15:おわりに
《前回からのつづき》
急行「銀河」が歩んだ59年は、日本の鉄道史の中でも特別な意味をもつ時間だったと思います。戦前の名士列車を源流とし、戦後の混乱期から高度経済成長、国鉄末期、そしてJR時代へと、常にその時代の“夜の移動”を支え続けてきました。どの時代を切り取っても、「銀河」は確かな実績を残し、多くの人々の生活に寄り添ってきた列車でした。
深夜の東海道を走る「銀河」は、単なる移動手段ではありませんでした。仕事を終えたビジネスマンが翌朝の会議に間に合わせるために乗り込み、学生が帰省のために切符を握りしめ、旅人が旅の余韻を胸に眠りにつく──そんな無数の人生の断片を静かに運び続けてきたのです。揺れる寝台で過ごす一夜は、誰にとっても忘れがたい時間であり、そこには夜行列車ならではの温かさと安心感がありました。

筆者が急行「銀河」の存在を知ったのは、小学校1年生の頃だった。深いながらもつやのある紺色の車体をもった20系客車、その先頭に立っていたのは国鉄が生み出した名機といえるEF58形で、深夜の東海道を走り抜けていく姿を想像してはいつか乗ってみたいと思ったものだった。鉄道マンになって何度か乗る機会を得たが、客車は24系25形に代わりっていて他の寝台特急と何ら変わり映えのしないものだったのを思い出される。それでもダイヤ設定は使い勝手が良く、小倉から最終近い新幹線「ひかり」で新大阪まで行き、そこから「銀河」に乗り換えれば翌朝早く東京に着くことができ、時間を効率よく使うことができたものだった。(©Olegushka, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)
「銀河」は、時代の変化に翻弄されながらも、最後まで“人の役に立つ列車”であり続けました。高速バスや新幹線、航空機が台頭しても、深夜に体を横にして休みながら移動できるという価値は揺らぐことなく、多くの利用者にとって欠かせない存在だったのです。特にビジネス利用者にとっては、夜遅くまで現地で仕事をし、翌朝早く目的地に着けるという利便性は、他の交通機関には代えがたいものでした。
やがて2008年、長い歴史に幕を下ろすことになりましたが、「銀河」が残したものは決して小さくありません。夜行列車の文化、旅の情緒、そして“夜の東海道を走る列車に身を委ねる”という体験は、多くの人の心に深く刻まれています。最後尾に掲げられたテールサインの光を思い出すだけで、あの静かな夜の空気がよみがえる人もいるでしょう。
そして2020年、「WEST EXPRESS 銀河」としてその名が再び息を吹き返しました。形は変わっても、「銀河」が長年培ってきた“旅を楽しむ心”は、今も新しい時代の中で受け継がれています。

深夜の東海道を疾駆し、長い歴史を紡いできた急行「銀河」は既にもうない過去の存在となってしまった。EF65形1000番台が先頭に立ち、鮮やかな青色を纏った24系25形がそれに牽かれていく。車内には多くの人が乗り込んで、発車後は翌朝に備えて早々に床につくというのが「銀河」でよく見られた車内光景だったのではないだろうか。タイパだのコスパだのとよく言われる世の中になってしまったが、少なくとも「銀河」が走っていた時代はそのようなことばかり気にしていなかった、もっと違うものにも価値観を見いだしていたのではないだろうか。そう考えると、今の世の中は効率ばかりを追い求めすぎ、良い意味での「余裕」というものを見失った寂しいものだと感じずにいられないのは、筆者が「古い人間」になってしまったのかもしれない。(©Tokyodesert, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)
急行「銀河」が廃止され、私たちの前から姿を消してから既に25年が経ちました。しかし、その実績と、人々に寄り添い続けた優しさは、これからも多くの人の心の中で静かに輝き続けるのだと思います。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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