旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄最大の貨車「ソ300形」徹底解剖|154トンの巨体と自走能力に秘められた技術と歴史【1】

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1.「勉強しろ」と言いたい自分へ。新鶴見操車場で貨車を追いかけた日々が、元鉄道マンの血肉になるまで

 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 筆者が小学生の頃、実家から自転車で30分ほど走ったところにある市立図書館で、鉄道関係の本を読み漁った時期がありました。そこには、「鉄道ファン」や「鉄道ピクトリアル」といった雑誌の他に、誠文堂新光社が出版していた国鉄車両のガイドブックシリーズが置かれていました。このガイドブックシリーズを知る人は、おそらく筆者と同じ世代からそれよりも上の先輩方だと思います。

 車両の特徴を分かりやすく捉えた形式写真と、その形態がわかる形式図、そして簡単な解説と諸元が見開きで見ることができるこの本は、国鉄が保有する車両を大まかに知ることができ、理系の頭をもっていた筆者の心を鷲掴みにしたものでした。

 その中でも「国鉄客車・貨車ガイドブック」は、何度も読み込むほど面白く感じたものでした。特に多種多様な貨車は、自宅近くにあった新鶴見操車場(=ツルソウ)でも観察することができるので、学校の勉強などそっちのけであらゆる貨車の形態と形式を覚、ツルソウに架かる陸橋に出かけては、ハンプから仕訳線に流れてくる貨車達を観察したものです。

日本の三大操車場の一つに数えられた新鶴見操車場は、広大な敷地を有して日夜を問わず貨物列車が発着し、仕訳線ではハンプと呼ばれる人工の丘から切り離された貨車が転走し、幾重にも敷かれた仕訳線で行き先別に組成されていた。国鉄職員からは「鬼の鶴操、地獄のハンプ」と恐れられ、多くの殉職者や後遺障害を伴った重傷者を出す危険な作業に従事しなければならなかった。筆者は子どもの頃にこの新鶴見操の近所に引っ越してきたこともあって、ここでの操車光景を跨線橋からよく眺めていたものだった。残念ながら写真として記録に残したことはないのだが、こうしてみるとかつての光景が脳裏に蘇る。左側に見える建物は新鶴見機関区の運転庁舎、その奥に見える庫は検修庫で、2026年現在も使われている。一方、運転庁舎のすぐ脇にある坂がハンプで、そこに続く一際大きい建屋が貨車を切り離すところ。遠くに見える鉄塔は操車場を照らす投光器鉄塔で、夜にはこれが煌々と光るので一帯は昼間に近い明るさだった。(出典:写真AC)

 

 まあ、今となっては幼き頃の良き思い出ですが、教壇に立つ身となったいまでは、その頃の自分自身に、「そんなことをする暇があったら、やるべき勉強をしろ」と言いたいところですが、そのことが後年になって役立つなど、当時の筆者には考える由もなかったです。

 さて、その「国鉄客車・貨車ガイドブック」に載っていた貨車の中で、筆者にとって忘れることのできない貨車が2形式ありました。一つは石灰石用のホッパ車であるホキ2500形でした。青梅線の終着駅で、およそ東京都とは思えないほど自然豊かな山奥にある奥多摩駅から、南武線を貫くように走り、京浜工業地帯の中にある浜川崎駅の間で運用されていたこの貨車は、車体に配置局記号である「西」と、常備駅の標記「奥多摩駅常備」と記されていました。この貨車は、筆者が貨物会社に入った頃も変わらず運用されていて、局記号は支社記号に替えられ、関東支社を表す「東」となったものの、国鉄時代と大きく変化することはありませんでした。

 そしてもう一つは、操重車のソ300形です。

 操重車は鉄道車両のクレーン車で、大きなブームを備えたクレーンと、その動力源、そしてクレーンを操作するための操縦室を備えた車両です。鉄道車両としては大型かつ独特な外観をもつものの、多くは出動機会がないまま運転区所や操車場などで待機するだけの日々を過ごしていました。

 その操重車も使う目的によって、事故復旧用とレール積卸用、そして橋桁設置用の3種類に分けられます。例えば、ソ80形は大型クレーンを備えた事故復旧用の操重車で、多くは大規模の駅や操車場に配置され、事故発生時には機関車などに連結されて現場へと出動し、速やかに事故車両を除去すること役割を担っていました。

 筆者も小学生の頃に見学した新鶴見操車場には、機関区のほぼ中央にある屋根を備えた留置線にソ80形88号車が収容され、事故発生時にはここから引き出して現場へと馳せ参じる手筈になっていました。もっとも、このソ88が活躍するような場面はほとんどなく、屋根に守られていたとはいえほとんど放置に近い状態だったため、使われずして老朽化していくばかりだったようです。

 

新鶴見にも操重車が配置されていた。記録によればソ80形88号が配置され、万一の事故が起きた際には出動することになっていたという。実際に筆者が「見学」に訪れた時にも、機関区の助役から「クレー車」があると説明されたが、新鶴見配置の操重車は常に庫の中に押し込まれて外からは見えない状態だった。筆者が鉄道マンになって新鶴見機関区に仕事として行くようになった1991年頃には、既にその姿はなかった。もっとも、操重車のような事故車両の「救援」が使い途の車両は出番がないに越したことはない。(ソ81〔函・長万部運転区〕 三笠鉄道記念館 2016年7月24日 筆者撮影)

 

 これとは別に、ツルソウの中に黄色く塗られた小型の操重車も配置されていました。一見するとクレーンをもった保線用機械にも見えるこの車両は、レール積卸用の小型操重車であるソ60形で、62号車と63号車の2両が配置されていました。こちらはソ80形とは違い、それなりに使われていたようで、時折留置されている位置が変わっていることもあったのです。

 さて、冒頭にお話しましたソ300形は、その巨大さに大きな衝撃を受けたため、とても印象に残る貨車になりました。他の操重車とは違いクレーン車のような外観ではなく、車体全体がクレーンのブームになっていることや、巨大で非常に重い車体を支える輪軸は全部で16軸もある独特の構造、そして低速ながらも自走することができるという、貨車としてはあるまじき性能がとても衝撃的だったのです。

 

《次回へつづく》

 

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