得が増えたこと、鉄道を利用して長距離を移動するということへの価値観の変化もあって、ついに座席車の連結が廃止されたのです。

10系客車の二等寝台車は、当時の日本人の体格から最低限の寝台設備を設けられていた。寝台幅550mmは通銀形電車のロングシートの座面幅とほぼ同じで、ここに体を横にして寝ることになる。しかし、後に登場する14系や24系のB寝台が700mmに拡大されても寝返りは容易でなかったことから、かなり窮屈な姿勢で夜を過ごさなければならなかったといえるだろう。二等寝台は料金も安く抑えられていたため、国鉄としてはできるだけ多くの人を「詰め込む」ことで、一等寝台と同様の収益を確保したかったかもしれない。(碓氷峠鉄道文化むら 2017年7月8日 筆者撮影)
この時より、「銀河」は一等寝台車のマロネ40形とマロネ41形それぞれ1両以外は、すべてナハネ11形またはナハネ10形の二等寝台車に替えられ、最後尾の緩急車だけは二等座席車のスハフ42形という、急行列車としては空前の編成になったのでした。
この後、一等寝台車と緩急車のスハフ42形以外はすべて10系客車の寝台車で占められ、途中、ナハネ11形がオハネ17形に替えられるなど小さな変化はあったものの、基本的には寝台車主体の列車へと進化したのです。
そして名実ともに「寝台急行」と名乗っても遜色のない陣容になり、深夜に発車し、翌朝早くに到着する列車として、それも体を横にして寛ぎながら移動できると、多くの人に利用される列車となったのでした。
さらに1964年には、ついに食堂車も連結しました。13両編成のうち5号車の位置に、オシ16形が組み込まれました。この食堂車は形式名こそ「シ」ですが、その実はビュッフェ車といえるもので、車両の中央部に厨房を備え、加熱用の電子レンジと電気コンロを備え、簡単な調理ができるものでした。そして、厨房部にはカウンターとスツールを設置、厨房を挟むようにテーブル席とカウンター席を設けたレイアウトでした。

10系客車の食堂車は、本格的な食事を提供する設備をもったオシ17形と、座席を多く設置し厨房は簡易なものにとどめて軽食を提供するオシ16形の2形式がつくられた。オシ16形は比較的距離が短い(といっても、6時間以上は走るが)列車に充てられ、おもに寝台の設置・解体時に乗客が一時的に退避する役割もあった。また、一等寝台車と二等寝台車を隔てるために、連結位置もそれらに挟まれた格好になっていた。オシ16形はすべて廃車解体されてしまい現存しないが、オシ17形は北陸トンネル火災事故によって全車が使用停止となり、多くが廃車解体される運命を辿ったが、一部が乗務員養成用の教習車(職用車)のオヤ17形に改造されたことで解体は免れた。現在は外観と標記を食堂車時代に戻し、オシ17 2055として保存されている。(オシ17 2055 碓氷峠鉄道文化むら 2011年7月18日 筆者撮影)
この年は東海道新幹線が開業し、長距離を走る特急や急行などが整理されました。基本的に東京ー大阪間の列車は新幹線に吸収させる形で廃止や統合され、大阪以西に直通する列車や夜行列車が残されました。
このオシ16形の連結は、こうしたことを背景にサービス向上のために、乗客へ軽食を提供するとともに、寝台のセットや解体時に一時的な待機場所として利用してもらうことを目的としていました。また、当時の「銀河」の運転時刻は、下り列車(11レ)は東京20時40分発、上り列車(12レ)は神戸20時40分発と、少し遅めの夕食を摂るにはよい時間帯で、全車が寝台車になったこととあわせて寝台急行としてかつての「名士列車」に倣ったような「一つ上のサービス」をビジネスマンに提供するためといえるでしょう。
その一方で、オシ16形にはもう一つの役割がありました。編成表を見ると分かりますが、5号車のオシ16形を境に神戸方の1~4号車はすべて一等寝台車、東京方は三等寝台車で組成していました。前にもお話したように、下等、すなわち二等寝台車の乗客が一等寝台車の車内に入り込むことを防ぐための「壁」の役割を寝台車にもたせていました。「銀河」にもオシ16形を連結したのは、一等寝台車と二等寝台車の乗客を隔てる「壁」としての機能を持たせる意図があったのは、この編成表からも容易に想像がつくところといえます。
1965年になるとオシ16形は編成から外され、さらには全車寝台車であったのが二等寝台車であるオハネ17形が減らされ、代わりに二等座席車が連結されました。1961年以来、寝台急行として運転されていたのがわずか4年で元の姿に戻されてしまったのでした。
《次回へつづく》
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