旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

今週の1枚 DE10 1691

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DE10 1691〔函〕 五稜郭 2006年8月6日 筆者撮影

 DE10形といえば、国鉄時代は全国至る所で見ることができた、万能ディーゼル機だったといえます。北は北海道、南は鹿児島まで全国に配置され、その製造数は708両にも上り、国鉄のディーゼル機としては最大でもあった。

 1987年の国鉄分割民営化では、出力1250PSのDML61ZA形を搭載した0番台154両と、0番台から蒸気発生装置を省略た500番台74両は廃車となり、出力を1350PSに増強したDML61ZB形を搭載した1000番台173両と、1000番台から蒸気発生装置を省略した1500番台184両の計361両がJR各社に継承されました。

 これだけ多くの車両が、それも地域を問わずに配置されることになったため、同じDE10形でも配置するところによって仕様が異なっていたのは多くの方が知るところだと思います。

 特に北海道など冬季の気候が厳しい地域に配置する車両は、A寒地仕様として徹底した耐寒耐雪装備を施され、耐雪ブレーキやスノープラウはもちろん、キャブの前面窓には付着した雪を跳ね飛ばして視界を確保するために旋回窓をそうびしていました。この他にも、ジャンパ栓と砂撒き管には凍結防止用のヒーターが取り付けられているなど、見えない部分にも耐寒耐雪装備をもたされていました。

 写真のDE10 1691も、北海道や東北地方などに向けたA寒地仕様の1両で、窓には小さいながらも旋回窓が設置されているのが外観上の大きな特徴だといえます。車両の番号が示す通り、DML61ZB形を搭載し蒸気発生装置を省略した1500番台で、貨物駅や操車場、運転区所での入換作業や貨物列車を牽くことを前提とした車両でした。1975ねん

 DE10 1691は1975年2月に、昭和49年度第2次民有車予算で日本車輌豊川工場で落成し、釧路鉄道管理局管内の帯広運転区に新製配置されました。

 帯広地区の入換作業や貨物列車を牽く運用に充てられた後、1984年2月のダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ改正」で貨物輸送の大幅整理が行われた際、DD13形など共に働いた多くの僚機が働き口を失い、廃車となって解体されるのを待つための列につながれていく中、帯広を去って釧路機関区に配転されました。

 後に釧路機関区は釧路運転区に改称、さらに分割民営化を前提とした組織改正で釧路運転所と名を変えましたが、DE10 1691はそこから動くことなく1987年の国鉄分割民営化によってJR北海道に継承されました。

 JR北海道に継承された後も、釧路運転所配置は変わることはなく、僚機となったDE15形などとともに釧路に配置されていた車両の入換作業や、ホキ800形などの工事臨時列車を牽く仕事をこなし続けました。

 この間、1993年に発生した釧路沖地震では、留置していたところのレールが折損してしまったため横転し、全輪が脱線したため大きな損傷を受けました。しかし、職員の懸命な復旧作業によってレールに載せられ、修理を施した上で運用に戻りました。

 1997年4月になると13年間過ごした釧路を離れ、遠く離れた函館運転所に配置換えとなりました。函館に移動してからも、釧路時代と同じように運転区所内での入換作業を中心とした運用に就き、時にはマヤ34形による軌道検測を行うために僚機とプッシュプル運転にも充てられました。

 2016年に19年間を過ごした函館に別れを告げ、今度は道央の旭川運転所に配転。札幌運転所構内の入換作業を中心とした運用に使われ、2026年現在も旭川配置で健在です。国鉄形車両が老朽化などによって続々と姿を消していく中で、現役で使われている貴重な存在になっているといえるでしょう。

DE10 1691
年月 配置 備考
1975年2月 帯広運転区 昭和49年度第2次民有車予算 日本車輌豊川工場製造
1984年2月 釧路機関区 昭和59年2月ダイヤ改正
1986年11月 釧路運転区 組織改正
1987年2月 釧路運転所 組織改正
1987年4月 釧路運転所 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承
1996年5月 釧路運輸車両所 組織改正
1997年4月 函館運転所  
2016年3月 旭川運転所  

 

 

 

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