旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

【今週の1枚】DD13 346

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DD13 346〔品〕 新鶴見機関区 1996年 筆者撮影

 

 国鉄が分割民営化されるかどうかと国内で議論されている頃、何とか生き残ろうと様々な施策を展開していました。それまで「親方日の丸」体質を丸出しにした接客サービスの低さを改め、できうる限りの努力をしていたのを思い起こします。

 その一つとして、機関区などの車両基地を一般公開し、地域や利用客に親しんでもらおうとする企画。それまでは考えられなかった企画を次々に打ち出し、「親しみやすい国鉄」を目指していたといえるでしょう。

 1986年には「あの」新鶴見機関区も一般公開していました。

 「あの」と書いたのは、新鶴見は今も昔も鉄道貨物輸送の要衝であり、昼夜を問わず機関車がひっきりなしに入換で動き回るので、機関区の機能を一部または全部止めることが非常に難しいからです。また、機関車に乗務する機関士の多くは職人肌の人が多く、非常に高いプライドと技術を持っていました。そのため、一般公開という自分たちの仕事を「邪魔」するしかなく、なんの得にもならないことによく踏み切ったものだと感じたからでした。

 しかし、1986年の当時はそんなことを言っていられない状況にまで追い詰められていたのでしょう。それまでのイメージを払拭し、できることなら何でもやろうという心意気の現れだったのかもしれません。

 かくして、一般公開では機関区の機能の一部を止め、首都圏から「目玉」とされる機関車をかき集めてきて展示しました。具体的には武蔵野南線北行や品鶴線上りへ向かう機関車たちが留置される西機待線の一部を線路閉鎖によって使用停止をし、EF60 501やEF80などをずらりと並べたのでした。

 そんな華々しく、そして多くの人で賑わうのを横目に、運転庁舎前の側線に佇む2両のDD13形がいました。写真はそのうちの1両をとらえたものですが、実はこれ、一般公開のための展示用車両ではなく、既に廃車前提の休車に追い込まれて留置されていた車両だったのです。

 そのことを証明するように、機関車のナンバー部分は切り抜き文字が撤去され、代わりにペンキで形式と番号が書かれていました。そして、側面の窓下にある札差には、既に区名札はなく、廃車前提休車であることが書かれたボール紙が差し込まれていたのです。

 賑わうスターたちを横目に、この2両のDD13形は自らが旧貨車区で解体され、姿を消していくのを待つ見だったのです。

 


 

 1967年に日本車両において製造されました。DD13形としては第19次車の一員であり、ほぼ最終型といえるものでした。300番台は出力増強をした改良量産機をさらに改良したグループで、エンジンは出力500PSのDMF31FB形を2基搭載、機関車出力は1000PSとした点では112号機以降の改良量産機と同一の性能でした。しかしながら、このグループは歯車が破損しやすいという弱点を抱えていたため、これをさらに改良し故障を減らすことを目的として、当時量産が続けられていたDD51形と等々の部品を導入、この弱点を克服することにしたのです。外観やエンジンなどは改良量産機と変わりませんでしたが、この歯車を変更したことにより駆動系の部品が共通でなくなったことなどから、300番台に区分されたのでした。

 台車はDT113形であるものの、前述の歯車が変わったことにより改良が加えられ、サフィックスがついたDT113E形を装着しています。この点でも、従来のDD13形が装着している台車と外観こそ同じであるものの、共通性はなくなってしまいましたが、歯車比は1:3.196と僅かに高速寄りになったことで、幾分かは走行性能を向上させています。

 DD13 346は1967年に落成した後、広島機関区に新製配置となり広島駅の貨車入換や専用線に直通する貨物列車の小運転などに使われました。広島での運用は3年ほどで終わると、1970年に遠く東に離れた内郷機関区に配置転換になります。

 内郷区に配置になると、主に内郷駅での貨車入換などに使われました。当時、内郷駅には常磐炭鉱の専用線があり、専用線から採掘された石炭を積んだ石炭車によって発送されていました。しかし内郷区の配置は僅か1年で終わることになりますが、これは常磐炭鉱の専用線が相次いで廃止になってしまったため、入換用に使うディーゼル機の需要が減少していったためだといえます。

