旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

国鉄最大の貨車「ソ300形」徹底解剖|154トンの巨体と自走能力に秘められた技術と歴史【4】

広告

4.ソ300形と三島操機区:国鉄工事局が運用した橋桁設置用操重車の実態

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 

 ソ300形は1966年に日立製作所で2両が製造され、配置は東京第二工事局三島操機区とされました。鉄道車両の配置区所としてはあまり聞き慣れない現業機関の名称ですが、これはソ300形の製造目的である橋桁設置に使う操重車であることにありました。

 国鉄時代の組織でもっとも知られている大きなものでは、鉄道管理局が挙げられるでしょう。釧路(釧)・旭川(旭)・札幌(札)・函館(函)・盛岡(盛)・秋田(秋)仙台(仙)・新潟(新)・高崎(髙)・水戸(水)・東京(東)・静岡(静)・長野(長)・名古屋(名)・金沢(金)・大阪(大)・天王寺(天)・福知山(福)・岡山(岡)・米子(米)。広島(広)・門司(門)・熊本(熊)・大分(分)・鹿児島(鹿)の24局で、これに四国総局(四)を加えて25局体制が敷かれていました。後に、東京が分割されて東京北(北)・東京南(南)・東京西(西)となったことで27局があり、いずれも管轄する線区における列車の運行、駅の営業と輸送業務、運転区所での車両や乗務員の運用と検修、線路施設の保線管理、電力設備や信号保安設備と通信設備の保守管理など、鉄道輸送に関わるあらゆる業務を統括する役割を担っていたことは、多くの人が知るところでしょう。

 この地方組織である鉄道管理局と同格の組織として、工事局が設置されていました。

 工事局は主に新線の建設、駅や操車場などの配線変更、複線化工事、橋梁の建設や改良、高架化、駅ビルの建設といった大規模工事の設計や施工管理を行う部局として設置されていました。札幌・盛岡・東京・新橋・岐阜・大阪・下関の7局が置かれ、これとは別に信濃川に水力発電所を建設するときには信濃川工事事務所(後に工事局へ昇格)を設置するなど、国鉄の大規模工事を担当する他に、国鉄の工事だけにとどまらず都営地下鉄三田線など、私鉄の大規模工事も請け負うこともあったといいます。

 

ソ300形を運用した東京第二工事局(東二工)の前身、東京幹線工事局(東幹工)は東海道新幹線建設のために設置された国鉄の地方機関で、鉄道管理局と同列の組織だった。設計や積算、工事の発注業務、実際に工事が始まると施工管理や工事指揮などを担う、国鉄内の「ゼネコン」のような存在だった。建設工事が終わると組織改編されて東二工になるが、その傘下には三島に置かれた三島操機区を擁し、ここに橋桁設置用操重車を配備していた。この三島操機区は国鉄で唯一の建設用操重車を運用する区所でもあった(©Cassiopeia sweet, Public domain, via Wikimedia Commons)

 

 これら工事局あるいは工事事務所は、一般の目には触れることの少ない国鉄の部局であり、列車の運行には直接かかわらないものの、大規模工事を通して国鉄の利便性や安全性の向上を担った、いわば国鉄内のゼネコンとも言うべき存在でした。

 また、大規模プロジェクトによる工事が実施されるときには、臨時で工事局を設置することもありました。特に国鉄にとって一世一代のプロジェクトともいえた東海道新幹線の建設では、既存の工事局だけでは手が足らないことから、新幹線専門の工事局として東京幹線(東幹工)・静岡幹線(静幹工)・名古屋幹線(名幹工)・大阪幹線(大幹工)そして仙台幹線(仙幹工)の6局が増やされました。 

 これら臨時で設置された幹線工事局は、1964年に東海道新幹線が開業するとその役割を終えて静幹工と名幹工、そして大幹工は廃止されたものの、東幹工はそのまま存続とされて名称も東京第二工事局(東二工)となりました。

 長くなりましたが、ソ300形が配置されたのはまさにこの東二工であり、その配下に設置された建築工事用の操重車を運用し、実際に工事現場での操縦をする要員が配属されていたのが、この三島操機区だったのです。

 この東二工三島操機区はその名称が示す通り、三島に置かれていました。

 三島は在来線である東海道本線では一つの途中駅に過ぎませんが、伊豆箱根鉄道駿豆線の起点駅でもあるので、西伊豆の玄関口として多くの列車が停車していました。そのため、在来線の部分だけでも島式2面4線の配線であり、同時に駿豆線への連絡線も設けられ、さらには近隣にある東レ三島工場への専用線もあるなど交通の要衝でした。

 その三島は、東海道新幹線にとっても重要な駅になります。当時、東海道新幹線は東京ー熱海間の輸送量が多く、列車も熱海発着の列車が多く設定されると想定されていました。しかし、熱海は海側には既に在来線の線路が数を置く敷かれており、山側にはすぐ近くに箱根山の麓が迫るという狭隘な地であったため、車両を留置する施設を作る余裕がなく、三島にこれらのものをつくったのです。

 

かつては飯田線佐久間駅に隣接した佐久間レールパークに、そして現在はJR東海のリニア・鉄道館で保存されているオロネ10 27。A寝台車としての使命を終えた後、名古屋工場で改造工事を受けて職用車であるオヤ10 2となり、新線建設など長期間にわたる工事において、職員の宿泊及び休憩用の工事車両となって東二工三島操機区に配置されていた。ソ300形とは無縁のものではなく、これを操縦する操機区の職員も自宅に帰ることは叶わず、オヤ10形を「住処」にして職務にあたっていたと想像できる。国鉄において表舞台に出ることのない職員は、過酷な労働環境の中にあってもその使命を全うすべく全力を傾けていたのだろう。(©TRJN, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons)

 

 そして、東二工のもとを辿れば新幹線の建設を担った東幹工であったことから、三島にその拠点を設置したのも合理的であるといえます。そして、三島操機区に配置されたソ300形は東二工が担当する橋梁や高架工事はもちろんのこと、他の工事局が担当するこれらの工事にも活用されたと考えられます。

 とはいえ、この橋桁設置用という特殊な使い道の操重車は、出動の機会はそれほど多くなかったといえます。とはいえ、軌道敷内という限られた空間で重量のある橋桁を釣り上げることのできる操重車は貴重な存在であり、全国規模で考えればそれなりに活用されていたと考えられます。

 

《次回へつづく》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info