9:東海道新幹線開業が変えた在来線優等列車:急行「銀河」が生き残った理由と編成の変化
《前回からのつづき》
1964年の東海道新幹線の開業は、国鉄を始め多くの人にとって長年の夢が実現した瞬間でした。東京から大阪まで、それまではどんなに早くても9時間という長い時間をかけなければならなかったのが、最も速い「ひかり」であれば4時間程度で移動できる、まさに「夢の超特急」でした。
その一方で、それまで東京と大阪の間を移動する人々を運び続けてきた在来線の特急や急行といった優等列車に大きな影響を及ぼします。
日本で初めての長距離電車特急の「こだま」は、このために新たに開発された20系電車(後に151系に改称)を使い、客車列車であれば平均9時間、最速の「つばめ」や「はと」でも7時間30分かかっていたのが、「こだま」は6時間50分で結ぶことを可能にしました。まさに、電車という動力分散式の利点を遺憾なく発揮したといえるものでした。
151系「こだま」は大阪方先頭車となる1号車には、「パーラーカー」という愛称がつけられたクロ151形一等座席車を連結していました。座席は2種類が設定され、開放室と呼ばれる部屋には窓方向斜めに配置された大きな一人用座席が据え付けられていました。この座席は回転機能とリクライニング機能を持ったもので、一人あたりの専有面積も広く、客車の一等車に及ぶ豪華なものでした。
東海道新幹線の開業、そしてその後の山陽新幹線への延伸は、在来線の著距離優等列車に大きな影響を与えた。東海道新幹線の開業では、ビジネス特急と呼ばれた「こだま」をはじめとする特急列車が廃止または新幹線へ統合、夜行列車も大幅に削減されることになる。山陽新幹線の開業でも同様のことが行われ、日本の大動脈ともいえる東海道・山陽線の長距離列車は次々と姿を消していった。(出典:写真AC)
開放室に対して区分室と呼ばれるコンパートメント式の部屋も用意されました。この区分室は要人が利用することを想定したもので、9.53㎡の面接をもった部屋に4人掛けのソファーを配置しました。加えて、区分室と開放室の間に乗降用扉があるデッキを設け、区分室はデッキより乗務員室側に設置したことで、区分室を利用する乗客はデッキから直接車内に入ることができ、開放室の乗客が通過することがないように配慮されたレイアウトでした。
この他にも、座席にはラジオを聴取するためのイヤホンジャック、さらには当時としては非常に珍しい列車電話サービスも提供され、これらは同じく座席に取り付けられていた給仕呼出用ボタンを押すことで専任の給仕が専用の電話機をもってきて、サービスを提供するというものでした。列車電話は別として、航空会社の機内サービスに匹敵する内容を、国鉄は「こだま」で一部にせよ行っていたのでした。
そんな「こだま」は「ビジネス特急」という触れ込みで運転を開始し、最新でしかも豪華な設備、そして何よりもそれまで最速とされていた「つばめ」「はと」と比べても短い時間で移動できるということで、ビジネスマンに多く利用される人気列車となっていきました。
しかし、東海道新幹線が1964年に開業すると、この「こだま」の愛称は在来線から消えて、新幹線の各駅停車タイプの列車につけられることになります。それと同時に、並行する東海道本線の優等列車も大幅な整理がなされました。
すなわち、東京ー大阪間を結んでいた多くの優等列車が削減の対象になり、「つばめ」「はと」は東海道本線の列車としては廃止、山陽本線の新大阪ー博多間の特急へ移行、「みずほ」の大分へ向かい編成を独立させて「富士」として新設、「おおとり」「ひびき」は廃止となります。急行も「せっつ」が2往復廃止、「宮島」は大阪以西のみの運転に短縮、客車急行の「あかつき」「彗星」「すばる」「筑紫」「ぶんご」は廃止、さらに準急は「伊吹」が「比叡」に統合されて姿を消し、「東海」はそれまで6往復が運転されていたのが、昼間の1往復が削減されて5往復体制になりました。
急行銀河に並んで東海道本線の夜行列車として東京ー大阪間の旅客輸送を支えた「明星」も、新幹線の開業によって整理の対象になってしまった。代わって「銀河」は2往復体制になり、引き続き夜の東海道を走り夜間の移動を支えた。一方、「明星」は東海道本線の急行としては廃止になったものの、新大阪ー熊本間の夜行急行「ひのくに」を特急への格上げとともに電車化するにあたって、列車名を「明星」として事実上の存続となった。後に「明星」は2往復へと増発され、運転区間も京都発着の設定などを成長を続け、最大で電車3往復、客車4往復、合計で7往復も運転される一大列車となっていった。(©Olegushka, CC0, via Wikimedia Commons)
このような、新幹線の開業による優等列車に吹き荒れた嵐の中で、「銀河」は廃止された「明星」を代替するため2往復体制になり、二等寝台車もスハネ16形やオハネフ12形といった10系寝台車で冷房化された車両が充てられていました。
このように、在来線の優等列車が削減や廃止など凋落していく一方で、国鉄は新大阪からさらに西へ新幹線を伸ばすべく建設を推し進め、1972年には山陽新幹線が岡山まで開業します。
この新幹線岡山開業でも、在来線の優等列車に再び嵐が吹き荒れることになりました。
《次回へつづく》
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