 1971年水戸機関区へ配転すると、こんどは水戸駅の貨車入換などで活躍を始めます。水戸駅は常磐線の主要駅の一つであり、茨城県の交通の要衝ともいえる駅で、首都圏との間を往来する旅客列車が数多く発着するとともに、福島方へ向かう列車への乗換駅でもあります。その一方で、水戸駅は物流の拠点としての機能も併せ持ち、多くの貨物列車も発着し、貨車の入換作業も頻繁に行われていました。DD13 346はこの水戸駅で、到着した貨車を貨物取扱所のある線路に異動させたり、荷役が終わった貨車を発着戦で列車に組み込んだりしていました。

 1978年になると、7年間過ごした水戸区を後にして、DD13 346は配置転換となります。異動先は首都圏の貨物機の牙城である新鶴見機関区です。新鶴見区配置の電機は東海道本線、さらには山陽本線の貨物列車仕業をはじめ、首都圏の貨物列車の運用を担っていました。一方、新鶴見区にはディーゼル機も配置されていて、重入換用機であるDE11形は隣接する新鶴見操車場の入換仕業を主に、DD13形は鶴見線など小規模な貨物駅や小運転の運用を担っていました。DD13 346も新鶴見区に配転後は、僚機とともにこうした運用に就いていました。

 1983年2月のダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ改正」では貨物列車の大規模な整理が実施され、DE11形をはじめとしたディーゼル機の多くは余剰車と化したため、廃車や休車となるものも出ましたが、DD13 346はそうしたこともなく新鶴見区配置が続きます。

 その後、1985年になると、機関車配置の大幅な見直しと検修業務の効率化を目的に、大規模な配置転換が実施されます。新鶴見区もその大きな嵐が吹き荒れ、電機は東京機関区が廃止となった影響で、お召し列車指定機であるEF58 61を筆頭に、寝台特急を牽く花形運用に充てられるEF65形1000番台も転入、それに押し出されるように、新鶴見区配置のディーゼル機は全車が品川機関区へ転出し、DD13 346も品川区に移っていきました。

 しかしながら、DD13 346の品川区配置は1年で終わりを告げます。翌年には分割民営化を控えていたことから、新会社へ引き継ぐ車両の選定と余剰車の処分が行われることになり、汎用機ともいえるDE10形の多くは残される一方で、DD13形は淘汰の対象になってしまい、1986年 月をもって廃車となり車籍を失ってしまいました。

 しかし、すぐに解体とはなることはなく、古巣である新鶴見機関区構内に留置された状態が続いた後、比較的状態が良かったことなどから京葉臨海鉄道が346号機を購入し、新たな活躍の場を得るという幸運に恵まれたのでした。多くの僚機たちが用途を失うとともに、DE10形に追われるようにして廃車、そして解体という運命を辿っていった中で、臨海鉄道という新たな居場所に巡り合うのは早々あるものでなかったといえるのです。

 京葉臨海鉄道に移籍後は、形式名をKD55形とされ、その103号機として京葉工業地帯の車扱貨物列車の運用と、千葉貨物駅や京葉久保田駅発着のコンテナ貨物列車の運用に就き、千葉県の物流を支える役割を担っています。また、京葉臨海鉄道本線とJR線との授受駅である蘇我駅にも顔を出す運用もあり、僅か1駅ながらJRの駅を発着とする貨物列車の運用にも就いています。

 2026年現在で、新製から既に49年が経つ「古豪機」ですが、臨海鉄道のような比較的短い路線ではDD13形とその同系機がもっとも使い勝手がよいためか数多く運用されている中、国鉄から移籍しKD55 103と名を変えはしたものの、今なお活躍しているのはDD13形が完成されたディーゼル機であることの証左であるとともに、検修に携わる人々の努力によるものだといえるでしょう。

 

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