旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【13】

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13:14系から24系25形へ──国鉄最後のダイヤ改正と「銀河」編成移管の背景

《前回からのつづき》

 ところが、14系での運転は1年半と長くは続きませんでした。

 国鉄最後のダイヤ改正となる1986年に、「銀河」は14系から24系25形に置き換えられました。ここでようやく、「銀河」も三段式寝台から二段式寝台に変わり、接客設備が大幅に向上しました。

 しかし、「銀河」の14系から24系への置換えは、単に接客設備のアップグレードを目的としたものではありませんでした。

 このダイヤ改正は、翌1987年に実施される国鉄分割民営化後を前提としたものでした。この改正では、列車の運転区間の見直しをはじめ、車両の運用や配置、乗務員の担当区間や運用、運転区所が担当する線区や範囲、受け持ち列車、さらに細かくいえば鉄道管理局の境界の引き直し、保線区所の境界の見直しと引き直し、信号保安設備などでは保守の守備範囲の再設定など、多岐にわたる大規模なものでした。

 これらは分割民営化後に継承する各会社の担当や境界に合わせるためのもので、まさに国鉄の体制から脱却するための準備でした。

 

多くの夜行急行列車が姿を消していく中で、「銀河」は1987年の国鉄分割民営化を控えたダイヤ改正で、14系から24系25形へ置き換えられた。B寝台は三段式から二段式に変わり居住性が大幅に向上した。しかし、このことは1両あたりの定員が大幅に減ることになり、ひいては列車そのものの収益率を低くしてしまうことでもあった。そうしたことを「覚悟」の上での置換えであったが、「銀河」にはプルマン式2段式寝台を備えたオロネ24形も連結されていた。伝統の列車に恥じぬ編成を組み、最後まで「名士列車」の誇りを汲み続けていた。(©TRJN, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 

 それまで「銀河」を受け持っていたのは品川客車区で、ここに配置されていた14系を運用に充てていました。しかし、分割民営化後に「銀河」は品川区を継承する東日本会社ではなく、西日本会社が受け持つことになっていたため、車両も品川区ではなく大阪局の宮原客車区に移管したことで、24系25形に置き換えられたと考えられます。

 この24系25形への置換えでは、A寝台車にプルマン式二段式寝台を備えたオロネ24形が組み込まれました。オロネ24形は形式名が示す通り、24系24形のA寝台車です。25形にもA寝台車はありましが、こちらは個室寝台のオロネ25形であり、比較的距離が短い「銀河」には過剰な設備を持った車両でした。加えて、オロネ25形では乗車定員が少なく、比較的多くの人が利用する傾向のある「銀河」には不向きであると考え、料金もA個室よりも安価に抑えることができる開放式のオロネ24形が充てられたのでした。

 

▲1986年の24系15形化になったときの編成。電源車を除いて13両編成、A寝台のオロネ24形を組み込んでいるのは14系時代と同じだった。しかしながら、これ以降は利用者が減少の一途を辿ることになり、車両自体の変更はなくても減車がなされるようになる。

 

 1986年のダイヤ改正では、14系時代と同じ11両編成を組んでいました。運転ダイヤも多少の変動はあったものの、下り101レは東京22時45分発、大阪着は約20分繰り上げの7時43分着。上り102レは大阪22時10分発、東京6時45分着という設定でした。夜遅くまで仕事をしたり、あるいは観光などで楽しんだ後に乗ることができ、翌日早朝には目的地に到着できるという設定は、時間をより有効的に使うことができるとともに、旅先での滞在時間を最大限に広げることも可能でした。

 

▲急行「銀河」の運賃と料金の変遷。運賃だけでも「ヨン・サン・トオ・改正」の時点よりも3倍以上に跳ね上がってしまい、合計金額も1985年の時点で既に13,000円に上っていた。もはや、安価な高速バスに対抗できるだけの競争力は失われていたといっても過言ではない。

 

 しかし、安価な高速バスの台頭は、「銀河」にとっても脅威でした。深夜を寝ながら移動できるという寝台列車の魅力は、廉価な価格設定の高速バスに太刀打ちすることが難しくなり、1990年には3両が減車されて9両編成になってしまいます。それでも、1号車はA寝台車のオロネ24形は連結され、寝台急行としての威光は保っていました。ところが、1年も経たないうちに、利用者の減少が目を覆うばかりの状態になり、乗車率の悪さからかさらに3両を減らした6両編成にまで短くなってしまいました。これでは、かつて13両編成という長大編成を組んで、深夜の東海道を疾駆した勇姿からはほど遠いものになってしまいます。

 運転ダイヤの面では、鉄道のメリットを大きく活かそうとしたのか、下り101レは東京発を15分繰り下げた23時0分発に、大阪着はさらに15分繰り上げた7時28分着に設定され、所要時間を僅かながらも短くしました。上り102レは大阪の発時刻を5分繰り上げられた22時5分発になったものの、東京には6時43分着となり、僅かに到着時刻が繰り上げられました。

 かつての勇姿を見る姿もなくなってしまった「銀河」ですが、繁忙期には9両編成に増結されるなど、列車の需要にあわせた柔軟な対応がなされていたようです。そして、この体勢のまま、「銀河」は21世紀へと入っていきました。

 

1986年に24系25形に置き換えられた急行「銀河」は、その後、2008年に廃止されるまでは車両そのものの変化はなかった。それは、旅客会社が運用コストの割に収益性がなくなっていた夜行列車、特に寝台列車に対して興味を失い新たな車両を開発・新製するという投資をしなくなったこと、高速バスの充実と低廉化によって競争力が失われていたこと、そして旅客会社間を跨がる長距離列車の運行には複雑な調整が必用であったためだといえる。当初は13両編成だったのが、時とともに減車を繰り返していったことも、その表れだったといえよう。(©PekePON, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 

 2001年になると、「銀河」は再び増結され、8両編成が組まれました。夜行列車の長楽が激しいとは言え、比較的利用しやすい時間帯を走り、急行であるが故に料金面では安価に抑えることができることから、一定の利用があったためと考えられます。6両編成では不足しがちで、8両編成なら十分対応できるということだったのでしょう。同時に閑散期、繁忙期にかかわらず8両編成で運転されることで、運転区所における車両の増解結作業も減らす目的もあったといえます。

 ダイヤ設定も、1990年から大きな変化はなく、1993年の改正で下り101レの大阪到着がさらに繰り上げられ7時17分着に、上り102レは2002年に大阪発が繰り下げられて22時22分発になったものの、東京着は6時42分のままとされ、いずれも所要時間を僅かに短くなしていました。

 こうして、長い歴史を紡ぎながら、深夜の東海道をひたすら走り続けてきた「銀河」ですが、その行先は明るいものではなかったのです。

 

《次回へつづく》

 

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